第27話:本物の殺人事件
六月に一件、九月に一件、そして十月に入って一昨日にも一件。
三人の人間が殺された。
これらの件に、スタジオミヤコは関わっていない。「同業者」が起こしたのでもないという。
つまりこれは、本物の殺人事件。人が、意図的に人を殺したのだ。どの事件も犯人は見つかっていない。
一年間で三件も起きれば「国民の倫理観が地に堕ちた最悪の年」とまでも言われるのに、今年をあと二か月残した状態で既に三件。春の御堀さんの事件も含めれば四件。年末特番が殺人一色になるのは避けられない。
それだけでなく、来年度には小・中・高の教育機関でカリキュラムが変更され、道徳のコマが倍増するのが目に見える。そういえば駅前や町の掲示板で、「命の重みについて考える」ことを啓発するポスターが最近増えていた。夏の県知事選挙では、候補者の掲げた公約は経済でもインフラ整備でもなく、道徳教育に関するものだった。
幸か不幸か、僕は家族とスタジオミヤコ以外の人間関係が存在しないので、これまでの人生で殺したいと思うほど誰かを憎むことはなかった。学校という集団組織に属していれば、関わっていなくても嫌いな人や苦手な人もいる。だが彼らの命まで奪おうとは思わない。せいぜい体育の実技テストで失敗すればいいとか、給食のデザート争奪じゃんけんで負けろとか念じるくらいだ。
両親との仲だって、そこまで悪いわけじゃない。僕の、他人の心を読む力のせいで、幼い頃から彼らとは一定の距離感を持って接してきた。反抗期は一度もなかったし、大きなケンカもしたことがない。誕生日にはささやかだが夕食を豪華にしてくれるし、プレゼントとして辞書や入試の過去問題集を買ってくれる。
死んだ人たちは、なぜ殺されてしまったのだろうか。
日頃から傍若無人だったのだろうか。それとも恋愛やお金のトラブルか。
僕には想像がつかない。きっと一生、わからない。
玄関のドアノブがかちゃり、と音を立てる。
「あ、おかえりなさい。ミヤコさん」
久しぶりの外出から戻ってきたミヤコさんの表情は疲れ切っていた。いつも凛々しい瞳からは光沢が消え、眉はへの字に曲がっている。口元からは呪詛のようなため息がこぼれ、無言ですれ違う。このヒトは人混みがあまり得意ではない。
僕は玄関脇の給湯室に移動し、お湯を沸かす。コーヒーを用意するためだ。
外出から戻ってきたミヤコさんを労うためでもあるし、仕事が終わって事務所に戻ると、彼女は真っ先に愛用のパジャマに着替えるのだ。
スタジオミヤコに更衣室は存在しない。せめてトイレとか隣のスタジオで着替えてほしいのだが、ミヤコさんは健全な男子高校生の視線などお構いなしだ。広間で堂々と服を脱ぎ始める。別に劣情を抱いているわけではないが、人として最低限の振る舞い方というものが僕にだってある。
つまりコーヒーを用意すると同時に、僕は給湯室へ一時避難をしているというわけだ。
マグカップになみなみと入ったコーヒー二つをトレイに載せ、広間に戻る。ミヤコさんの着替えは終わっており、薄紫色のパジャマ姿に、頭にはぽんぽん付きのナイトキャップ。満足そうな表情で、椅子に仰向けになるように背中を預けていた。
「私は疲れたぞ、安室くん」
「スティックシュガーは二つでいいですよね。もう入ってますから」
「ご苦労」
甘々の液体を一口含む。ミヤコさんはふぅ、とため息をついて、また「疲れた」とつぶやいた。
「で、どうでしたか、会議は」
「どうもこうも、ただ全体で情報共有をしただけだ。新しい発見があったわけではないし、そもそも私には関係のないことだ」
異常な殺人の発生件数に、本日、国の緊急会議が執り行われた。そこにミヤコさんはスタジオミヤコの代表として招集されたのだ。他にも警察幹部や政治家など国を支える立場の人たちが多数参加することになっていたという。
