第159話 元の場所に返してきなさい
『ルーちゃんが本当にそう言ったの?』
ハクの幼い声、純粋で穢れの無い疑問。
脳裏に残響して仕方が無い。
『うん、信じる。お外で待ってみるよ。百年くらいは我慢しようかなぁ』
そういって瞼を二、三度閉じるハク。いつかは俺の嘘に気づいて恨むだろう。あの二人が外に出てくれる方法はまた探すにしても、今はアリシアを何より優先したい。
『お外かぁー。自由に空を飛んでみたいなあー』
俺がスクロールを広げるに合わせて、ダンジョンを一緒に脱出した。
村に帰れば、時間は夜。夜の帳はすっかり降りてしまっている。冷えた新鮮な空気を数度吸ってからハクを伏せさせた。
「隠れろってことだね。ハクは竜がいたら皆が怖がることを知っておりますので、家の影に隠れつつ移動するよ」
「ガブリールの次くらいに賢いな。さて、ではシリウスの所に行こうか。彼は俺の家臣で村の運営に深く関わっているんだ」
「お偉方!」
「そうだ」
「反骨心が涌いてきましたことを報告します」
アリシアがハクの鼻先に指を当て、「ダメ」という念押しをした。素直に従ってくれているようで何よりである。
「あっちだ」
シリウス宅は中央広場近くの一軒家である。窓から明かりが漏れているので、そっと覗く。
「む、クリスタ・ラウ副騎士団長もいたか」
「仲良しそうだね。一緒に料理してるよ。おね……お兄ちゃん」
「なぜ一緒に……ああ、成る程ね」
「どういうこと?」
「アリシアにはまだ早い。ふむ……」
思案する。そもそも俺は女の体。今顔を出せばシリウスが混乱することは必定であり、最悪の場合はまた監禁される……。
アリシアがハクにも負けない無垢な瞳を向けてくるので、解決策を模索。すると光明が見えた。
「アリシアからお願いしてみるんだ。使役獣を飼いたいとな」
「お兄ちゃんは領主なんだから、シリウスさんに聞かなくてもいいんじゃ無いの?」
「後々面倒になる。シリウスに話を通しておくと、万事上手くいくのだ」
「うん。がんばる」
アリシアがドアをノックしてから入室するので、俺は引き続き窓からの監視に励むとする。
「シリウスさん。クリスタさん。やぶんに失礼します」
「あ、ああ、お帰りなさい」
「お、お帰りなさいませ」
耳を壁に付けて言葉を聞く。一言一句たりとも逃す気は無い。
視線を窓に戻せば、クリスタが眼鏡を指で押さえつつ、動揺をごまかしていた。
「夕食は食べられましたか?」
「おなか、空いてない」
「……そう、ですか。主は何処に?」
「服が汚れたからキレイにしてる」
「承知しました。して、何用で?」
アリシアが深呼吸してから、二人の目を交互に見つめた。
「使役獣を飼いたい。食べ物は自分で狩れるし、大丈夫だと思うんだけど……」
「狼あたりですか。成る程、ガブリールとカマエルもさぞ喜ぶでしょう」
「名前はハク」
「もう名前まで付けて……全く。情が移る前に返してきなさい、とは言えないですね」
「いい……かな?」
「構いませんよ。主と相談して大切にお育てください」
「言質、取った」
不味い! アリシアがこちらを見て「してやったり」感を出した。
シリウスとクリスタの鋭い視線が壁を貫通して、俺の頬に刺さりそうだ。
「あと、なんで一緒にいるの? お仕事?」
「……………………」
「なんで? ねえ、クリスタさん?」
「私は騎士団、シリウスさんは村の運営補佐をしているのです。仕事が重なる点も多く、話し合う内に夜になって……こうして、食事をともに。僭越ながら王国の軍事学をお教えすることもありまして、私は西方の獣人文化を教えて頂いたり……そういった、感じなのです」
「ふーん」
「お分かり頂けましたか?」
「ちょっと必死な感じがして、可愛かった」
「なんて厄介な兄妹なんでしょう……」
楽しくなってきた。やはり交渉事は弱みがあると守りに弱い。俺の存在は忘れ去られているようで何よりである。
「それとね、卵を貰ったの。孵し方、わかる?」
「何の卵でしょうか」
「大きな真っ赤な卵。中身はラビルスさんも分からないって言ってた」
「触った際に魔力を感じたりなどは」
「卵のそこで、うぞうぞしてた」
「全体に満ちるのではなく、底でですか。かなり弱っていますね」
「どうしよう……やっぱり、出来損ないは産まれてきたら、ダメなのかな……」
「そんなことはありません! 神はきっとアリシアさんの優しいお心を見てくださってますよ。私も団員に聞いて回ってみますので、後で卵を見せてください」
「ありがとう、ううん。ありがとうございますクリスタさん」
頭を優しく撫でられるアリシア。魔獣や魔物の卵は親に抱かれ、魔力と体温を分けて貰うモノだ。あの卵に足りないモノは恐らく魔力。俺が持っていないそれだ。
だが魔力を注ぐだけでは足りない。魂が密接に繋がった──そう、血の繋がりが孵化には必要だ。魂と魔力は密接な関係にあり、他人が注いでも効率は悪い。
「明日の朝、皆で方策を考えましょう。アリシアさんはお疲れでしょうから、今夜はお休みになってください」
頼るべき人員を頭の中で探す。
と言うか、俺はまず体を戻さなければ。軽鎧とさほど豊かでは無い胸のお陰で、俺の性別は分かりづらい。だが分かる人には分かるはず。
「兄様、お帰りなさいませ」
ほら来た。サレハだ。一切の気配と足音がしないのは魔術だろうか。
「身長が低くなってますし、骨盤の位置がいつもと違いますね……」
「お前……ちょっと、気持ち悪いぞ」
「そんな……お母さん、兄様がいじめます……」
横にはシーリーンさんも居る。親子で夜の散歩だろうか、口元を上品に押さえて笑う彼女はとても楽しそうだった。
「騎士団の収支報告書を机の上に置いておりますので、また目を通してくださいませ。ですが今日はお休みになるといいかと。夜は冷えますので」
「そうですね。今日はもう休もうかと」
会話のさなか、視線の端にハクが入り込んでくる。首を動かして「隠れろ」と指示すると、何を勘違いしたのかハクはぱあっと明るい顔になった。
「定命の者たちよ、お初にお目に掛かります。ハクと言います」
「ん、竜ですか」
サレハが一度振り向き、そして再度またこちらに向き直る。
ハクはかなり寂しそうにしており、次の言葉を紡げないでいる。
「ええ‼ 竜ですか⁉」
サレハの見事な二度見であった。
シーリーンさんが目眩を起こしたので、転倒を防ぐべく体を支える。思っていたより軽く、健康状態が心配になる。きちんと食べているのだろうか……。
「あんまり歓迎されてない? 悲しいなぁ……」
「まあまあ、明日は子供達に会おう。きっと喜んでくれるさ」
「フルドちゃんだね」
「とてもいい子だ。きっと友達になれるさ」
皆のハクの第一印象はいまいちといった様子。喋る竜は只でさえ珍しいが、火を噴く狼がうちには居るのだ。直ぐに馴染めるだろう。
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