第31話:夢、あるいは

 羽鳥氏と別れ、僕らは再び新幹線に乗った。明日に訪問する、鬼怒川きぬがわサキの両親が住んでいる地域に前乗りするためだ。今日はそこでホテルに一泊予定になっている。


 ちなみに、平日だというのにホテルはどこも満室だった。


 やはり昨日の今日で宿を探すのには無理があった。


 さすがに女性を連れてインターネットカフェや野宿で夜を明かすわけにもいかない。明日も明後日も取材がある。余計なところで体力を消耗している余裕はない。


 というわけで、唯一確保できたビジネスホテルで、僕と刊野さんは同室で泊まることになった。


 ミヤコさんや編集さんとはそれなりに付き合いが長いから今さら遠慮する必要はないが、刊野さんは知り合いというほど親しい間柄でもない。なのでここは紳士的に振る舞うべきだろう。睡眠はフロアの個室トイレあたりでとろうか。


「別に気にしないわよ。締め切り前は普通に会社でオジサンに囲まれて寝ることもあるし」


 お風呂から上がった刊野さんは、湯気を立たせながら僕の提案を断った。青い浴衣を身にまとい、タオルで髪を挟んで水気を取っている仕草は妖艶さがある。


 そして僕の中でもっとも解決したい謎のひとつであった、「刊野日美は着やせか否か」問題はたった今解決した。




 この人、やはり持っている。




「いや、見すぎだから」

「下心はありませんので大丈夫です」

「ふうん?」


 ベッドに腰をおろした刊野さんは仰向けになって、横目で僕を見つめてくる。


 ねっとりとした、見定めるような、試すような瞳。


「あたしは別に構わないけれど?」

「僕が触れた瞬間に淫行で見開きの記事にしようとか考えてません?」

「すごい、本当にわかるのね」

「……勘ですよ」


 どうやらこの人に気を遣う必要はなさそうなので、僕もシャワーを浴びて、同じ浴衣に着替えた。


 訊きたいこと、話したいことはいろいろあったが、明日も朝が早いし、機会はまだいくらでもある。日付が変わる前に僕らはどちらからともなくベッドに潜った。


 正直、相手が誰であろうと、この至近距離に人がいる状況で眠れるか不安だったが、やはり僕も慣れないことに対して疲れていたらしい。まぶたの上下が激しく求め合い、一分もしないうちに密着した。




 夢を見ていた。


 あるいは妄想かもしれない。


 僕は真っ暗な正方形の箱の中に閉じ込められている。一辺は五メートル程度。暗闇なのに、距離感や壁の存在が認識できた。扉もなければ、鍵穴もない。脱出不可能な檻の中に、たった一人でいる。


 そこに、人影が現れる。文字通り影だけで、実態はない。いや、影が実態を持ったと言うべきか。


 輪郭から女性であることがわかる。髪はセミロング。ちゃんと髪の質感がある。下半身の象りから、スカートを履いているのだろう。


 次いで、もう一人の影が地面から地上へ吸い寄せられるように浮かび上がる。こっちはロングヘアで、一人目よりも身長がやや低い。


 この二人に僕は見覚えがある。因縁がある。


 二人がじりじりと距離を詰めてくる。僕は前を向いたまま後退し、隅に追いやられる。誰も何も言わない。目の前の二人に口はないのだから当たり前だ。


 背の低い女の子の顔が歪む。口元に隆起ができる。それはV字を描いていた。


 笑っているのだ。


 もう一人も同じV字を作る。僕から見て右に立つ背の高い女性が右手を、左に立つ女性が左手を僕の首へと伸ばし、爪を立てた。


 痛みも苦しみもない。ただ、「ああ、きっと僕を恨んでいるんだなあ」と冷静に分析するだけだ。


 しばらくその状態が続いて、殺せないと悟ったのか、やがて二人は悲しそうに口元のV字を逆向きにする。


 だんだんと二人の体が透けていき、最後にはすっかり消えてしまった。




 僕は一人、真っ暗な空間に取り残された。






 僕は悲しい気持ちになった。





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