第 拾 輪【蒼天の空を眺める七星の姫】

  手の中にあった花の声はいつしか――桜香の耳に届く事はなかった。


「ごめんね、痛かったよね……」


 涙ながらに声を発する桜香に対し、普段ならば「道端の花に話しかける何て変だ。どうかしてるよ」と言っていただろう。


 しかし、そんな言葉はだと、目の前の光景を見て少年は実感した。


 たかが花一輪、されど花一輪――果たして、この世界でこんなにも心を打つ光景があっただろうか?


 桜色の瞳から溢れる涙を流し、頬を擦り寄せては自らの罪を償う様。


 己の気持ちを前へ出すと見えてくる物がある。

 限りなく視野を広げ、〝意識〟して始めて分かった気がした。


 自らがと、心の奥にあった言葉の意味を――


(こんな所で挫けちゃ駄目だ……困った人が目の前にいれば助ける。やるべき事は今やらなきゃいけない事!!)


 覚悟を決めた桜香は、手元の一輪花を木の根元まで持って行く。


 汚れる事や怪我を恐れず、小さな花のために地面を掘る。


 両手の指に力を込める度に、爪が反り返りそうな痛みが全身に巡るかの如く襲う。


 途中、見かねた少年が「俺も手伝うよ?……」と言ったが、桜香は無言で首を横に振った。


 それから時は過ぎ一切の妥協や弱音等吐かず、一心不乱でとむらう様な丁寧さで掘り進めた。


 辺りには、冷たい夜風が吹き抜ける音と土の音が静かに響いている。


 まるで森全体を支配する様な闇夜が、桜香と少年の輪郭を徐々に呑み込んでいく。


 天上に散りばめられた無数の星達の光は、淡い輝きを放つ。


 その後、不器用ながらも即席で小さな穴が出来上がると、両手で優しく花を底へ置き、横へ積まれた柔土を被せる。


 時折、小声で話し掛けたり微笑んでいる桜香。


 少年に〝花の声は聞こえていない〟――そんな事はお構い無しの桜香は、地面に指で何かを書いている様だった。


「良しっ!ちょっと不器用だけど完成……!!」と、控えめに喜びの顔を見せる。


 暫くして土で汚れた手を使い、顔を擦り付けながら少年の方を振り向く。


「さっきはいきなり泣いてごめんね。私は、もう大丈夫だから。協力して一緒に悪事を暴こう!」


 そう言って屈託のない笑顔を見せ、思いは心に留める。


 決して振り返らずに前を見つめる桜香に、少年は恋心にも似た心臓の高鳴りを感じた。


(泣いたかと思えば直ぐ笑顔になるなんて不思議な奴だな……)


