第154話 悲しき過去

 砲塔架台から四本の鉄腕が伸びて、研究所の屋根に勢いよく振り下ろされる。地が割れんばかりの鳴動に息を呑むと、砲塔の先端が光り輝いた。


「あれはアイゼンロック機能。オリハルコンコーティングの爪を地面に突き立てて、全力全開の魔導砲発射の衝撃に備えているんだ」

「言ってる場合か。死ぬ……変態と一緒に死にたくない……」

「なかなか言うじゃないか。気に入ったよ」


 俺は死に慣れているとは言え……アリシアは違う。

 一度でも死ねば死生観が変わってしまうだろう。それは由々しき問題だ。


「お兄ちゃん。動かないで」

「おう……?」

 アリシアが後ろから俺に抱きついてきたと思うや──急激に視点が上昇していく。

 飛んでいるのだ。その黒い竜の翼で。俺を抱いたまま。


「うん。飛んだの初めて」

「…………俺も空を飛ぶのは初めてだ」


 強がってはいるが怖い。高さが怖気を誘い、頬を撫でる風の強さが心を挫けそうにさせてくれる。

 眼下には数万は住めそうな高密度な都市風景。先程居た中心地付近では今まさに魔導砲が莫大な魔力を放とうとしていた。


「あ、どかーん」

「うわ……神話みたいだ……」


 発射された。蒼い魔力の光線が大地を抉り──都市区画をまるごと飲み込む。これではあの痴女は死んだだろう。


「あの女、俺を見てアルファと言ったな。父王の名アルファルドを略して言うとは、王国に恨みある者か。それだと外からダンジョンに入ったことになるが……古代人では無いのか?」

「分かんない」

「憶測は良くない──ってアレは? まさか!」


 爆心地の中心では白竜が健在。周囲の淡い輝きは恐らく──魔力を純粋に放出して、護りの盾としたのだろう。

 普通の人間には出来ない芸当。王国で出来るとしたらサレハくらいだろうか。


「ハクとやらが生きていたか。良かった良かった」

「こっち来るよ」

「付きまとうなあ。逃げるか?」

「ドラゴン、ちょっと興味ある。アリシアの体と似てるし」

「そうか」


 白竜が目に涙を浮かべながら猛突進してくる。「ひーん」と言いながら俺達に助けを求めてくるので、仕方なしに都市の外れまで護衛しつつ逃げた。



 ◆



 逃げに逃げて誰のものとも知れない家の中へ。白竜は入れないの玄関前で留守番だ。

 家の持ち主がどこかからから毟り取ったのだろうか、木床には破れた張り紙が捨てられている。

 手に取り、読んでみると──


『七カ国連合評議会の決議により、当セクターの人権期限を六五歳より五五歳に引き下げる事となりました。配給等の指示は統治機関に従って下さい。なお同時決議により、一三歳以上のものには統一法四五三条を強制適用するものとする。身体・精神検査を段階的に実施するため、ご準備下さい』


 何とも気の重くなるような書面。向かいの痴女が眉を顰めて張り紙を破いた。

 惨めな紙片を後方に放り投げる痴女は、気を取り直したのか上機嫌に話しかけてくる。


「助かったよ少年。お礼しないとな」

「結構です」

「お礼しないと」

「結構です」

「なんて礼儀正しいんだ。でもね、人の好意を固辞するのも過ぎると無礼だと思うな」

「変態の好意は結構と言ったのです。後が怖いので」

「同性愛者だったか。私と同じだな、少年」

「……………………アリシア、俺の後ろへ」

「うん。お兄ちゃん」 


 会話の主導権が取れない。研究所の人に協力すれば良かったと、今更の後悔が襲ってくる。


「妹の情操教育に悪いので黙っていてくれませんか?」

「ちょっと……難しいかな」

「じゃあ息を止めていて下さい」

「何秒くらい?」

「一時間くらいでお願いします」

「君達はそうやって酷いことを簡単に言う。変態相手には何をしてもいいと思っているんだろう。だけど私は思うんだ。昆虫は変態はすれど変態は居ない。知性の問題でもあるが、これは社会性の特性でもあると思う。社会や倫理観はとかくスタンダードを決めるために、とやかく人に型を嵌めたがる。ハメると言えば聞こえはいいが……嵌るのは手錠だけどね」

「はあ……」

「話を昆虫の生態に戻そう。彼らは巣の維持の為に例外は許さない。だが人間社会には例外が出る。押さえつけようとすれど私達は決して居なくなることは無い。これは必要悪や多様性を無意識下に皆が求めているからだよ。アニマに刻まれた種の維持本能なのかな」

「興味深い。故に虫や獣が出来ない背徳行為、それを成し得れるからこそ種として人間は優れているのですね。人にしか出来ないことを痴……貴方がしているとなれば、それは人間種の可能性を示していると言える」

「だろう! だから変態と呼ばれるのは遺憾だな」

「なる程」

「ふふふ、分かってくれて嬉しいよ。それとアルファは息災かい?」

「アルファという人は知らないですね」


 俺がアルファルドの息子だと伝えるのはマズイ気がする。相手に情報を与えずに、情報を引き出すのが肝要だと言えよう。


「ちょっとレモン対応だね。もう少し愛想よくしないとモテナイぞ少年」

「レモン?」

「すっぱいって言うことさ。聞き返したということはこの文化圏の人間では無いね。ああ、いや……そんな怖い顔をしないでおくれよ。取って食おうって気持ちはあるけど自制心を兼ね揃えたいい女である自負はあるよ私は。確かに……同性愛者ではあるが男もイケる私だからね、君のシャツからチラチラ見える鎖骨にあらぬ気分を抱くことは否定できない。だけど愛情というのは奪うものではなく与えるもの。君の合意も大切にしたいと……深く思ってるよ。思っているだけだけど」

