帰宅

 ぼくは家の引き戸の前に立つと、目を閉じて深く深呼吸した。

「圭一さん、すごい心拍数上がってるけど大丈夫?」

 カナデのその言葉を小耳に挟みながら、ぼくは玄関の引き戸の取っ手に手をかけた。こんな何気無い行動にすら緊張するとは。ぼくはそう自分を嘲笑いながらドアを開けた。その先に待っていたのは懐かしい玄関だった。ポリバケツを使った傘立てや、小学生の夏休み以来置きっ放しの虫かごを見ていると、不思議と心が和んでくる。

「なにこれ……」

 都会育ちのカナデは、虫かごが珍しいのかそれをずっと見ていた。その姿をぼくが微笑ましげに眺めていると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。


 ***


「あ、やべっ」

 ぼくが慌てて態勢を整えているところに、その人物はやってきた。

「どちら様ですか……」

 そう言ったのは、パステルカラーの部屋着を着た十五、六歳くらいの少女だった。髪の毛はボサボサで、いかにも先程まで寝ていた事がよくわかる。ぼくは彼女が何者なのか知っている。

菜穂なほ……だよね?」

 ぼくは目の前の少女にそう言った。菜穂と呼ばれた彼女は、驚きのあまり目をパチクリさせていた。

「は?」


 ***


 ぼくがこの家を出て行った時、菜穂はまだたったの二歳だった。一番最後に会った時、彼女は母の腕の中、眠そうな顔でぼくに手を振っていた。それ以来、妹の成長はぼくの一番の味方であった母からの手紙で知らされていた。そんな彼女は、ぼくが自分の兄である事がわからないみたいだった。

「あの……よくわかんないんで、お母さん呼んできます」

 彼女は他人行儀にそう言うと、玄関の向こうへと消えた。そしてしばらくした後、菜穂は母親を連れて戻ってきた。

「まったくこんな忙しい時に……」

 そうブツブツ言っていた母は、ぼくの顔を見るなり一気に笑顔になった。

「あら、圭ちゃんじゃない」

「え……母さん知ってるの?」

 そう言う菜穂に、母は言う。

「なに言ってんの……あんたのお兄ちゃんだよ」

「お兄ちゃん?」

 彼女はぼくの顔を見て驚いた。

「家を出たのが小さい頃だったから覚えてないだろうと思ったよ」

 ぼくはなんとか動揺をおさえながらそう大人の対応をした。そんな中で、母はぼくに聞いた。

「それはそうと圭ちゃん、どうして帰ってきたのかい?」

 ぼくはニヤリと笑ってこう言った。

「紹介したい人がいるんだ」

 ぼくは隣にいるカナデを前に出した。

「紹介するよ……彼女は眞秀まほろカナデ、ぼくの恋人だよ」

 カナデがぼくのそばでお辞儀をすると、二人は驚きの表情で彼女を見た。


(続く)


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