第3話 殺人鬼と勇者 3
「どぶぅへぇ!?」
強烈な衝撃に視界が明転。
後頭部、背中、肘、膝ーー。
すべてがジンジンと痛み、この私に床のうえでイモムシみたいに悶えることを強制させる。
なにが起こった。
なにが起こっている。
えらく頭が痛い。
反転した世界をりんごが転がっていく。
私はさかさになっている?
あぁ、なるほど。
私はどうやら投げられたらしい。
人生で初の体験だ。
この私が無様に投げられるなんて。
というよりなんだ。
魔術の学徒であるクリスに、なぜこんな力が……。
「先生、あたしは先生の病気を必ずなおしてみせる! だから、今は頭を冷やしてください!」
歩み寄ってくる足音。
床に頬をこすりながら、目だけで見あげる。
クリスに正体がバレた。
こんなヘマするなんて始めてだ。
1秒でもはやく、彼女に逃走される芽を積む必要があるな。
「う、ぐ……っ、クリス、そういうわけには、いかない、よ!」
痛む身体をにむちをうつ。
腰のホルダーにおさまった杖の、グリップにわずかに手をかけ、彼女に掛けた魔法を最速で作動させる。
「げほっ、かっ、はは……≪ラバーズ・ボンド≫、発動……私のオリジナルスペルだ。
クリス、君はもう指一本、エーデル語1単語でさえ、動かすことも、発声することも叶わないだろう」
目を見張り、驚いた表情のクリスはぺたぺたと自身の体を触って、なにかをたしかめている。
そうだ、存分に確かめるといい。
君はもう何もできないのだから……ん?
待てよ、どうして君は体をぺたぺた出来ている?
「あの、先生……先生の魔法、あんまり効果ないみたいですよ」
「……ッ!? 馬鹿なっ! なんでさっきから! クソっ!」
思いどおりにかからない魔法。
イライラしてきた。最悪だ、気分が悪い。
もういい、さっさとバラバラにしてやる。
「今度は手加減なしの、悪魔の力を見せてやろう……っ!」
「先生、たぶんそれ意味ないんで、もうやめてください!」
「うるさいッ! 私の魔法が、能力が効かないはずがないんだ!」
服は汚れるし、背中は痛い。
魔法の調子は悪いし、悪魔の力も働かない。
クリスには馬鹿にされ、あわれむ目を向けられる。
あぁ不快だ、本当に嫌な気分だ!
こんな予定じゃなかったのに!
「もう死んでくれ、≪ドリームランド≫よ、クリスの皮を持ってこい……ッ!」
困った顔でたたずむクリスへ、ふたたび右手を向けて能力の馬力を最大にして発動する。
ーーハグリュリュッ!
「ッ、先生の魔法? いったいこれは!?」
「クリス、私を甘く見たツケを払う時が来たようだな!」
クリスのまわり、床にイス、天井も家具すら裂けていき、次々と粉状の粒子に変わっていく。
彼女の部屋着も裂けていき、だんだんとその白い柔肌が、布地のしたから溢れるように露出してきた。
なんて、なんて、えっちなんだ……。
「きゃあ!? なに、これっ!? どスケベな、いや、先生、やめっ、ちょ! 先生ぇえー! 先生はこんなスケベのために魔法を磨いたわけじゃないでしょ!?」
目の端に涙を浮かべ、訴えかけてくる少女。
凄まじいエロスを感じるが……そうじゃない。
「先生は、先生はそんな、ケダモノじゃ、ない……はずっ!」
「あ・た・り・ま・え、ダぁ! ぐぐぐ……ッ! なぜだ、なぜクリスを解体できないんだ!?」
私は困惑していた。
どれだけ≪ドリームランド≫の出力をあげても、クリスの衣服が破けて、彼女が赤面して恥ずかしがるだけだからだ。
これでは私は、粗野で低俗な性獣とやってることが同じではないか。
「うぐっ!?」
突如として襲ってきた頭痛。
まずい、能力限界がきたか。
悪魔の力は人間の身にあまる。
身に宿すだけで、法外な寿命を支払い、使用するのにもまた、残された時間を削る必要がある。
それに加えて一定の使用限界もある。
やれやれ、便利だが、本当に割にあわない力だ。
「がっ、ほぉ、っ!」
口から塊のような血を吐きだし、膝をつく。
「先生! もうやめて! 先生は変態て病気持ちなのはわかりましたから! もうそんな体で無理をしないでください!」
布切れしか着ていない、ほとんど痴女みたいなクリスが、涙をながしながら駆け寄ってくる。
もうろうとする意識。
柔肌の豊満な胸に顔をうずめ、温もりのなか、いつしか私の意識は暗闇のなかへ誘われていた。
⌛︎⌛︎⌛︎
目を覚ました時。
私は知らない天井を見つめていた。
上体をおこして、体をひねり、腰の関節をならす。
五体に問題はない。
手も足もある。
目も耳もしっかりついている。
残る痛みは、わずかな頭痛だけだ。
体に問題はなさそうである。
だが、いったいここは?
