第169話 耳を掩うて鐘を盗む

 無機質で冷たい道をヨワンは進む。

 左右の鉄檻からはうめき声や叫声が聞こえてきて、鼻をつんざく汚臭は心を揺らしてくれる。

 たった百歩ほどを進んだだけだろうか、それとも一つの人生を孤独に歩き通したのだろうか、理解もできずに進みきった先に不肖の弟がいた。


「魔人討伐以来ですね。壮健そうで何よりです」

「黒剣……そうか……」

「お察しのとおりです」

 

 この男は祖父を失ったのだろう。敵討ちのために王都に来たと考えれば合点が行くものだが、そこまで浅い男だと推して良いものだろうか。


「何をしに来た。王家の名誉を穢すつもりならば容赦はせん」

「兄上、もうアルファルドは力の大半を失っています。蟲に声を拾われることも、空に目が浮かぶこともありません。ここでは何を話しても──漏れはしませんよ」

「世迷い言を」

「指輪は破壊されました」


 氷のように冷たい瞳を見せるアンリだ。

 王宮にいた頃と同じ、久しく見ていなかったそれ。

 恐らくは、この男の本質はこれなのだろう。


「そうか」

 狂王の指には指輪が嵌まっていなかった。

 民衆の目からすると王冠を被っているものが王となるのだろうが、尊い血を引くものならば指輪が王位の正当性を象徴していると知っているもの。


「王位が欲しいか?」

 ヨワンは弟に問うた。

 

「いいえ」

「世のために剣を振るう気になったか?」

「それも違います」

「ならば……」


 祖父と母の仇を取りたいのか、とは言えなかった。


「兄上はどうやってアルファルドを殺すつもりですか?」

「……奴を殺し、その場で自害する。それしかあるまい」

「過去に試みた者が居なかったとでも? 兄上ならば調べたでしょう……奴がどうやって生き延びてきたか、備えてきたかを」


 確かに二百年前に、アルファルドを殺し、自害したものが居た。

 だがその男はその場で蘇生され、アルファルドに魂を乗っ取られたのだ。大胆不敵に見える狂王はその実、臆病なまでに備えている。


「簡単ですよ。兄上がアルファルドになられればいい。俺は大剣闘祭グラン・テアトルムで無様に負け、王位をお譲りします」

「それで何が解決する。先送りにしても、いずれ狂王の気持ち一つで全ては瓦解する」

「ははは、まさか兄上が……天下の往来で少女を助けるとは思いませんでした。これで俺の計画は一つ前に進んだ」


 アンリが口元を歪めて笑った。

 泣いているような、喜んでいるような、複雑な顔を見せる。


「悪の王子を善なる王子が成敗する。かつてのターウの復讐は成就し、アルファルドは次の体を決める。これはあの男が望んだ流れ」

「問題はいつ、あの男が私を殺すかだ」

「護衛にミスリルゴーレムを付けます。奴は無生物に殺されることを何より恐れる。そして盤上の駒が勝手に動くことを厭う。この場は踊らされるしか無いのです。次の策は生き延びてから、それから考えればいい」


 大剣闘祭グラン・テアトルムの次は王の親征があるはず。

 戦いの混乱に乗じ、何か策を講じるべきだろう。貸すと言われたミスリルゴーレムを使えば、公算は大きい。


「それはそうと……アロウ殿の葬儀には参列したか?」

「いえ……俺にその資格はありません」

「説教はせん。だが悔いは残すな、私はお前を殺すかもしれんのだからな」


 ヨワンは踵を返す。

 この交渉は考慮に値しない。推論ばかりの口先だけで、アンリそのものがアルファルドの手先だという可能性もあるのだ。


「待って下さい」

 アンリの声、重なるようにリンと小高い音が鳴った。

 鈴の音だ。

 それも恐ろしいほどに、不自然なほどに澄んでいる。


「それは誓いの聖鈴ベル・オブ・オウ……?」

「俺この鈴に誓い、兄上に王位を譲ります」

「……ならば私は何を差し出せばいいのだ」


 アンリがゆっくりと立ち上がり、やや見上げるようにヨワンを見据えた。


「俺が亡き後、俺の民の保護を、兄上にお願いしたい」


 死にゆく者の瞳。

 毒に倒れた弟と、同じ、瞳。


「俺を大剣闘祭グラン・テアトルムで殺してください」


 鐘の音は、いつだって幸せを運んでくれた。

 狂王さえ居なければ、そうであれたのだ。

 目の前の弟すら、その幸せを否定するというのか。


「アンリ……お前こそ、アルファルドの血を一番濃く……受け継いでいるのかもしれない」


 かつてヨワンは灰色髪の女に〝無貌の騎士〟を薦められ、読んだ。

 無貌の英雄は泣いていても、笑っていても、その心も表情も第三者にはとても読み取れない。


「…………」 

 言うべきでなかった言葉を聞いたアンリは、まるで無貌であるかのように笑った。

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