第162話 出歯亀のアンリ

「お兄ちゃん、悪趣味」

「違うぞアリシア。俺は家臣が心配なだけだ」


 格好良く去ったシリウスではあるが、俺の心配の種は尽きまじ。

 ちゃんと話せるのか?

 そもそもクリスタ側は乗り気なのか?

 男の早とちりで恥を掻くなど……そんなの可哀想だろう。許せん。


 シリウス宅の窓をこっそりと覗き見る。そこには招かれた様子のクリスタが居て、手には茶葉の袋。あれは高いやつだ。一緒に飲む為に、とっておきを出したはず。


「かなり成功確率が高い」

「クリスタさん……嬉しそう……」

「だが、問題が一つ」


 会話がよく聞こえないのだ……。これでは作戦が失敗してしまう。

 〝駄目そうなときは俺が乱入して無かったことにする作戦〟が……。


「あなた、帰ってきたら私に一番に顔を見せる約束です」

 俺の肩越しに語りかけるのはリリアンヌだった。

 初めて聞く約束に俺はたいそうビックリした。

 

「だが部下の一大事だ」

「髪を誰に梳いて貰ったんですか?」

「…………」

「後で聞かせてくださいね」

「俺がアンリだと、よく分かったな」

「? 一目で分かります……だけど言われると違和が少し……」


 あの男女を反転させるポーションは現実改変の類いかもしれない。俺を俺だと認識する気持ちが強いほど騙されにくくなるのだろうか。

 サレハとリリアンヌと祖父上は直ぐに気づいた。シリウスは少ししてから、エーリカ達は最後まで分からずとなると……その公算は合ってそうだ。


「声がよく聞こえませんね……」

「どうしようか……」

「分かりました」


 リリアンヌが手をパンと叩く。太陽のように眩しい笑顔に、虫のように矮小な俺は──灼き尽くされんばかりだった。


「私はシリウスさん役をします」

「ならば俺はクリスタ役を。アリシアは観戦武官のような心持ちで聞いていてくれ」

「楽しみかも」


 無声劇に声を付けるようなもの。なあに仕組みは単純明快だ。

 室内の二人は仲睦まじく二つのカップに紅茶を注いでいる。時期を見計らう。ジリジリとする気持ちを抑えていると、リリアンヌの控えめに朱を塗られた唇が動いた。


『とても薫り高い茶ですコレは』

『シリウスさんに喜んで頂けて、クリスタも嬉しいです』

『君のように優しい匂いです』

『………………』


 違う! シリウスはそんなこと言わない!

 あいつは朴念仁で、まあ優しい男ではあるが……もっと雰囲気を大切にする奴だ。そんな歯の浮くような軽率な言葉を吐くなど……許せない。


 リリアンヌをじっと見ると、俺の気持ちは十分伝わったようだ。


「申し訳ありません。私の趣味が入ってしまいまして」

「頼むぞ。リリアンヌ」

「お任せください」


 二人で深呼吸し、窓から覗き見る。

 気まずそうなシリウスの雰囲気が伝播したのか、クリスタも視線を泳がせている。二十一のシリウスと二十八のクリスタ。いい年なのだから色恋沙汰には慣れて……いや慣れていない。真面目な氏族長と真摯な聖騎士なのだから。


 唇の動き、表情、ごく僅かに聞こえる声を考慮し、会話を考察。

 全身全霊、鍛え上げた体と心魂の全てを活かす為に集中する。

 隣のリリアンヌも汗を滲ませ、大切な友を心配げな瞳で見つめている。

 

『見てください。フルドが作った矢筒です』

『フルドさんは戦士になられたいそうですので、これはご自分用ですか?』

『いえ、私の氏族の習慣として、矢筒は嫁入り道具なのです』

『まだ幼いのに、もう準備を進めておられるのですね』

『はい。妻として勤めを果たせる。証明としての革細工と縫製を習うのは子女の嗜みなのです。本人は戦士を所望しているので……自分で使うつもりで作ったそうですが』


 矢筒を持つシリウスが柔らかに微笑む。その顔を見たクリスタが頬を赤くして一瞬俯いた。


『ずっと……お世話されておられたのですね……』

『フルドは、友の忘れ形見なのです。勇敢な男でした。窮地があれば一番前に出て、引くときは殿しんがりを務める。笑顔の眩しい、良き戦士でありました』

『騎士にもなれそうな殿方ですね。良き友を失う辛さは……私も分かりますわ』


 労るようにしてクリスタが戦士の背を撫でる。長い銀髪の男が項垂れ、金の髪を持つ女性は心からの共感を吐露していた。


『フルドに友が出来て、暮らし向きはよくなりました。主に言われたのです、自分のことを考えてはどうだと』

『そうです。私もそう思いますわ。貴方はあまりにも自分を蔑ろにしすぎです』

『それは貴方もだ。以前に部屋にお邪魔したとき、空っぽの部屋に驚いてしまった。娯楽も……汚れも、あるべき怠惰さが無いあの場所は、私にとっては寒く感じました』

『殿方を招くのですから……頑張って掃除したのに……』

『む、私が言いたいのは、そうでは無く』


 不器用かな? いや、不器用だ。

 俺より女を口説くのが下手では無いのだろうか?


『幸せになって欲しい人達がいるのです。フルドにアリシア……ノワールにフェイン。トールとシーラ。そして我が主と……多くの同胞や仲間達。その中には、貴方も居る』

『まあ……』

『クリスタ殿は貴族の子女と聞きました。婚約の話もあったでしょう。誰かと生活を共にすることは……貴方の幸せでは、ないのでしょうか?』

『いえ、十八の時、親に勧められたのが五十過ぎの大貴族だったので、普通に断って白亜宮に直行したのです。親は大激怒しておりました……』

『当然かと』

『ですが、心底嫌だったのです。私は、私の国ではあり得ないことなのですが……伴侶は自分で選びたかった。出来ないのなら、天上の神々に奉仕したかった』


 射貫くように真っ直ぐに、淀みなき清流が如くに、クリスタがそう言った。

 シリウスも何かしらを射貫かれたようで、もにゃもにゃした、なんとも言えない顔をしている。


 だがシリウスは気骨ある男。直ぐに真剣な顔に戻って、応酬の矢を放つ。


『貴方の人生には多くの道がある。枝分かれしていく幸せ、どれを選ぼうとも私は応援したい』

『嬉しいです。私も──』

『その中に、私が入る余地はありませんか?』

『へぃや?』

『私は異教徒ですが、貴方の為なら改宗してもいいと考えています』

『そ、それは……! どういった……?』

『意味はご自分で考えてください』


 背を向けるシリウスは赤林檎のようであった。顔を隠し、こちらからは見えなくなったクリスタも同じようなものであろう。


『あの、私も矢筒を作った方が──』

 そう言った刹那でった。


『おい狼野郎。邪魔をするぞ』

 ファルコが入室してきた──。したり顔で。


『色々と報告事項がある。おや、クリスタ殿も一緒だったか。これは……失礼……』

 

 やりやがった、やりやがったぞあの野郎!

 絶対分かってただろ! あの馬鹿盟友は!

 だって向こうの窓にシュペヒトが張り付いてるもん!

 組織力を遺憾なく発揮して、嫌がらせしてる!


「マジですか。あなた……」

「風雲急を告げる」

「友の最後の機会チャンスが……」

「最後とか言うな。まだ分からん」

 

 背中のアリシアは声を殺して笑っていた。

 どうなるのだろうかと、俺は暗澹たる気分であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る