第 伍拾 輪【心大体小=勇進来幸】
生喰。寄生。玩弄――
頭の中で繰り返される、眼を背けたくなるような残酷な想像。
最低最悪とされる〝それが〟現実とならぬために、文字通り必死にもがき苦しむ桜香。
「うぅっ、来ないで来ないで来ないでぇぇ!! まだ私、なにもしてないのにここで死ぬなんていやだぁぁぁあ!」
半ば
無論、気合いだけではどうにもならず、いくら血を滲ませようとも意味を成さない。
苦肉の策である肉を切り骨を断たない限り、屈強な男が結んだ紐は解ける様子がなかった。
「逃げたくても逃げられない。手足に力が入らないし縄も食い込んで駄目。このままじゃ……死ぬ」
足掻いても抗っても、現状は変わらず刻々と経過する時間。
まるで人の心を手玉に取っているような、焦れったらしくも着実に迫る恐怖の足音。
「……」
桜香の顔が恐怖で歪み緊張感の針が限界を示す時。
生命を維持するため人が無意識下に行う呼吸は、意図も容易く止まる。
体を抜けるような冷たさを持つ雨風によって揺れる焚き火。
仄かな灯りが不確定で曖昧な影を作り出す。
それは、壁一面では足りないほど大きな形を作り出していた。
(まだだ。まだ、諦めるな私。きっと何か最善の方法がある筈……でもどうしたら?)
いくら気持ちを平静に保とうとも、本能からくる恐怖には打ち勝つことは容易ではない。
不快な冷や汗が、鼓動の高鳴りが、根本的な身体の芯から震えが止まらない。
差し迫る〝死の覚悟〟がままならずに固く瞳を閉じた。
「もう、嫌だよ。上手くいかないことばっかりだ。誰でもいいから助けてよ……お祖父ちゃん……お母さん……」
そっと小さく呟くと、人から託された沢山の気持ちを胸に秘めた。
何度も何度も何度も、心の温かさを持って祈り続けた。
「一度でいいから会いたかったよ。お父……」
もう駄目だと、無理なんだと、生を投げ出し諦めかけたその時だった――
「きゅいっ♪」
足元から聞き覚えのある、愛くるしい鳴き声がした。
想定外の出来事に桜香は分かりやすく困惑する。
(ん? ん? ん!?)
頭上に羽を生やした沢山の〝?〟が浮かぶ。
眉間に皺を寄せながら首を横へ傾ける。
想像の遥か斜め上を行く展開に、脳が混乱の
(あれ?。今……〝きゅい〟って聞こえたような気がする)
しかし、勝手な思い違いかも知れないと強く思う桜香。
眼を閉じていても
恐る恐る薄目をすると、七星の模様が特徴的な生き物がちらついていた。
(もしかして、
自身の嗅覚に背中を押され意を決して瞳を開く。
髪が雨濡れで潤ったせいで、少しだけ視界がぼやけていた。
まるで雫の中に溶け込んだ絵の具のように、淡い色がぼんやりと見える。
それでも目立つ赤い体型に黒い七つの星。
屈強な男達が腰を抜かすほどの咆哮を轟かせた元凶が足元にいたのだ。
「なっ……七ちゃん!? どうしてここに?」
桜香は驚きを隠せないのか思わず叫ぶ。
両手程もある
能天気に前足を上げて『元気してた~?』と、気軽に挨拶するように鳴く。
「きゃきゅ~きゅっ!」
「相変わらず何を言ってるか分からないけども!! 来たのが七ちゃんで良かった~……本当に本当に助かったよ! 痛い痛い縄が食い込んでるぅ」
何だか肝を冷やして損をしたような、会えて嬉しいような……。
そんな考えが吹き飛ぶくらい、喜びの声をあげながら揺れる桜香。
すると、七ちゃんは六本の足を駆使しながら、仕草を交えて熱心に何かを伝えようとしていた。
「きゅきゅっ~! きゅきゅいきゅるるぅ~!? 」
七ちゃんが必死に伝えようとしていたのは――死亡した鬼灯のこと。私腹を満たした薊馬のこと。更に村へ迫る危機のこと。
それを静かに見守りながら時折、理解したように頷く桜香。
元気な声を張り上げて数秒間の沈黙を破る。
「うん! 全くもってさっぱり分からないや!! 何だか分からないけども分かった気もするし……。取り敢えずこの縄をどうにか出来ないかな?」
僅かに感覚の残る指で天井の縄を指し目線を送り合図した。
この時、〝種の壁〟を乗り越えたのかは定かではない。
足に生えている棘を包帯に引っ掛かけながら、垂直に勢い良く登る七ちゃん。
「あははははっ!ちょっとくすぐったいよ~!?」
途中、過呼吸で笑い死にそうになりながらも登頂するまで耐え凌ぐこと数分後。
七ちゃんは桜香の言う通り、小さな歯を使い
長時間の宙吊りも我慢の限界を迎えて、ようやく解放されると安心した桜香。
「はぁはぁ……。よ……ようやく、縄まで着いたみたいだね。これでやっと、自由になれる!!」
しかし、安堵やぬか喜びも束の間。
待てども一向に縄が切れる気配がない。
代わりに明らかな異音を耳にする。
硬くて、鈍くて、甲高くて、響き渡る――そう、金属音。
嫌な予感に
「ま・さ・か~……」
二つの綺麗な桜色をした瞳の先。
七ちゃんは有ろう事か、縄ではなくその上にある金輪を口一杯に含み噛んでいたのだ。
「ぎゅ~。ぎゅ~。ぎゅぅ~っ!!」
まるで金槌で強打するように、閉じては開いてを繰り返して何度も挑戦していた。
そんなことをすれば、切れるよりも早く七ちゃんの歯が壊れる。
否、張っていた気力さえも、自身の非力さを悟り急に意識が遠退いていく。
「あぁ……幾らなんでもそれは無茶だよ七ちゃ――」
ついに我慢は限界を迎え、無気力な宙吊りの人形と化してしまった。
十五年分の記憶は巡りゆく走馬灯となって後悔の念を抱く――
筈の桜香だったが、直後に地面へと叩き付けられる。
「ちょ、
上を見れば噛み千切られた金具。
手を縛られたまま身体を起こすと、七ちゃんがしてやったりの顔をしている。
『よぉ、姉ちゃん! 一仕事してやったぜ』と言わんばかりに
「きゅいっ!」
と、とても元気に鳴いて宙を飛びながら縄を一瞬で噛み切った。
(えぇ、七ちゃん飛べるの? 私のくすぐられた時間は何だったんだろう……)
疑問も然ることながら拘束から解放された手首は、酷く
食い込んだ縄跡を残して
「あのね。分からないかもしれないけどさ。七ちゃんが来る少し前。あの時、もう一つ声がしたの。とても哀しそうで、寂しそうな……」
心当たりを語った桜香は、
「さっ、早く青葉君達の村へ向かうよ!」
「ぎゅっっっいぃ~!」
「うわっ、びっくりした!? あ、さっきのは七ちゃんのくしゃみだったんだね……」
耳元で繰り出された爆音に驚く桜香。
どうやら〝獰猛な咆哮〟ではなく、濡れた体によるくしゃみだった。
一人と一匹は待雪達が出た裏口とは、逆の正面入口から豪雨の中を駆け出す。
桜香の肩に当たり前のように乗る七ちゃん。
もう誰かが傷付くのも、たった一つの命を失うのも見たくはなかった。
確かな想いだけが桜香の身体を突き動かしていた。
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