第30話:一人目

 翌日、まず僕は学校に「インフルエンザの流行に先乗りしてしまった」旨の連絡を入れた。


 両親にはテスト期間にかこつけて、「友人の家で泊まり込みの勉強合宿をする」と伝えると、あっさりと外泊を許してくれた。僕の口から友人の二文字が出てくることに微塵も疑問を抱かなかったようだ。制服姿のまま、何食わぬ顔で家を出た。


 もちろんミヤコさんにも、しばらく休むと電話を入れてある。理由を尋ねられたので、正直に刊野さんと犯人捜しツアーに出かけることを話した。反対するわけでも詮索するわけでもなく、「お土産はしっかり買ってこい」との励ましをいただいた。


 刊野さんとの待ち合わせは新幹線の改札口。待ち合わせの時間になったが、現れる気配はない。平日とはいえ混み合う時間帯で、人ごみの中を探してみても、それらしき人物は見当たらなかった。僕は生まれて初めて、携帯電話を持っていればよかったと思った。


 人が多い場所は昔から苦手だ。視界に入る顔が多いほど、入り込んでくる「声」も比例する。


 待ち合わせをしていたカップル。彼女が遅れてやってくる。「電車が遅れてて」なんて言い訳しているけれど、単に乗り気じゃなかっただけだ。


 壮年と若手、二人のサラリーマン。若手はずっとニコニコと返事をしているが、心の底では壮年が何か言うたびに「死ね」と吐き捨てている。


 女子高生三人組。恋愛の話で盛り上がっているが、みんな、他の二人の事情に興味なんてないし、いかに自分の彼氏の方が優れているかを自慢したがっている。


 それでも表面上は、穏やかに、優しく、相手を思いやって世界は回っている。


 刊野さんだって、人の心が読めるなんて高校生の戯言を信じたわけじゃない。もちろん一緒に旅行がしたいのでもない。




 一連の事件と僕との関係性を見極めるつもりらしい。




 僕は本当に無関係だし、無駄骨なんだけどなあ。それともいい加減、ストーキング生活に終わりを迎えたかったのかもしれない。ここで僕の無実が証明されれば、刊野さんも解放されるのだ。


 だったら僕も頑張って、事件の解決に協力しようじゃないか。


 気持ちを新たにしたところで、刊野さんがようやく現れた。待ち合わせ時刻から十五分遅刻、新幹線の発車まであと五分だった。


 服装はおなじみのグレーのパンツスーツ。持ち物はショルダーバッグだけで、着替えを持ってきている様子もない。


「ずいぶんと軽装ですね」

「パソコンとカメラがあれば充分。あなただって泊まりの格好とは思えないわよ」

「遠方で外泊なんて人生初なもので」

「思春期の男の子のはじめてをもらえるなんて嬉しいわ」

「僕も、年上のお姉さんにはじめてを奪ってもらえて光栄です」


 会話をしながらホームに移動すると、ちょうど新幹線の清掃が終わったところだった。指定席に座るのが初めてだった僕がチケット片手に右往左往していると、刊野さんが席まで先導してくれた。さすが年の功、頼りになる。


 僕が通路側、刊野さんが窓側に座る。


 今日はまず、一番の遠方である絵本作家、九哀いちじくあいの担当編集者から話を聞くことになっている。その後少し移動してホテルに一泊。明日以降は伊佐神に戻りながら、途中でそれぞれの関係者に会っていくという算段だ。


 新幹線には四時間近く乗っているので、どう暇をつぶそうと思いあぐね隣を見ると、刊野さんは既に眠りに落ちていた。待ち合わせに遅れてきたのも単に寝過ごしたからだろうか。近頃の多忙ぶりを考えると、これほどまとまった睡眠がとれる機会もないのだろう。ここで一緒に眠ってしまえば乗り過ごしなんてベタな失敗をやりかねないので、何が何でも僕は起きているしかない。


 移動販売のコーヒーを合計五杯飲んで必死に眠気を追い払い、何とか目的地で二人下車することができた。駅構内の喫茶店で軽く昼食を済ませ、タクシーで待ち合わせの出版社へと向かう。