「そうですか……」

「君たちは逃げたアルファが孕ませた子か、研究所から逃げ出した個体の子孫と言ったところか。私達はかれこれ魔術結界に閉じ込められてから二百年経ってるからね、外側か内側、どちらからかは分からないけど、先達として君たちが壮健に育ったことは嬉しく思うよ」


 真実であればここは時間の流れが狂っている。目の前の痴女は未だペラペラと淫語混じりの世界の真実を語ってくれているが、返事を挟む暇もないほどに饒舌だ。


「君達はかなり強そうだ。特に妹さんは規格外だね。その腕前を見込んでお願いがあるんだけど、どうかな? 報酬は私の弓とかどうかな。最高級の魔法武器だよ」

「俺達は研究所の魂に関する研究結果が必要で、関わっている暇は無いんです」

「私が案内できるよ。元は関係者だからね」

「正直な所……貴方が信用できない」

「まあ待て、私の悲しい過去を聞くんだ。これを聞けば君は私に好感を持つこと間違いなしだよ。なぜ私が薬を必要としたのかはね。少し長話になるからお茶でもどうぞ。温かいのを保存瓶に入れてたから、少年少女で飲むといい」


 目の前に鉄の瓶がそっと置かれる。蓋から上る湯気に混じった芳しい香り。紅茶のように思えるが、古代の飲み物だから違うのだろう。


「私のことを変態だと思っているだろう?」

「それはもう」

「それには理由がある。とある所に笑わない少女が居たんだ。私が毎日通ってもレモン対応の極みを返されてね、憤慨した私は何としてでも笑わそうと、日々努力を積み重ねたんだ」

「へえ…………」

「その中で唯一受けたのが下ネタだった。私は下ネタの頂きに上る為に日々の言動を改ため──結果、今の私が居る。薬もな、その少女のためにどうしても必要なんだ」

「二百年ここに居るのでしょう……なら、言い辛いですが」

「彼女は実験体、長命種のプロトタイプ、私のアニマを参考にして創られている」

「ラビルス様にお願いしては? 理由を言えば……」

「それは絶対に無理だ。彼女は死んでも渡さないだろう」


 真剣な眼差し。こちらが本当の顔なのだろうか。


「おっとと、茶が冷めてしまうよ。警戒しているんだね、ならば私が毒味を進ぜよう」

「お気持ちだけで」

「またまた、ふう~いや美味い。美味いなあ。こんなに美味いモノを飲めないなんて、君達は損してるよ」


 アリシアが俺の袖を引っ張ってきて「騙されちゃ駄目」と訴えてくる。大丈夫──流石に騙されはしない……こんな、明らかな罠を。


「自前の水筒があるので大丈夫です」

 水生みの筒インフィニトムを傾けて喉を潤す。目の前で飲まれてしまえば、この痴女も勧める手段を無くすだろう。


「ふふふふふふふ、飲んだね」

「飲みました」

「体が熱くないかい?」

「……………………なぜ、確かに……熱い……」

「君は私の茶を飲まないと踏んだからね、一緒に逃げている時にそっと薬を飲み口に塗っておいたんだよ。大丈夫、毒じゃないから。媚薬でも無いよ」

「──っつ、あつ……!」


 高熱が出た時のような倦怠感。体が溶けているような──いや、実際に溶けている!

 骨が縮む。手足も僅かに萎んでいき、体がめちゃくちゃに作り替えられるような感覚。

 熱に抗う。背中を撫でているのはアリシアか。何も分からない。


「反転のポーションだ」

「──うぅっ! くぅ……な、なにを?」

「君は今から女になるんだ。解毒法はあるから、私に従うことだね」

「げどう……ゆるさん……」

「そんな可愛い顔と声で凄まれてもねえ。ほら、もう完全に女の子になっちゃったね。すごく可愛いよ。ほら、鏡でもどうぞ」


 荒い呼吸で空気を取り込みつつ、顔を上げれば──鏡には女が映っていた。その顔は母上に似ていた。いや、母上はもっと美しかったし、目つきもこんなに悪くないか……。


「………………」

 アリシアが立ち上がり、ずんずんと進んでいく。怒気を感じる足音を残しながら、痴女の前に堂々と立っている。


「あの女の顔……ゆるさないから」

「おやおや、許さないとは。確かにお兄ちゃんがお姉ちゃんになるのは衝撃だろうが、君達を縛り付ける鎖が欲しかったんだ。後で謝罪と報酬は弾むから、ね?」

「ゆるさない。腕を折る」

「へ……?」


 アリシアが痴女の腕を片手で掴んで──握りつぶした。

 太い枯れ木を割ったような音と、「ぎゃっ──‼」という悲鳴。窓の外から白竜が心配気に鼻を突っ込んでくる。


「ルーちゃん! だいじょぶ? いたくない?」

「イタイ! 折れてるっ────! はぎっ────!」

「あわわわああ……」


 アリシアの助けを借りて地面に座る。魔法の衣服と鎧だ。体にフィットするように大きさは自由に変わるが、体の感覚が急激に変動したのか、違和感が凄い。


「お姉ちゃん……体、気持ち悪くない?」

「それはもういいが、アリシア……人の腕は折ってはいけない。たとえ変態でも生きているんだ。この治癒ポーションを渡して謝りなさい」

「殺しちゃ駄目なんでしょ? 殺してないよ?」

「傷つけても駄目だ」

「むずかしい……頑張って覚えるから、嫌いにならないで……お姉ちゃん……」


 地面をのたうち回る痴女と、涙目で騒ぎ立てる白竜。女になった俺と、未だ世界を知らないアリシア。

 どうしたものだろうか。と言うか、男に戻れるのだろうか?

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