 あまりにも真っ直ぐな桜色の瞳に、少しだけ照れる少年は「ふぅっ……」と、一呼吸置いてから言った。


「おいらの名前は〝青葉あおば〟これからよろしくな!」と手を伸ばす。


 答えるように「へへっ、改めて私は桜香だよ。こちらこそよろしくね!」と返す。


 青葉の手を握りながら立ち上がる桜香。


 無意識にやってしまったが、青葉の温かい手が桜香の手と交わる。


 すると、あまり異性と関わった事のないのか、立ち上がって互いに直ぐ手を離す。


「じゃぁ……戻ろうか」と、照れを紛らわす様に青葉が頭を掻きながら言う。


 「うん。そうだね……」とだけ返す桜香が青葉の顔を覗く。


 横顔から見える頬は、ほんのり桜色に染まっている気がした。


 夜道の中、二人で村へ帰る道中、他愛もない会話をした。


 良くある好き嫌いの食べ物の話や、最近の趣味や身近な話等。


 互いに直感で触れてはいけない気がして、両親の事は会話には出なかった。


 同じだなって感じたのは〝花の守り人〟になって大事な人を守りたいって事。


 二人の出会いは最悪だったが、歳が近いせいか仲良くなるには丁度良い距離を歩いた。


 まるで本当の姉弟の様に笑いながら帰る後ろ姿は、なのかも知れない。


 桜香と青葉、二人が離れてから数時間経った頃。


 地面に指で書かれた文字が、月の光に照らされて浮かび上がっていた。


 そこには真っ暗闇で下手くそながらも、一生懸命な字でこう書かれていた。


〝ごめんね。また何処かで〟


 小さく書かれた文字は、日が経てば消えてしまう儚い言葉かもしれない。


 しかし、桜香の心と記憶には永遠と残ることになる。


 命の灯火が消えようとも、決して無駄にはならない。


 それは、


 ★


 夜遅く村へ帰った二人は、二言程言葉を交わすと各々の寝室に戻り、桜香は誰よりも早く起きて出発すると告げていた。


 自分が目を覚ます頃には居ないだろう。


 そう思うと少しだけ寂しい気がするけれど「」と言っていたから、また会えると影ながら楽しみな青葉


 桜香と青葉の結束を固めた夜が明け、やがていつも通りの朝がやって来る。


 起床の時には〝鶏〟や〝牛〟等の家畜達の鳴き声で起きるのが日課だ。 


 しかし今日はいつもと違って、鳴き声は聞こえない代わりに人の怒鳴り声で飛び起きる青葉。


 寝惚ねぼまなこをこすりながら扉を開けて外を出る。


 視線の先には、怒り心頭でざわめく村人達の姿があった。


「おかいしいぞ!昨日までいた家畜達が居なくなってるわよ!」


「みんな大変だ! 村中の食糧もないぞ!? 誰がこんな事を……」


「最近、ここらで出没しているって奴の仕業じゃねぇのか!?」


 そこには村長含めた村人全員と『まぁまぁ、みんな落ち着いてよ』と、詰め寄られながらもなだめている鬼灯の姿が青葉の瞳に映った。


 異様な光景を目の当たりにした青葉は、咄嗟とっさに「おっ……お前の仕業だろっ!!」と、鬼灯に指を差しながら大声で叫んだ。


 突然の出来事に村人達全員の視線を一手に引き受けた青葉。


 しかし、この状況にもかかわらず鬼灯だけは


 わざとらしく「あーそうかいそうかい。何か気分が悪くなってきたわ」と言いながら、人波を避けて歩く鬼灯。


 背を向けた鬼灯は表情を悟られない様に「そんなに疑われちゃぁ……しょうがねぇな。


 気の抜けた声を発しながら森へと歩き始めた。


 希望を捨てず必死に繋ぎ止めようとする者や、絶望して泣き崩れる者が現れる。


「そんな……〝森の魔物〟が討伐されていないのに、俺達はこれからどうしたらいいんだ……」

「〝花鳥風月〟の鬼灯様が居なくては、夜も眠れないわ……」


「こらっ青葉!。 今すぐ鬼灯様に謝りなさい。鬼灯様はこの村に無くてはならない存在じゃぞ!!』」


 阿鼻叫喚あびきょうかんとなっているこの場所で、村長の一言により束の間の静寂が訪れる。


 杖を着きながら左右に人波が割れると、村長が青葉の前まで歩いてきた。


「ふぅ……」と長いため息を吐きながら、真っ直ぐに青葉の目を見ながら口を開いた。


わしの娘……が植魔虫に襲われたのは今でも後悔している。沢山の命が奪われて残ったのは30人程これだけじゃ。年老いても守らなければいけないのが村長の務めなのを理解してほしい……」


 祖父である村長の思いを青葉。


「嫌だね!! 花の守り人って〝嘘つき野郎〟に謝るもんか!」と涙を浮かべながら再び鬼灯に矛先を向ける。


 青葉の言葉に立ち止まる鬼灯は「おっと……。1つ世話になったよしみだ。昨晩、桜香ちゃんの部屋でこんな物をんだが――」


 と言いながらすそに手を入れ、丸く膨れた小袋を出してきた。


 小さく結ばれた蝶々結びを、時間を掛けてゆっくりとほどいていく。


「こうなりゃぁ、答えは単純だ。突然現れたかと思えば、知らぬ間に消えた少女と残された小袋――その中身は……」


 鬼灯の言葉に固唾を飲んで見守る村人達と、中身に気付く青葉。


 勿体振る様に視線を独り占めした鬼灯は、得意気に笑みを溢しながら高らにを上げた。


「大方、村を混乱させようとしたみたいだが、この鬼灯様には見破られたみたいだな!!」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべる鬼灯。


 陽の光に照らされたおかげか丸みを帯びた赤い体に加え、黒色の星模様が見る者に強烈な印象を植え付けた。


 その正体は――寝起きの様に惚けている。


「きゅきゅきゅい?」


と、可愛らしく鳴いている七星天道虫ななちゃんの姿だった。






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