特にこれといった特徴を感じさせない部屋。
簡素な木机に、木製の椅子、窓枠に赤いカーテン。
手をつくベッドの布地はやわらかく、なかなかに上等な良い品質。
中流階級の部屋、それがひとことでこの部屋を表すための言葉といえる。
私はベッドからおりて、足下にあったスリッパを履いた。
ふと、ベッド脇の小棚に書き置きが残されていることに気づく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先生へ
先生は病気です、それも重症です。
でも、安心してください。
必ずこのあたしが先生を救ってみせます。
先生を助けるにあたって、まずは先生がどんなことをしていたのか知る必要があります。
まことに勝手ではありますが、先生が寝ている間に、先生のご自宅を調べさせてもらうことにしました。
先生はご自身を連続殺人鬼、スキンコレクターと名乗っていますが、あたしには未だに信じられません。
この目で確かめさせてもらいます。
クリス・スレアより
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……って、待て、待て、待て待て待て。
「クリスッ! クリィィースッ! クリスどこだ! なぜ私の家の住所を知っているか気になるが、とにかく早まるなぁあ!」
私はスリッパを放りだして急いで走りだした。
「ぅ、う、まだ体が痛い……」
廊下へでて、階段をくだり、自分がクリスの家の2階に寝かされていたのだと知った頃。
私は同時にクリスがこの家にいないことも悟った。
まずい、まず過ぎる。
はやく彼女の息の根を止めなければ、私の芸術家としてのキャリアが終わってしまう。
私は痛む体をひきずって、クリスの家をとびだした。
⌛︎⌛︎⌛︎
大嫌いな運動。その1、走ること。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ」
私はかきたくも無い汗で全身を濡らし、自宅の玄関前にたどり着いた。
もう最悪だよ、はやく体を清めなけば、
ーーカチッ
時刻は23時21分。
懐中時計を内ポケットにしまいこみ、腰のホルダーの杖に手をかける。
しまった、杖がない。
さっき気絶した際に、クリスに没収されたのか。
「だが、スペアがある。悪魔の力もある」
右手を見つめて、ぎゅっと握り拳をつくる。
「クリィィィス! いるのはわかっている! 今すぐに出てくるんだ!」
右の関節を鳴らしながら、乱れたオールバックを撫でつける。
今すぐに、今すぐに精神の安泰を確保しなければ。
気が触れるそのまえに!
書斎からスペアの杖を取って地下室へむかう。
「っ」
開いていた。
地下へ道を閉ざす金属扉は、開いていた。
どうしてだ。
私の≪ドリームランド≫がなければ、開けることなど出来るはずがないのに。
急いで扉をあけて、杖を構えて地下室に突入する。
そこには案の定、クリスがいた。
なぜか私の猫たちを、足元にはべらせているが、そんなこと些細な問題にすぎない。
「クリス、見たな……私の、私の一番大事なものたちを……勝手に、私の許可なく、悪意で侵害したな!」
怒鳴り、手首をかえして杖をふる。
もう殺す、いい、いいよ、殺してやる。
極めて強力な火属性式魔法ーー≪
「先生、安心してください、私が救ってみせます」
「ーーッ」
魔法が着弾するまでの極めて短い時間のなか。
私はクリスの声をたしかに聞いた。
刹那、私の視覚のなかで不思議な現象がおきる。
クリスがなにも持ってない空手が、空中を
火の粉散る、赤い粒子とともに
ーーほわっ
私の放った魔力が弾かれ、地下室に飛散する。
視界を埋め尽くすは紅蓮の烈火。
作品たちが燃えていき、暗い部屋を明るく照らす。
私は芸術が焼失する絶望よりも、いま目の前で
「私はすべてを救う。そのためにこの命を、継承するアレスの力を授かった」
真っ赤に燃える地下室。
そのなかで、ひときわ美しく彼女の緋瞳は輝く。
髪の毛は毛先だけ赤かった金髪から、そのすべてが紅色に変わっている。異常だ、この子は異常だ。
「く、クリス、君はいったいーー」
「この身の本当の名はクリス・アレス」
この世界の人間なら誰でも知っている継承名。
ああ、なるほど、どうりで強い……。
「あたしは勇者です、先生」
彼女は燃え盛る炎を背に、ニカっと微笑んだ。
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