第167話 安芝居
王都五番街──救貧院前。
そこにヨワン・フォン・ボースハイト・ドラグリア第一王子は居る。
別段、名を売るために施しをしにきたのでもない。
隣りにいる、路地から顔だけを出し、遠眼鏡を使う男は興味津々といった様子。ご丁寧に平服の上に外套をまとい、堂々たる不審者と言った装いである。
彼の必死たる三時間もの懇願がなければ、冷酷なるヨワンはここには来なかったであろう。
そもそも苦界や下界に身を
王族は王族たる人生があり、
平民は平民としての終りがある。
しかしヨワンにとって、ものを考える力もなく、
不平不満を垂れるだけの能無しなどに、一切の興味はない。
始まりも、終わりも、一切の関わりがなく、そして興味がないのだ。
「団長……カルラちゃんは大丈夫でしょうか……?」
と眼鏡の男が言った。
「私はお前の
とヨワンは返した。
この一帯は
人々の喧騒が耳朶を震わすようで、ヨワンは王宮の静謐さが恋しくなってしまう。
「気になりませんか? カルラちゃんが初給料を貰って……何をするのか……竜涙騎士団の話題はもっぱらのコレです」
「お前らは暇なようだな。鍛錬時間を増やす」
「望む所です! 鍛えるのは大好きですので!」
眼鏡に似つかわしくない上腕二頭筋を見せつけ、男は歯を見せる笑顔をした。
ヨワンは一度双眸を閉じ、天を仰いで部下の愚かさを呪う。
(最近、部下の質が落ちてきている)
と思いつつ、ヨワンも仕方無しにカルラの様子を見る。
彼女は救貧院の
その様子を眼鏡の男が頷きながら見ていたので、ヨワンは心底、部下が気持ち悪いと感じた。
確かにヨワンは長年の忠勤の証として、給金を失声症の少女に渡した。
それを救貧院に寄付するのだろうか。
菓子や服、装飾品や香油、そういった物にどうやらカルラは興味が無いようで、こんな金は要らないとばかりに寄付をされては、流石に気分が悪い。
「いい子ですねぇ……ほんとに可愛いです……」
「貴様は小児性愛者か? 騎士には品格が求められると、入団試験の後に、貴様に滾々と説明したはずだが」
「私の試験のことを憶えてくださっていたんですね!」
「もういい……喋るな……」
鉄柵に囲まれた救貧院の敷地内、カルラは庭を背にして、ドアが開くのを待っている。足が震えているのは恐怖だろうか。与える立場にいるのだから、何を怯える必要があるだろう。
「はい。あら……こんにちはお嬢さん。今日はどういったご用向きでしょうか?」
品の良さそうな老女が出てきて、カルラの前にゆっくりと屈む。
「…………!」
カルラはメモ書きを渡し、銀貨が入っているであろう袋を差し出した。
「これは……まあ……貴方はどなた様の使いでしょうか? 後日、きちんとお礼に伺いたいですので、教えていただけるかしら」
老女は救貧院の中から覗き見をしている少年に言伝して、すぐに筆談のための紙とペンを持ってこさせた。
カルラはそれらと木の板を手渡され、その場で返事を書いた。
「ヨワン・フォン・ボースハイト・ドラグリア……? ふふふ、お嬢さん。悪戯はいけませんよ」
「…………! ……‼」
「けどもし……そうでしたら、ターウ様のようですね。お若き頃、あの御方はよく施しを下さいましたから……」
「…………」
「けれど、本当にいけません。ボースハイトの名を口にするのは……本当にいけません。どのような厄介事に巻き込まれるか……分からないのですから……」
石畳を踏む足の力が、思わず強まってしまい、ヨワンは堪えつつ自戒する。
苛立ちを抑えていると、救貧院に向かって一人の男が歩み寄っていく。
その男は徴税官の装いをしていて──それを見た眼鏡の男が歯を食いしばる、憎々しげな顔を見せた。
「あの男……救貧院から小金を毟り取っているのですよ」
眼鏡の男が腰の剣に手をかけた。
「よくあることだ」
「団長……」
老女が徴税官を認めて息を呑んだ。
徴税官は何事もないかのように老女の前に立ち、和らげに微笑んで挨拶を交わす。窓から顔を出す少年の頭を撫でて、好奇心の旺盛さを褒め称えていた。
「確かに、頂戴しました」
徴税官が袋を受け取る。これは正規の徴税の手続きではない。
補佐官もいなければ、証明書の発行もない。
「はい。格別のご厚意、我ら一同、感謝しております」
老女が痛むであろう腰を曲げながら、深々と一礼した。
ヨワンは男の顔をしっかりと憶え、踵を返そうとする。
