第 捌 輪 【引くも逃げるも勇気が必要】

 両者は男と女である前に大人と子供、その体格差は歴然としている。


 まともに立ち会えば結果は火を見るよりも明らか。


 男には小さな桜香よりも、その後ろ――ある物が視界に入る。


「おん? 随分と威勢良いじゃねぇか。その背負っている〝長物〟。もしかしてお前さんは〝花の守り人〟って奴等かい?」


 予期せぬ言葉に桜香は首を横へ振る。


「違います、違います! えっと、これは――」


(まだ、楓美ちゃんにも言ってないのに! え~と〝刀〟以外で丁度良いの物を言わなきゃ)


 顔を引き釣らせながら滝汗を流し周囲を見回した。


 すると、極彩色に彩られた大きな宣伝文句が瞳に映る。


〝絶品! 漢の冷やしうどん始めました!!!〟


 風でなび暖簾のれんの奥には、鉢巻はちまきをした職人が懇切丁寧こんせつていねいに作業をしていた。


 ――咄嗟の幸運うそが桜香に舞い降りる。


「め、め、めっ、〝麺棒めんぼう〟だっ! ほっほら、うどんをねる道具の!!」


 あまりにも状況と場に合わない答えに、三者三様で驚きの声を上げた。


「はあぁっ!?」


「まぁっ!?」


「そうなんですか!?」


 この時に勇姿を目の当たりにした楓美は、断片的な言葉と妄想を繋ぎ合わせて壮絶なる勘違いをしていた。


(今は亡き母君様のために〝〟を歩もうとしているのですね。桜香様。貴女は何処どこまでもとうとい御方でいらっしゃるのですか? 初めて恋をしてしまいました)


 楓美から桜香への好感度が爆上がりした瞬間だった。


 只一人だけけ者にされ、散々邪魔をされ、挙げ句の果てには子供にも舐められる始末。


 余裕をかましていた男の怒りは頂点に達していた。


「ふざけやがって……。だが、一つ良いことを教えてやる。力がある奴はよぉ、〝何時如何いついかなる場合だろうが、思うがまま好きに出来る権利があんだよ。 たとえば……こんな風にな!」


 不適な笑みをして握られた拳は、桜香へ目掛けて放たれようとしていた。


 瞬間、反射的に瞳を強く閉じる。

 視界は暗くなり来るであろう衝撃に備えたのだ。


 けれど、待てども待てども、やっては来ない。


 次々に襲う疑問、異変、違和感。


 数秒後に眼を開けると急いで身体をさすった。


(あれ、おかしいな。ちっとも痛くない? と言うか当たってない!?)


 理解し難い状況ながら周りに視線を向ける。

 楓美も店主も当の本人である男でさえも、まるで静止画のように止まっていた。


 それは怯えているようにも見える。


「何だか分からないけれど、助かっ――」


 胸撫で下ろした一先ずの安堵も束の間。

 悲痛な叫びが店内中、或いは夜の都へと響き渡る。


「あ"ぁ"い"ぃ"痛でででっっ!? くそっくそっ!! 一体何すんだよちくしょおぉ~!!」


 原因は万力のような握力で手首を掴まれたからだ。

 意図も容易く自然と涙が出るほど、耐え難い強烈な痛みを受ける。


「えっ、何……?」


 半べそをかく男の方を見上げると、更に大きな人影が後ろに立っていた。


 闇夜に紛れて顔は見えず、然れど確かな存在感を醸し出す。


 無言でも確かに感じ取れる圧を放っているが、敵意の無い桜香達へ危害を加える様子はない。


 突然の事態の連続で誰しもが唖然あぜんとした中。


 わらをも掴む救済を求めた楓美。

 まるで神にでも祈るかのように指を絡ませ開口一番に名を問う。


「あなたは一体、何処の誰なのですか?」


 救いの手を差し伸べるように突如現れたその者。

 一切の表情や声色を変えずに冷静かつ淡々と答える。


「私はね〝呉服屋しずゑ〟が大好きな只の常連さんよ。たまたま、通りがかっただけのね」


(この声って女性だよ……ね? でも、あんな大きな男の人を片手だけで押さえ込んでる。凄い)


