第25話:犠牲者たち(終)
図書館で昔の新聞記事と、発売したばかりの週刊誌を読んでから、僕はスタジオミヤコに向かった。
ちっとも輝かしくなかった黄金週間はとうに過ぎ去り、暦はもう六月を迎えていた。梅雨入りはまだだが、学校では衣替えを終え男女ともに薄着になっている。ワイシャツだけで学校生活を送っていると、ブレザーが何気に重量のある上着だということが身に染みる。夏服というのはラフでいい。
夏にともない軽装になったのはスタジオミヤコも同じで、ミヤコさん愛用のロングコートは先日クリーニングに出してきた。代わりに、壁にはまだ出番のない新しい仕事着が掛けられている。
チャイナドレスの超ミニ版、とでもいうべきだろうか。ぴっちりと肌に密着しそうな、上下一体型の黒一色。白地の昇り竜が入っている。ミヤコさんはスタイル抜群だから、これを着たらきっと映えるに違いない。
これを見た時、早く次の仕事が来ればいいのに、と不謹慎なことを思ってしまった。
今日も今日とてミヤコさんはパジャマ姿だが、この格好もそのうち夏用になるのだろうか。
「やあ、安室くん」
今日も今日とて読書に励んでいたらしく、両手で広げている本の背表紙には『アフェリエイトで月収二百万も夢じゃない』と書かれていた。どうやらマジシャンの夢はあきらめたらしい。ついこないだまで脱出マジックがどうとか興奮気味だったのに。
しょせんマジックはすべてが最初から最後まで仕組まれていたもので、一時的なものだ。その時々で誰かを感動させたり驚かせたりすることはあっても、人の一生を左右することは、ない。
あまり凝視しないようにして、ソファーにカバンを投げ、玄関脇の給湯室へ。マグカップを出してインスタントコーヒーをスプーン二杯、電気ポットからお湯を注いでホットコーヒーの完成だ。百年以上変わらないこのシステムは、逆に言えば百年以上前の時点で改善の余地がないほどに完成されていたのだ。
一口含めば、いつもと変わらない味が僕をほっとさせてくれる。
五月の大型連休中に溜まっていた経理書類を片付けた僕ら(結局ミヤコさんは一度も手伝ってはくれなかった)は、暇を持て余していた。藤城ありすの一件以降、毎日こうして茶色の液体を無為に消費し続け、あるいは何度も読んで表紙がぼろぼろになった本を回し読みしているのだ。
藤城ありすを逃がしてしまった僕は、最悪、スタジオミヤコを首になる覚悟はしていたが、ミヤコさんは何も咎めることはしなかった。どうやら及第点はもらえたらしい。
今回の事件で貧乏くじを引かされてしまったのは三人。
まず、藤城ありすの両親。くだんの報道をきっかけに、世間からいわれのない非難を受けているのは想像に難くない。
彼らは一人娘を愛してはいなかった。突然降りかかった誘拐事件に乗じて、娘が死ぬことを望んでいた。また事件を利用して日銭を稼いだり、世間からの同情を集めようしたりと、親のすることとは思えなかった。
それでも。いくら彼らが最低だとしても、紛れもなく両親はあの二人なのだ。少なくとも肉体的に藤城ありすを傷つけることはなかった。DVなんてのは完全なるねつ造で、陰謀だ。
編集さんこと夜叉小路白雪花子の仕事は、人知れず子どもを誘拐することじゃない。
事件を都合の良いように書き換えること。
編集することが、彼女のスタジオミヤコでの役割。
そして最大の犠牲者は、藤城ありす本人だ。
彼女は「誘拐」を体現するサンプルとして生きることになる。監禁中どれほどひどい扱いを受け、心に深い傷を負い、犯罪を憎んでいるのかを世間に発信し続けるのだ。両親とは「家族ごっこ」を継続しなければならない。
無事に保護されてからも、しばらくは事件や藤城家に関する詮索の報道は後を絶たず、時には彼女の両親、あるいは彼女自身を傷つけかねない記事もあった。それらに対して僕が文句を言う資格はない。僕らがあんな事件を起こさなければ、藤城家は平穏な毎日を送れたのだし、何より藤城ありすは以前にも増して、窮屈な毎日を送っているのに違いなかった。編集さん曰く、今でも学校の外には数人の記者が張り付いて新たな一面を発掘しようと躍起になっているのだという。