「捕縛してもよろしいでしょうか?」
「止めておけ。お前は海に落とした砂粒を、一つ一つ拾い集める気か?」
「ですが……許せません。あのお金が、どうやって集められたかを知れば、あのような蛮行……出来るわけがありません」
この男は貴族の家に生まれ、愛されて育ってきたのであろう。
世の中は善悪できっぱりと分かれていて、貧しき者は心根が清いと信じ切っている。
そう思えば、ヨワンは僅かに苛立つ気分を感じざるをえない。
「お嬢ちゃん……お使いかい? なに、ヨワン殿下の使いとな……ふふふ、冗談を言ってはいけないよ」
徴税官がカルラの前で立ち止まり、手元のメモ書きを覗き見ていた。
「お仕置きだ。一枚だけ、おじさんが貰っていくね」
徴税官はカルラの銀貨入れに手を差し入れ、一枚だけ抜き、日の光にかざすようにして輝きを確かめていた。
「…………!」
「嘘は神様がきっと見ている。これはお詫びとして神様にきっちりと渡しておくからね」
詰まらない男だ。
奪うなら全てを奪えばいい。それすらする度量のない、くだらない男なのであろう。
だがヨワンがそう思う中、眼鏡の男は蒸気が吹き出さんばかりに怒り狂っていた。
「ぁあああッ‼ 見ましたか、あのカスッ! 天があいつを殺せと囁いておりますッ!」
「煩い男だ」
「これは強盗の罪に当たります!」
「そうだな」
徴税官の腰にカルラが抱きついて、金を返してくれと、縋る。
困り顔をする徴税官は決して暴力を振るおうとせず、困り顔で老女に「何とかして下さい」と丁寧にお願いしていた。
ああいった姿を見せられれば、複雑な感情が沸き立つのは事実だ。
だが王族たる自分がわざわざ出向いてまで、解決したいとは思えない。
「全く、親の顔が見てみたいですね……お嬢ちゃん、これを見てみなさい」
「…………」
「この手帳の裏面にはね……王家の紋章が刻まれているんだよ。おじさんがお金を集めるのは王国のため。君は神にも等しき陛下の聖務を邪魔している……と思わないかい?」
(王家の威光を乱用するか、あの者)
ヨワンの心は怒りに千々に乱され、気がついたときには眼鏡の男の外套を奪い去っていた。
フードを深々と被り、徴税官の前に立つまでさしたる時間は要さなかった。
驚く徴税官を前に、ヨワンは努めて怒りを殺して語りかける。
「徴税官。今……貴方が何をしたか、理解しているのか?」
「おや……これは何方かは存じませんが、私は公務中でありますので、お邪魔をされては困ります」
「ぬけぬけと、ほざく。この豚が」
徴税官が汗を流し、一方後ろずさる。
カルラは声を押し殺すように涙を流し、腰にしがみついてきた。
老女は手のひらで口元を隠し、ほうと息を吐く。
眼鏡の男は──路地から羨望の眼差しで見つめてくる。
救貧院の少年少女は喝采を上げ、徴税官に石を投げつけていた。
(もしや……?)
もしかすると──とヨワンは思い至る。
これはカルラを助けるため、悪徳徴税官に相対した、と思われたのではないだろうか?
そのような事実は一切ない。あくまで王家の威光を守るため、王族として当然の判断を下したに過ぎないのだ。
「私が誰かを知っているのですか?」
徴税官が余裕の表情を取り戻す。そして、その理由も知っている。
「知っている。貴様にはボースハイトの血が流れているのだろう」
「そうですよ。全く、ご存知なのでしたら……そのような物言いは困ります」
「だが──遥か昔、戯れに孕まされて生まれた庶子の末裔に過ぎん。樽一杯の汚水にワインが一滴混ざっても、それは只の汚水であろう?」
「それでも、一滴分の力は、名は恐れるに足るものですよ?」
(ええい、もう全てが面倒くさい)
重ねての狼藉に、ヨワンの堪忍袋の緒が切れてしまう。
乱暴にフードを脱ぎ、その顔を徴税官に見せつけた。
「私の顔は知っているな?」
「ま、まさか……殿下がこのような……場所に居るわけが……!」
ヨワンはまるで安い芝居のようだ──と感じた。
騒ぎを聞きつけた聴衆で退路は完全に封鎖されていて、主役たるヨワンは不本意な役を演じざるを得ない。
腰に抱きつくカルラはずっと声を出さずに泣いている。これの対処もせねばならんと思うと、ヨワンにとって目の前の徴税官よりも、むしろカルラの方が厄介な存在であった。
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