 思わず感心する桜香の眼前には不思議な光景が広がる。


 互角でもなく拮抗きっこうする力同士のぶつかり合いでもない。


 一方的な実力に伴う支配力により、


 その間にも残りの三肢さんしを乱暴に振るう。


「おいてめえぇぇ離せっっ!! 不意打ちなんて卑怯だぞおぉ!!」


「あら、何かご不満でも?」


 わざとらしく悪戯に微笑み返しながら、男の手首を持って軽々と浮かす。

 甘い吐息を吹かせながら耳元でささやいた。


「気付かなくてごめんなさいね。もしかして怒っていたのかしら? てっきり良く泣くから赤ん坊かと思ってあやしていたのに……」


「おんどりゃてめなめふざばかにしゃっ!!」


 威勢に虚勢と自身を強く見せるため到底、言語とは言い表せない怒号を放っていた。


五月蝿うるさい。静かにして」


 その虚しき抵抗をする身体は、軽々と宙を舞い店外へと投げ出された。


 地面へ数度ほど叩きつけられた男は、くるりと逆さになって向かいの店へと激突。


 女性は口元に人差し指を当て、あわれみを抱きながら鋭い眼光で視線を流す。


 まるで夢幻でも見ているかのように、互いの頬をつねり合う桜香と楓美。


「嘘……。あんな簡単に人が飛んだ!?」


「桜香様。うちは今だに信じられないです」


 女性は手を叩き合わせ鳴らし、ゆっくりと歩を進め店内へ入る。


 一歩また一歩と歩を進めるたび、徐々に明るみになる容姿。


 後方で結われ臀部でんぶまで伸びた長い髪。


 根元から毛先の全てが、息をのみ見惚れてしまうほどの漆黒をまとう。


 特に上唇中央にある黒子ほくろが、色っぽい妖艶ようえんさを演出していた。


 小物から着物に至る全身が黒を基調としており、体の曲線に沿って金色こんじきの線が入っている。


 一段と特徴的な部位は、大胆にもくるぶしから太股ふともも辺りまで切れ目の入っている両側面。


 正に大人の色気でしか表現不可な絶対領域。


「こんな時間に騒がしくてごめんなさいね。私、曲がっている事と野蛮な人は嫌いですから」


 そう言って軽く会釈をした。

 あくまでも強さの誇示こじではなく、謙虚けんきょを貫いていた。


 何れも決着したかに思えたが――声を振るわせた桜香が定まらない指先を外へと向けた。


「ふ、楓美ちゃん。あれ見て、こっちに突進してくるよ!」


「しっかりと見えてますよ桜香様。まだ、助かってないみたいです。今は隠れましょう」


「うん!!」


 二人は店主と一緒に少しだけ離れた場所で、事の行方を見守ることにした。


 往生際の悪い男は、顔を真っ赤にして激昂げきこうしている様子。


 店外で立ち止まると再び挑む姿勢を取り、荒れた心中を豪快に振り撒く。


「許さねぇ、許さねぇぞぉぉ!? さっきは女だからって油断したが、次はそうは行かねぇ。正々堂々〝拳〟でやろうぜ!!」


「ふふっ、以外と根性あるじゃない。見直したわ。入口ここから先は、貴方と私が命をして殺死合ころしあうための境界線よ?」


 袖で口元を隠しつつましく笑う姿には、身から溢れる気品さを兼ね揃えている。


 だが……蝶の羽音のように耳を澄ませても聞こえぬ声で、小さく小さくこう呟いていた。


「〝そこ〟を越えたが最後――〝どちらかが絶命するまで止めることは許されない〟この事を重々承知してくださいね。せいぜい欠伸あくびなど出ぬ退屈にならないように」







 

 


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