あれから、僕は一度も藤城ありすには会っていない。ただ、毎日元気に過ごしているらしいから、それは喜ばしいことだ。
両親との仲は。世間からの好機の目は。クラスでいじめられていないか。心配すべきことは山ほどある。もし悩みがあっても、解決するのは僕ではなく、彼女の周囲にいる誰かの役割だ。
「そうだ、安室くん」
組んだ足をほどいて、ミヤコさんが思い出したように声をかけてくる。
「アフェリエイトに関する本を十冊ほど買ってきてくれないかな。どうせ暇だろう?」
「あれで生活できる人なんて、全体の一パーセント以下ですからね。ひと月で一万円儲かるのだってどれだけ大変か」
「だから勉強するんだよ。始める前から諦めてどうするんだ」
こういう時にだけ正論を述べるんだ、このヒトは。
まあ、どのみちすることもないし。長方形型の財布をズボンの尻ポケットにしまって、スタジオを出る。
扉の先に、編集さんがいた。
「やあ、シンイチくん」
「……どうも、お久しぶりです」
誘拐事件以降、編集さんは旅に出ると言って姿を消した。そのため実に一ヶ月ぶりの対面だった。両手にはお土産と思しき紙袋が計四袋ぶら下げられている。どうやって買い物をしたのだろう。
この一件で多少なりとも思うところがあったのだと想像していたが、本当に旅行していただけらしい。
「牛タンにきりたんぽ、白色の恋人、ひよっ子。いろいろ買ってきたから。ミヤコちゃんと食べてよ」
「……はい」
「あ、それとも、秘宝館の下ネタ的なやつのほうが良かった?」
「……」
「一応その方面にも行ってきたんだけどね。ヴァギナをかたどったチョコレートとかあったから買ってこようかと思ったけれど、一応シンイチくんもまだ高校生だから、そのへん考慮したんだよ?」
「…………さっき、図書館に行ってきたんですよ」
「へえ?」
「ずいぶん前の話ですけど、この辺りで誘拐殺人事件があったんです」
この時点で、僕はうつむいてしまった。編集さんの目を見ることができなかったのだ。
「被害者は当時小学四年生の女の子。家族でフラワーガーデンに遊びに行って、両親が目を離したうちに、娘の行方がわからなくなったそうです。三日後、裏路地のゴミ捨て場で、変死体になって発見されました。その日は季節外れの雪が降っていて、その一点だけが赤く染まっていたとか。女の子は鬼にでも襲われたかのように、恐怖に目を見開いた状態だったのそうです。その女の子の名前は、」
「もういいよ、わかったから」
目線を上げる。編集さんは、僕の方を見ていた。
だが僕ではない、どこか先を見つめていた。
「可愛そうな子だね。でも、うちらが悲しんだり悔やんだりしたところで、どうにもならないもんね。だから君は、もっとおおらかに生きるべきなんだよ。よそはよそ、うちはうち、さ。いくら思い悩んだところで、世の中から犯罪は消えないもの」
「でも……」
「大丈夫。世の中に本当に悪いやつなんていないから。大抵は、その場の勢いに流されたり、金や立場に飲み込まれるものさ。だから、誰も悪くない。いや、人殺しは確かに悪かもしれないけど。でもうちはもう、誰も恨んだりはしないさ。だってもう、うちは死んでるし、うちは人じゃないから」
ありがとう、と、編集さんが僕の頭を優しく撫でる。
このヒトは変態だ。
ひいては女子小学生が大好きだ。
それはひょっとしたら、他の理由もあるんじゃないか。
例えば、「同年代の女の子ともっと一緒に遊びたかった」なんていう、いかにも成仏できない幽霊らしい理由とか。
編集さんは笑った。僕もつられて笑うふりをする。
世の中、思い通りにいかないことばかりだ。自分の進む道すら、自分で決められない。
それに気づいてしまったら、残るのは絶望だけだろうか。
その答えは、人にも幽霊にもわからない。
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