第 参拾肆 輪【不穏な空気】

 奥の村長席へと歩み、青葉が握り締めた巾着を手に取る。


「お祖父ちゃん、これ大事な物でしょ? 忘れちゃ駄目じゃない!?」


 平常時は寡黙だった祖父の前へ差し出すと、頬を赤らめながら

「おぉ、すまんすまん。今日は、万年青も一緒に来たのか!どれ、久方振りに皆の者と情報を交え――」


 言い切る前に浜悠は、自らの言葉を重ねる。


「ううん。今日は。夕方には帰るんだよね? ご飯作って待ってるから」


 そう言い残すと表情の固い青葉の頭を撫でながら、周りなど見向きもせずに広間から出てふすまを閉める。


 その間際、遠くで声がした。しかし、2人の耳には届く事はない。


 祖父の口癖の様に釘を刺す内容はこうだ。


「分かっていると思うが、くれぐれも


 この何気ない一言は、人々からなる喧騒の波に呑まれていった。


 浜悠達が家路へと向かい、しばらく互いに無言の状況が続く。


 幾度も慣れ親しみ歩んだ道でさえ、当人の気分次第で全く違う光景に見える。


 沸々とした思いを胸に、長い沈黙を破ったのは青葉だった。


 怒り心頭でしかめっ面をしながら、とても不機嫌そうに吠える。


「何だよあいつら! 姉ちゃんの気持ちも知らないでさ!」


 闇雲に暴れようと周りに当たり散らそうとする青葉。


 小さな手を優しく握り、僅かな力加減で制止させた浜悠。


 幼い上にまだ感情を制御出来ない震える体。


 その目に涙を浮かべ見上げながら、自身が言われた事の様に悔しさを口にした。


「いっその事、〝未蕾刀それ〟で黙らせればいいのに! お姉ちゃんが守ってる命なんだぞ!もっと感謝してもいいのにさ……」


 背にある刀を指差しながら、溢れ出す涙で口ごもる。


 弟が間違った〝行いや言動〟をすれば、正しき道を教えるのが姉として責務。


 浜悠は背にある刀を眼前まで持っていき、自身と青葉の間に突き立て


「こらこら、あまり物騒な事を言わないの青葉。心で思ってても口に出したら駄目よ? 〝花の守り人の刀〟はね。持ち主自身の〝魂〟なの――」


 おもてを上げた青葉のにじむ視界に、鞘の翠が鮮やかに映える。


未蕾刀これはね、植魔虫を斬る唯一無二の武器にもなれば、私達を見ただけで心が救われる人だっているんだよ?」


「人ってさ。何気ない日々の中で、誰かの命の上で成り立っているの。それを理解出来ない内は、まだまだ子供おこさま


 「むぅ~」と、頬袋に空気をためて膨れる弟の事を気遣ってか、珍しくこんな提案をした。


「ふふっ!。 青葉は本当、顔に出るね。少しは〝悪い空気を〟抜かないと、我慢して溜めていたらいつか破裂しちゃうよ?」


 長引かせないために両手を鳴らすと、自身で話を打ち切る。


「はい!小言はここまでにして、ちょっと気分転換にお散歩でもしようか?」


 軽い気持ちで誘う浜悠の表情は、自信と勇気に満ち溢れている。


 きっと――姉なりに気を使ってくれたのだろう。


 危険意識の高い浜悠に限って、普段は絶対に口にしない筈なのに。


 ふと、祖父の言い付けを思い出す青葉。


〟それが脳裏に繰り返される。


「でもさぁ~、おいらと一緒に出たら爺ちゃんに怒られちゃうよ?」


 どうしても1歩が踏み出せずに悩む。

 

 見かねて「ほれほれっ」と、左手を開いては閉じてを繰り返しながら待つ浜悠。


 握り返されないのをわずらわしく思い、口元に人差し指を当てながら悩む。


「ん~そうねぇ。ここら一帯の〝植魔虫〟は討伐してきたから大丈夫だよ?。 もし、早めに帰ったら2人で謝れば許してくれるし……。まぁ、難しいことは抜きにして、それでは出発~!!」


 無理矢理に腕を引かれた青葉の眼に映るのは、記憶の奥底に眠る〝母〟の面影だった。


 ――この世界を広くみれば、たとえ平等ではなくとも〝時〟が忘れさせてくれる。


 お腹を痛めて産んでくれた人は、、けれども寂しくはない。


 姉であり、母であり、大事な家族でありながらも身を削って守ってくれている。


 そんな浜悠の事を、とても誇りに思う青葉。


 2人は順当に進んだ帰路を外れ、まだ陽が照りつける森の中へと入る。


 この時の浜悠は――大きな間違いを2つ犯していた。


 1つ。多くの者達の中から選別され、強大な力を持つが故に定められた掟。


 恵まれた才や力が有りながらも、〝決して過信せずにおごるべからず〟。


 これは、どの様な経緯や思想でさえ、何時如何なる場合にいても絶対である。


 2つ。突如として現れた異質な存在に気付けなかった事。


 誰にでも流れる時は、無情であり残酷な概念だ。

 止まることもないし、眼を閉じても進み続ける。

 あの頃に戻れたら……それが叶うのは先にはない遺物。


 悔やんで悔やんで、胸を痛めたって――結果の出た〝現在いま〟となっては、もう遅かった。


 

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