「六月から起きた三件の事件の被害者は、年齢、性別、職業、居住地、いずれもばらばらだ。方法も絞殺だったり刺殺だったりで、一貫性がない。警察は素人の単独犯と見ているようだ」
ミヤコさんは資料をうちわ替わりにしてあおいだ。コートの内ポケットに三つ折りでしまっていたのか、二本の折り目がついている。「読むか?」と目で合図をしてくるので頷いて、ホチキス留めされた二枚の紙を受け取った。
資料には御堀さんの名前もあった。スタジオミヤコのことを知らない人も参加しているのだから当然か。御堀さんを含めて、四人の被害者のプロフィールが、顔写真とともに載っている。
実質的に今年初である、六月に起きた事件の被害者は、保育士の
九月の被害者は、
そして一昨日に発生した三件目の被害者は
こうしてみると、確かに三人に共通点は見られない。無理やりでも気になったことを挙げるとすれば、九月に殺された人物の名字が九という点だ。初めてニュースで観た時はなんたる皮肉かと思ったが、深い理由があるようにも思えない。他の二人の名前に数字が入っているわけでもないし。男性は外で殺されて、女性は自宅で殺されたというのも、そこに隠されたメッセージがあるとも考えにくい。
しばらくうんうんと唸ってみたが、連続殺人であるという結論にはならなかった。もし共通事項があるのだとしたら、僕より先に警察が気づいているだろう。ミヤコさんの言うとおり、推理は僕らの業務外だ。
「危険な世の中になったものだ。夜道は気をつけて歩きたまえ」
ずず、とコーヒーをすすりながら、ミヤコさんがつぶやいた。
「おっかないこと言わないでくださいよ。僕たちの場合、殺される理由がありすぎるんですから」
フランス革命よろしく、群衆の前で公開処刑をされても文句を言えないぐらいの悪行を重ねているのだ。僕とミヤコさんの命だけで償えるものじゃない。もう一人の職員に至っては既に死んでいるのだ。
ちなみに最近の編集さんは、スポーツの秋を満喫している。もっぱら運動する側ではなく鑑賞する側だが。
持ち前の機動力を活かして、全国の小学校の運動会行脚をしているのだ。ただでさえ不在がちなのに、ここ一週間は姿をまったく見ていない。運動会は土日に開催するものと思いきや、私立では平日に行う学校もあるのだという。
夏は毎日海やプールに通っていたし、この数か月でアルバムの蔵書数が急激に膨れ上がっているのだ。春に業務用冷蔵庫並みの大きさの本棚を置いたばかりなのに、残りのスペースがわずか数冊分しかないのである。
前に一度だけ本棚から抜き出してパラ読みをしたことがある。「八月一日:脚」と背表紙に書かれたそれに収録されていたのは、脚、脚、脚。一ページ四枚の写真が収めてあるのだが、どの写真を見ても小学生ぐらいの少女の脚部の接写なのである。
僕は改めて編集さんを軽蔑した。そしてアルバムを元の位置にしまい、「胸」「尻」「腋」とタイトルがついたそれらを決して開くまいと心に誓った。
誘拐事件をきっかけに己のアイデンティティに疑問を抱くかと思いきや、編集さんの少女愛はますます拍車がかかっていた。生身の人間であれば一度カウンセリングにでも強制連行したいところだ。
世間は何かと物騒だし、身内には物騒なヒトがいる。それでも、僕個人の日常はおおむね平常運転だった。警察には早く犯人を捕まえてほしいし、人間以外の盗撮犯を逮捕できる法律も早いうちに整備してほしい。
ここのところ事務作業ばかりだったから、僕はそんなのん気なことを考えていた。
そうやってたるんでいる時に限って、人生を揺るがす大事件が起きるものである。
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