第 捌 輪【いつだって小さき命に感謝を忘れるな】

 ――「え?……」


 少年の無慈悲な言葉に、時間が止まった様な感覚に襲われる桜香。


 自身でも理解出来ない行動だが、感情に任せ家屋を突然飛び出し、裏手の森まで走っていた。


 それは特に宛もなく、疲弊した体に鞭を打ちながら我武者羅がむしゃらに体が動いている。


 必死に制止する少年の声でさえ、今の桜香の心には届かない。


 辺りは、深い闇が森を包み込む静寂な夜。


 灯りもなく道さえない空間で、つまづきながらも前へ前へと足が歩を進める。


 幾分も休まずに森の奥へ進み続けると、互いに息が切れてきた様に緩まる足元。


 桜香は冷たい夜風に火照った体をさらされて、ようやく我に返る。


 しかし、再び自らの意識を取り戻した時には、幼子の様に涙を溢しながら絶叫していた。


「お母さんのかたなぁぁあ……!!」


 突然、膝から崩れ落ちながらそう叫ぶと、ぶつけようのない怒りを罪の無い地面へと向ける。


 隣には少年の声がして「なぁ、悪かったよ……俺が責任を持って必ず探すからさ?」と言っていた。


 慰める様に優しくそう言うが、彼はきっと植魔虫の怖さを知らないのだろう。


 危険を承知で飛び出したけど、ここには必ずいるだろうし、私達が


 もし無防備の所を植魔虫ヤツらに襲われたら?


〝花の守り人〟でもない少年少女二人で、一体なにが出来るの?


 そんな事を脳内で巡らす度に悲しくなる。

 何も守れていない自分の〝無力さ〟と、って思っていた〝無知さ〟に――


 そんな言葉が頭の中で渦巻いていると、余計に悲しくなってきた。


 ぶつけようのない怒りと気持ちのせいか、桜香の額は地に伏していた。


 地に吐いた連続する呼吸がはね返り、赤らめた頬を冷たい空気が撫でる。


「ひどいよぉぉおっ!! あんまりだぁぁあっ!!どうして、私だけがこんな目に合うの……」


 小さな爪が反り返りそうになる程に、草花が生える土を握りしめた。


〝祖父の死〟〝刀の盗難〟〝傷だらけの体〟。


 この、数日間で不幸を積み重ねた桜香には、もう既に我慢の値が限界を越えていた。


 膝から崩れ落ちる桜香は、堪えていた涙が地面を濡らす。


 感情もなく、反撃もなく、ただ一方的に感情に支配された自分勝手わがままを行う。


 何度も。何度も。血が出るまで何度だってやり続けた……それこそ気が狂うほどに。


 感情任せに泣き崩れてから、幾時が流れたか自分でも分からない。

 少年の声が聞こえない程に、鼓動の高鳴りが体を支配している。


 もう自我が保てなくなりそうになったその時、


 今にも消えてしまいそうな、か細い声で「痛いっ。止めてよ……」って、必死に叫ぶ何かの声が……。


 顔をあげた桜香は周囲を見回したが、人らしき者はいない上に、仄かな温かさがにあった。


 泣いたかと思えばいきなり辺りを見回す桜香に「どうしたの? 何も言ってないよ?」と、少年は困り顔で言った。


 我に返った桜香の手中には、夜更けにより黒く染まった土や草、それから小さな花の姿があった。


 艶やかな花弁は無惨にも散り散りとなり、太陽に向かって真っ直ぐ伸びきっていた茎。


 無情にも不規則に曲がっている1輪の名も無き花。


 人間は時として無関心である――自分だけが前を向いて歩けば良いと、当然の如く思っている生き物だ。


 だが、自由に出来ない花や草や木はどうだろう?

 人の様に怪我をしても、病気になっても、自然災害にも対応は出来ない。


 全ての命ある物はと接触して始めて、生き長らえることが可能と言える。


 花は生まれる場所や環境など選べず、風が運んだ地で生まれ育ち、やがて子を生み落として種を繁栄させる。


 そうして生まれ育った地で生涯を終える事が出来るのは、全体を見てもきっと一握りである。


 しかし、花や草木と意志疎通いしそつうの出来る者が、実はに存在していた。


 この時まで本人でさえ気付かなかったことがある。

 桜香は産まれ持った〝才能〟が備わっていた。


 ――〝自然心交しぜんしんこう


 それは、一部の動植物と意思の疎通が出来る〝天賦てんぶの祝福〟。


 では何故、この日この場まで自分自身で気付けなかったのか?


 答えは母の三月が幼き桜香に伝えた言葉にある。


 戦場の最前線に立つ〝花の守り人〟の三月は、やがて娘に会えなくなる日が来るのを知っていた。


 過酷な任務が終わる度に、時間がないながらも〝母としての言葉〟を、いくつも残してくれていたのだ。


 「私達が挫ける度に強くなり、再び歩けるのは……があるからよ?」


「良い桜香?……人は人だけを思っていては駄目。鳥だって、道に生えている草花にだって、私達みたいに言葉は話さないけど、〝呼吸〟をして〝命〟ある限り精一杯生きているの」


 「――小さな命に感謝しなさい。そして……




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