 九哀の担当編集は、刊野さんの例の「先輩」の古い知り合いらしく、面識はあるようだ。作家と編集というのは、家族以上の固い絆があるという。タクシーの中で聞いた話によると、九哀の両親は他界し、独身のため身寄りがないらしい。


 事件に興味を持っていた僕にとって、刊野さんとの同行はまさに渡りに船といったところだ。話を引きだすプロの存在は心強い。人との対話に不慣れな僕だけでは、相手を怒らせてしまうかもしれないから。


 一応、刊野さんにインタビューのアドバイスを求めると、「訊くのではなく、話してもらう」スタンスが大事だと教えてもらった。こちらから情報を引っ張り出すのではなく、向こうから自然と話したくなる雰囲気作りを大切にしているという。


 そのために、今朝は早起きして図書館で九哀の絵本を改めて読みあさっていたらしい。それで待ち合わせに遅れたのだ。


 刊野さんは間違いなくプロだ。寝坊だなんて疑ってごめんなさい。


 出版社は、十階はあろうかという大きな建物に構えていた。一階の受付で用件を伝える。この出版社のことはよく知らないが、業界ではそれなりに大きい方なのだろう。


 受付横の半個室で待っていると、やがてチェックシャツにジーパン姿の男性がやってきた。刊野さんは挨拶を交わし、僕のことはインターンのアルバイトだと紹介してくれた。


 男性は羽鳥はとりと名乗った。五十歳前後で、髪がやや後退している。細身で肌も少し荒れており、お世辞にも健康的とは言えない。九哀とは二十年以上の付き合いで、葬式の手配はこの人が主導したそうだ。


「作家っていうと、気難しいとか、一風変わっているとか思うかもしれませんが、彼女は当時新人だった僕にも優しく接してくれましたよ」


 羽鳥氏は目を細め、懐かしむように語り始める。


 僕は自分の能力を最大限に研ぎ澄まし、耳を傾ける。嘘を言っていれば、すぐにわかる。


「ぼくの誕生日に毎年チーズケーキを買ってくれてね。忙しくても食べられるように、スティックタイプで常温保存できるやつ。ぼくが独身だったからかもしれませんが、普段も頻繁に食事をごちそうしてくれたりして。作家以前に、家族のような関係でした」

「悩みがあったとか、トラブルに巻き込まれているとかはなかったんですか?」


 僕の質問に、羽鳥氏はかぶりを振った。


「そんなの、一度たりとも聞いたことありませんよ。印税や著作権で、出版社や他の作家と揉める人もいますが、九さんの周りは、あそこだけ世界が違うかのように穏やかでした。自然と集まってくる人も良い人ばかりで」


 不名誉を振り払うように羽鳥氏が弁明する。警察からの事情聴取もこんな風に答えていたのだろう。


 だが、九哀は自宅で撲殺された。金品も原稿も盗まれていない。強盗に遭ったのではなく、殺人に遭ったのだ。恋愛関係のトラブルであったのなら、犯人はとっくに捜査線に浮上しているだろう。


「では、羽鳥さん以外に、九さんが特に親しかった相手は思い当たりますか?」


 切り口を変えてそう尋ねたのは刊野さんだ。僕に尋問する時の、隙のない感じではなく、思い出話を聞かせてほしいとせがむような声色だった。


「プライベートをすべて把握しているわけではありませんが……思い当たりませんね。社交的というほど交友が広いわけでもありませんでしたから。絵本作家の中でも九さんの作品数は圧倒的です。人と会う以外はずっと絵を描いているような方ですよ」


 目立ったトラブルはなくても、親しい人との間で衝突があった可能性も否めない。刊野さんにはそれを探る意図があったようだが、空振りだった。


 それからは、質問を重ねていくというより雑談に近い形だった。心当たりがないのであれば、羽鳥氏でも無意識な部分にヒントが隠されているとしか考えられない。生い立ち、作家になった経緯、作品にまつわるエピソードなど、これだけでも特集記事になるような量を語ってくれた。


 打ち合わせの時間になるまで、羽鳥氏は親身になって僕たちに付き合ってくれた。


 そしてインタビューの内容を総括すると、この一言に集約されるのだった。




 殺される理由が思い当たらない。

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