第161話 異種族婚姻譚
黒翼の重みで目を覚ましてしまった。
いや、原因はもう一つある。外がにわかに騒がしくなっている。
「二人とも、朝だ」
俺の言葉でサレハとアリシアがのそのそとベッドから降りる。
「何事でしょう……か?」
「姦しいとはよく言ったものだな。うちの従士たちが何かを取り囲んでいるぞ」
「中心は……う~ん、よく分からないですね」
「そうだな」
「それと兄様……なんか、体つきが変です。ダンジョンで何かあったのでは」
「気のせい。シーリーンさんに朝の挨拶をしてくるんだ」
「……は-い」
サレハが寝間着のまま部屋から出て行く。アリシアは幽霊のようにフラフラと彷徨っていて、観念したように俺の背中にのし掛かってきた。
「バレなかったね」
「母上は胸が貧しいお方だった。そのせいだろうな」
「残念?」
「いや、姿形が似ているのだったら、これに勝る名誉は無い」
「ふふ……馬鹿みたい……」
喧噪が気になるのでアリシアと服を着替え、また背負ってエントランスホールを通って外に出る。
「どういうつもりなんですか!」
「落ち着きなさい。皆……落ち着いてください……」
中央広場──喧噪の中心はシリウスだった。銀髪の偉丈夫が年若の少女達相手に、滝のような汗を流しながら相対している。
美男子が困惑し、無様を晒す様子は楽しいものだ。背中のアリシアも同じ気分を共有してくれているようで、何よりである。
「責任は取れるのでありますか!」
「そ、その……共に夕餉を囲むのは……ヒュームの文化的に良くなかったのですか?」
「むむ、朴念仁。主従揃ってなんたる様でありますか!」
馬上のナスターシャが吠えていた。馬も心なしか怒っている。
恐らくはクリスタとの幾度にも渡る密会……それが従士たちの逆鱗に触れたのか。
何という副騎士団長に対する忠誠心。感嘆を禁じ得ない。
「白々しいぞー!」
「そうだ、そうだ」
「責任を取れ──っ!」
「うちの副団長が何歳か知っての狼藉か! 二十八だぞ。ギリギリなんだぞ!」
「いや……ギリギリの外側でしょ~」
「そうだ! 崖っぷちの五歩先を歩んでおられるのだぞ!」
この場にクリスタが居ないものだから、好き勝手に言っている。
真面目で頑固な彼女の調練は一際厳しい。それも起因しているだろうが。
「我らのシリウス殿を侮辱するか! ヒュームよ!」
黙っていた獣人戦士達が我慢しきれないと口を開く。
「シリウス殿に男として何の不足があろうか! それに手を出すわけがなかろう! この御方は貞淑な妻のような貞操観念を持っておられるのだぞ!」
「そうだ、そうだ!」
「多くの妻を持ち、多くの子に囲まれる。そのためには女を口説かねばならん! そもそも、そちらの副団長殿に隙があったのではないか!」
「そうだー! さっさと結婚してくださいシリウス様ぁーっ!」
うちの戦士と従士達。年若の男女が睨み合っている。
文化的差異。一夫一妻のヒュームと、一夫多妻の獣人では婚姻に対する考えが違う。
「……我らの主は面妖な卵の孵化を望まれておりました。ここは一致団結し、共に事に当たるべきかと……存じます……はい……」
「話をそらしたでありますよ。この男は!」
「……おや、騎士エーリカのお帰りです。皆……あちらを……」
転移門がバチバチと音を立てながら開かれる。
出てきたのは肩に蛙を乗せたエーリカだった。後ろには五人の従士が居て、皆で本を両手いっぱいに抱えている。
「何事? カセヤエでもしてるの?」
「エーリカちゃん。お帰りなさいであります」
「はいはい、ただいま。馬から降りなさいよ」
「えー…………」
「えー、じゃない」
姿が変わっていても、能力の発動には何の影響も無いのか。
ゲコゲコ煩い俺の兄は、得意気に鳴き袋を膨らませていた。
「あら、貴方は新入りの従士? アリシア様に懐かれるなんて凄いじゃない」
喧噪から逃れるように人混みから離れたエーリカが語りかけてくる。
ふと考えが石清水のように涌いてきたので肯定することにする。
「はい」
「きちんと従士服を着なさい。とても恥ずかしい事よ」
「昨日着任したんです。その……服が無くて……」
「そうなの、怒ってごめんね。私の控えを貸してあげるから、後で支給品を貰いなさい」
「ありがとうございます」
三人で騎士の仮宿舎である大型テントに入る。二人用の部屋に四人を詰め込むので、物が乱雑に積み重なっている部屋はとても整理が行き届いているとは言えない。
「どこかで会ったっけ? もしかしてフォレスティエ家の人……?」
「いえ違います。けど……前世で会ったのかもですね……」
「面白い子ねえ。けど生意気」
コツンと、頭を優しく叩かれる。頂いた服を纏えば、それなりに従士らしい見た目になれた。ついでとばかりに髪をブラシで梳かしてもらった。アリシアと一緒に。
「白亜宮まで戻られていたんですね」
「そうなの。古い書物を総当たりしてね」
「分かりそうですか?」
「新入りに教えてあげる。あのね、我ら拝月騎士は千年も魔物を狩ってきたのよ。世界各地、どんな小さな伝承でも残してきたの。私たちが本気になれば、魔物に対する未知なんて無いも同然なのよ」
「凄いです。エーリカ様」
「…………名乗ってたっけ? 私…………?」
「ナスターシャさんに聞きました」
「そう」
とても鋭い眼光。俺を間者と疑っているのだろうか。
