第17話:おっさんタックル
翌日からテレビは誘拐事件一色になった。
ピエロが藤城ありすの頬を叩く場面が三十分置きに流され、装着していたマスクがどこのメーカーのものだとか、殺傷を目的としたダガーナイフは販売を規制するべきだとか、果てには藤城ありすの目撃情報収集と称したファッションチェックまで始まる始末だ。
そういえば僕がまだテレビを観る側だった頃、中学時代に、幼い男の子がさらわれた事件の時もこんな感じだった。バラエティも音楽番組もドラマの再放送も全部中止になって、昼夜を問わずに、男の子の両親のインタビューや、この国の誘拐事件の歴史が年末特番のごとく延々と流れていた。
殺人は発覚した時点で取り返しのつかないことだが、人さらいはリアルタイム性がある分、各局こぞって取り上げているのだ。こんなのが年間百件単位で発生していた時代があったなんて信じられない。
殺人よりも発生件数の少ない誘拐という事件に過剰反応気味になるのは仕方のないことかもしれないが、やはり白昼堂々の犯行というのが報道の過熱に拍車をかけている。目撃情報は皆無、被害者はいたいけな少女、暴行のシーンまでついていれば世間が食いつかないわけがない。
だがまさか実行犯が幽霊だなんて思ってもみないだろう。そして真の首謀者はこの国だ。
時折思うことがある。スタジオミヤコとの契約が満了した暁には、僕はミヤコさんの手によって始末されてしまうのではないだろうか。三人の職員のうち、法律が適用できる「人間」と呼べる存在は僕だけだ。
調査会社や、いつしか学校の前で会った刊野日美のようなジャーナリストに真相を暴かれてしまうとも限らない。その場合、いくら警察が「こちら側」とはいえ罪に問われないわけでもあるまい。
逆に言えば、国家を揺るがす大スクープとはいえ、僕さえいなければスタジオミヤコに違法性はないのである。ミヤコさんも、編集さんも、「国民」ではないのだから。
まあ、どうでもいいんだけど。
恐怖心すらない人間はここまで達観できるものかと、我ながら驚きだ。もちろん驚きというのはこの状況を無理やり言葉に当てはめただけで、僕自身は何とも思っちゃいない。
そしてこのスタジオで達観しているのは何も僕に限ったことではないらしい。
誘拐二日目にして、藤城ありすは見事に順応していた。
朝食のアンパンと牛乳、僕が買い与えた児童小説を黙々と読み、既に本日三冊目。トイレを一度申告しただけで、あとは一切口を開かない。我が家のように落ち着いている。手のかからない子、というのが正直な印象だ。
「はあ……ありすちゃんは可愛くて大人しくて良い子だなあ……。このまま一生ここで飼えないかなあ……」
編集さんは隣室でその様子をずっと眺めている。不眠不休でマジックミラーに張りついていたらしい。このままだといつ鏡をすり抜けて襲いかかるとも限らない。その時は僕が守ってあげなければ。
反対に、ミヤコさんは藤城ありすを一切気にかけることもなく、すらっとした足を組んだまま、正装でテレビをじっと観ているのだった。僕は、コメンテーターの勝手な発言が鬱陶しく、報道にはほとんど目もくれなかった。
なんだ、この状況。
玄関の方からチンと軽快な音がした。パスタの解凍が完了したのだ。今時「チン」なんて鳴る電子レンジを持っている法人はウチくらいのものだろう。意外とプレミアがついたりするんじゃないか。
袋から中身を出し、プラスチックのフォークで適当にかき混ぜる。コップに入れた牛乳と一緒にトレイに乗せ、ピエロのマスクをかぶる。
一歩ずつ床の感触を確かめながら、防音室のドアノブをひねる。
本に集中していると思ったが、音に反応してすぐに閉じる。しおりを挟んだように見えなかったが続きは大丈夫だろうか。
トレイを床に置き、藤城ありすとマスク越しに目が合う。まっすぐな瞳だ。犯人の特徴を少しでもつかもうという風ではなく、食事を与えてくれる僕に感謝と敬意を目で伝えてくるような感じだ。いつの間にか正座に変わっている。
「……そんなに気を遣う必要なんてないのに」
つい本音が漏れてしまった。いくら人質の身分とはいえ、僕が小学生の時は年上相手にこんなにかしこまっていなかった。
藤城ありすは口を開きかけて、しかし再び真一文字を結ぶ。
「いや、少しくらいはしゃべってもいいよ」
「……家で言われていますので。人前でだらしない態度をとるなって」
緊張した様子はなく、年相応のかわいらしい声だった。もしかしたら最初のビンタはパフォーマンスだったということにも感づいているかもしれない。聡明そうな子だ。
「きのこ、食べられる?」
「はい。このパスタ、家でもよく食べてました」
いただきます、と両手を合わせ、固い床で正座のままパスタを食べ始める。フォークで器用に巻いて、音を立てずに口へ運ぶ。食べ方があまりに綺麗で、しばらく僕は食事の光景を眺めていた。半分ほど食べたところで、顔を少し赤らめて僕をちらちらと見る。
「ああ、ごめん」そそくさと部屋を出た。
ピエロのマスクを外すと、眼前に目を逆三角にした編集さんがいた。
「シンイチくんばっかり、ずるいよ」
「いや、僕にロリータ趣味はないんで」
「十歳前後の少女というのは、もっとも輝かしいものなんだよ。華奢でふんわりとした体躯、すべすべの肌、丸っこい指先、天使のような笑顔……じゅるり」
「絶対にお世話はさせませんからね。……というか、どうせあの子に編集さんは見えないでしょうに」
僕に霊感はない。お墓参りや夜の学校で怪しい影やオーブを目撃したことなど皆無だ。そもそも編集さんが幽霊というのは自称であって、証拠と呼べるものは存在しない。人間でないのは確かだが、壁をすり抜けられるのは幽霊の特権というわけでもあるまい。
少女の魅力に雄弁をふるう編集さんに、意地悪を言ってみた。
「生前はひょっとして、おっさんの誘拐犯だったのかもしれませんね」
それで捕まって死刑になったとか、とからかったところで、編集さんの表情が消えていることに気がついた。
さすがに言い過ぎたか。女性に対してこの発言はセクハラにしてもだいぶたちが悪い。
「……それはうちも考えたことあるよ」
「え?」
まさかの返答だった。
「犯行声明の台本さ、作ったのうちじゃない? あの子がどうやったら怖がるか、素直に従うかが、手に取るようにわかるんだよね」
口調は真剣で、ふざけて言っているのではないのが伝わってくる。
「あの緊迫した光景をうちは知っているような気がする。テレビや映画のデジャヴじゃなく、当事者として……なんてね」
ふっ、と顔の筋肉を緩め、いつもの柔和な表情に戻る。
「誘拐犯の怨霊なんてごめんだよ。そうだとしたら、生前のうちはむさくるしいおっさんで、この体はそいつの妄想なわけでしょ? 考えたくもないね。うちはうちだから」
ふと、編集さんが両腕を僕の背中に回す。黒のノースリーブ越しに、程よいサイズの胸が押しつけられる。反射的に僕はびくんと体を震わせてしまった。
「『おっさんタックル』。くらった相手は加齢臭に苦しむ」
「……やめてくださいよ」
「……へへ」
編集さんは少し笑って、腕をほどいた。そのまま離れ、壁の中に消えていってしまった。
……傷ついた、のだろうか。
わからない。
でも、あとで甘いものでも買ってきてあげよう。
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