第18話:どうせもう、死んでるって

 ミヤコさんがひいきにしているチャンネルでは、いつもの女性キャスターと並んで三人のコメンテーターが厳粛な格好で、顔を引き締めていた。


 番組はだいたい三十分ごとに同じリズムをサイクルしている。まず最初に、今回の事件の概要が流れる。映像はほとんどが使いまわしだが、たまに地域住民へのインタビューが入ったり、藤城ありすが住んでいる街の風景が映ったりと、視聴者が飽きないように新しい情報も少しずつ流していた。


 十分ほどの映像が終わるとスタジオに切り替わり、女性キャスターの司会のもと、三人がそれぞれ自分の専門を活かしたコメントを二言三言発表していく。犯罪心理学に基づいた犯人像だったり、警察OBによる過去の類似事件との共通点であったり、政治家への転身が噂されている文化人の感情論だったり、各々が自分に与えられた役割を果たそうとしている。


 役割。それこそが、彼らの正体だ。


 画面を隔てて、心の声が届く。


【これだけの情報で犯人像なんてわかるわけないだろう。馬鹿なんじゃないの】

【そもそも警察現役時代に誘拐に関わったことなんかないし】

【あと二時間かあ。早く終わってくれよ。今日はこのまま飲みに行こうかな】




【どうせもう、死んでるって】




 誰一人として、藤城ありすを心配している者はいない。皆、自分の職務を果たしているだけだ。


 世間を騒がす事件への反応は、主に二通りある。


 一つは犯人への憤り、被害者への哀しみを手向ける、モラリスト。


 もう一つは自分には対岸の火事であると、無関心を貫く者。


 かつての僕は後者だった。慈しみの精神がなかったわけじゃない。人が死んだり傷ついたりするのは悲しいことだし、かわいそうだと素直に思う。ただ、知り合いでもない人間にまでその感情を振りまけるほど僕は豊かではなかった。人の心が読めるという生まれ持った能力のせいかもしれないし、僕当人の想像力が貧しいのが原因かもしれない。


 今はどちらでもない。事件は観るものではなく起こすものに変化してしまったから。


『さて、ここで、スタジオにありすちゃんのご両親がいらっしゃいました』


 司会の女性キャスターが声高に告げる。僕も思わず事務作業の手を止め、テレビへと首を動かした。ミヤコさんも目をすっと細め、姿勢を少し前に傾けた。


 画面には茶色のジャケットを羽織った男性と、黒のスーツ姿の女性が映っている。どうやらこの二人が藤城ありすの父母らしい。二人ともうつむき気味で、世間への申し訳なさと恥ずかしさのようなものをたたえている。朝のニュース番組でも家の前でインタビューを受ける様子が流れていたが、顔にはモザイクがかかっていたのだ。


 年齢は三十代前半といったところか。父親は黒髪にパーマを当て、母親は白に近い金髪のセミロング。メイクもばっちり決めている。勝手な想像だが、昔はやんちゃをしていそうな印象だ。


「娘がさらわれたというのに身だしなみをばっちりにする余裕はあるんだな」


 ミヤコさんも似たようなことを考えていたらしく、あざ笑うように唇に角度をつけた。


 恰好はさておき、わざわざ生放送に出演するということは、娘を心配する気持ちは確かなのだろう。テレビを通じて犯人に、僕らに、説得を試みるつもりかもしれない。


 しかし予想に反し、本日何度目かの収録済みの映像が流れ始めた。右下にワイプでそれを眺める両親の顔が順々に映る。


 なるほど。この二人には追加のコメンテーターとしての役割が与えられているのだ。実際に話を訊くのはもうしばらく経ってから。できる限り視聴者をこのチャンネルに引きつけるつもりだ。


 まるでお祭りだなあ。おやつに焼き鳥かフランクフルトでも買ってこようかな。


 テレビ局としてもここが山場だと意気込んでいるらしく、映像は二十分を超える大作だった。冒頭のアングルこそ同じだったが、藤城ありすの通う学校の校長へのインタビューが初登場したり、家族三人でよく遊んだという公園の風景が映し出されたりとてんこ盛りだ。きっと他局に情報量で負けまいと、スタッフ総出で働きづめなのだ。休日出勤を強いられている人もいるかもしれない。このたびはご迷惑をおかけし誠に申し訳ございません。


 ありすちゃんの安否が懸念される、という締めの言葉で、カメラがスタジオに戻った。朝から出演している三人の識者はもう疲労を隠しきれていなかった。


『ではここからは、ありすちゃんのご両親にお話を伺いましょう』


 視聴者の皆さんいよいよですよ、とでも言いたげに、女性キャスターがカメラに向かって宣言する。ここまで引っ張られると視聴者もぐったりしているのではないだろうか。隣でミヤコさんがあくびをした。


『今回の事件で心を痛めていらっしゃる中、ご出演いただきありがとうございます』


 父親が重々しく口を開く。


『いえ、私たちはありすの親です。この子のためにできることなら何でもしたいんです。もちろんお金も払う意思はあります。ですが正直、我が家に犯人の要求する貯蓄はありません。それでも、何が何でも集めるつもりです。現在、複数の銀行で貸し出しのお話をいただいております。相談の上、決めたいと思っております』


「……え?」


「どうした?」


 僕の声に、隣でミヤコさんが不思議そうに覗き込んでくる。


「……いえ」


 そんな馬鹿な。


『お母様、ありすちゃんはどんな子ですか』


『とにかく優しい子で、いつも食事の用意やお皿洗いを手伝ってくれるんです。この休みにも遊園地に行こうねって約束していたのに、まさか、まさか、こんなことになるなんて』


 母親は口元を震わせ、赤くなった目元をハンカチで拭う。




 今度こそ、開いた口がふさがらなかった。


 二人の声が、届いたのだ。


 言葉の裏に隠された、本心が。


 内側から、得体のしれないものがこみ上げてくる。


 全身が熱を帯びている。額から汗が噴き出す。体がかあっと火照っている。


「うっ……」

「おい、安室くん!」


 僕はトイレに駆け出していた。そして間一髪のところで、喉元からあふれ出たそれを、便器の中へげえげえと吐き出した。寒い。先ほどまで体内で蠢いていた熱が、倦怠感をまとって冷やかなものへ一気に変わっていく。


 きっとこれは、代替行動だ。


 本来であれば感情として処理されていたものが行き場を失い、肉体的な症状として発散されたのだ。



 ありえない。



 彼らがいるのは対岸ではないんだぞ。



 誘拐は、失敗だ。



 僕たちが金を手に入れようが、世間がいくらこの一家に同情しようが、肝心の藤城ありすは救われない。



 僕は便器から顔を上げ、ある決心をした。

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