「恐らくあれは朱烏の卵。古代の為政者が重宝してた珍しい鳥で、ボースハイト王朝の紋章である
「へえ……血をですか……」
シーラに頼んで錬金術の材料にしてもらおうかと考えた瞬間、後ろから頬を掴まれて伸ばされる。とても痛い。
「ダメ」
「分かりました……痛いです。アリシア様」
「ダメだから。絶対に」
笑いながら手をひらひらと振られるので、一礼してからアリシアと揃って退出する。先達として振る舞うエーリカの姿も見られて、とても有意義な時間だった。
そして、中央広場に戻ればゴレムス達まで喧噪に参加していた。
「報告──修羅場の様相」
「提案──副騎士団長を招致し、更なる議論の発展」
「楽しむんじゃない。仕事がなければ子供達と遊んでいてくれ」
「諒解」
足音を立てて散っていくゴレムス達。子供を確認するや背中を丸めて屈み、子供を三人ほど背中に乗せて駆けていった。通りの奥ではハクが子供達と遊んでいるので、そこに合流するのだろう。
「ふー」
すうと息を吸い、吐く。
「シリウス様。少し宜しいでしょうか」
「はい……何でしょうか、貴方は……?」
「マリエッタと申します」
「お初に……いや、お初なのですか? とても違和を感じる見た目です」
「そうやって女性を口説かれるのですね」
「ち、違います!」
この短時間で狩りよりも焦燥しているシリウスだ。
全力で声色と話し方を女性らしいそれに変える。
「貴族の慣習で言えば」
「は、はい」
「未婚の男女が二人きりで時間を過ごすなど言語道断。言い方は悪いですが女性が〝傷物〟になったと勘ぐられてもおかしくは無いでしょう」
「私は貴族ではありません」
「ラウ様は貴族の御令嬢ですよ。皆様に聞いたのですが貴方は異文化を軽んじる殿方では無いはず。それなりの誠意と覚悟があっての逢い引きをしたのでしょう」
「勿論。マリエッタ殿。それと逢い引きではありません」
「年増が嫌い……と」
「年など関係ありません。私はクリスタ殿の年齢ではなく、その深い見識と心根に感銘を受けたのです。下衆の勘繰りはやめて頂きたいものです」
「じゃあ、そういった気持ちは無いと」
周りの従士達がきゃあきゃあと黄色い声を上げている。反面、シリウスは冷静を装っているが、銀髪から覗く耳はやや赤い。
「貴方……! もしや……‼」
肩を両手で強く掴まれる。バレたのだろうか。
「痛いです。怖い、殿方ってこんなに怖いのですね……」
「すっとぼけないでください! 主でしょ、貴方は!?」
「マリエッタは怖いです。そのように触れられては、戸惑ってしまいます」
「ええい、気色の悪い!」
獣人戦士と従士達が訳が分からないと首を傾げていた。
端から見るとシリウスが女性に無体をしていると見られるだろう。
「全く、この騒ぎも主が起こしたのですね。何てお人でしょうか」
「それは違うぞ。お前のせいだ」
「ごまかしは結構。ですがいい機会ですね……正直なところ悩んでいるのです。私と彼女では崇める神が違う。草原に馬を走らせ矢を射て、風の音を子守歌にする我ら。由緒正しい聖騎士の彼女とは釣り合わないのでは無いかと」
「そうだ、まるで違う」
「そこは〝人は同じだ〟と言って頂かないと……」
「いや……綺麗事では済まないからな。苦労するぞ、互いに」
「そう……でしょうね。やはり」
だが違うだろう。此所は王国であって王国で無い。獣人の諸氏族の領域でも、ダルムスク自治領でも、教皇領でも無い。ここはアーンウィルなのだ。
「俺はこの領地の裁判権、逮捕権、徴税権もろもろ全ての権利を独占している」
「領主ですので」
「ああ、だから俺は俺の名において、シリウスの望みを守ろう。慣習や因果なんて面倒くさいのは俺の領地の外でやればいい」
「…………」
「異端審問官も友達だからな。俺が言いくるめてやる」
「私が人並みに幸せになっていいのでしょうか。主より先になど、不忠です」
「不幸な臣下を持つ主は不心得者だ」
「何と……」
「ラウ家が何か言ってきたら、ボースハイトの名前をさんざ利用してやる。今まで俺の面倒を見てきて貰ったが、ここで一つ、自分のことも考えてみて欲しい」
シリウスの眼差しが熱を帯びているようで思わず目を背けたくなる。正道を歩む者の──眩しいそれは、俺には少し辛い。
「かつて氏族を継いだとき、皆の暮らしが良くなるまで……それまでは、と考えておりました」
「そうか……」
「クリスタ殿と話をしてきます」
「ああ」
「我らは条件が合えば直ぐに婚姻を申し込むのですが、ヒュームはどうなのですか?」
「父親が決めるものだが、時間はかなり掛かる」
深く息を吐いてから、シリウスは皆に目線を送る。獣人戦士は散っていき、従士はきゃーきゃー叫んでいた。全然通じてない。
「遊びではありません。決して」
「知っている」
気恥ずかしそうにシリウスは小走りで去って行った。良いものを見たと従士達は帰って行き、アリシアと二人残される。
「お兄ちゃん、あんまりかき混ぜるのはダメ」
「だが放っておけば破談していたかもな。それと卵だ。中身が分かれば後は手段だな。孵ったら名前を付けて、鳥籠も作らないと」
「楽しみだね」
背中に感じる軽さは悲しいくらいに軽い。翼と尻尾の重さを考慮しても、なおアリシアは痩せている。
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