第137話 貴族として
剣先から落ちる雫が血溜まりとなる。
深く息を吸い──息を吐く。俺を見て怯える魔術士の弟子が三名いるので、怯えないようにと「殺すつもりはない」と伝えると、化け物を見るような目をされた。
剣が精神に共鳴してくる。魂を奪っていいかと問いかけてくるが、強く拒否する。奪われた魂は輪廻の輪に還られないと聞く。この男はすでに死によって罪を贖っているのだ。いくら人の魂が好物だろうと渡すわけには行かない。
「キサマァッ!」
シリウスの怒声が響き、鈍い音がする。
振り返ればシリウスがファルコを殴りつけていた。怒気を溢れさせて拳を握りしめているシリウスの前で、ファルコが頬を抑えながら愉悦の笑みを噛み殺している。
「どうした狼? 戦地で乱心するとは頂けないな」
「キサマが逃げ場を無くしたからッ! 何をしたのか分かっているのかッ!」
「分かっているとも。だが『いずれ』すべき事だった。それとも……キサマは主とやらを後生大事に、雛に餌を与えるようにして育てるつもりだったのか? それこそ残酷だ」
「……やはり、暗殺者とは分かり合えない」
ファルコが立ち上がって法衣を正す。
「殺人は大した罪過では無い。一人殺せば悪夢に苛まれ、五人殺せば死者が足元に纏わり付く、だが……二十を過ぎれば殺した者の顔すら忘れてしまうよ。そういったモノだ」
挑発だろうか真理だろうか、ファルコの言葉に聞き入るシリウスは忸怩たる思いを噛み殺していた。横に立つ祖父上の悲しげな顔を見ると胸が締め付けられるようだが、俺は俺のすべき事をした筈なのだ。
「……セヴィマール殿下、捕虜の移送をお願いいたします」
「お、おうよ……いや~、空気重いねぇ。帰りたくなってきたよ僕は……」
空間の亀裂が開き、向こう側に居た獣人戦士に事情を伝える。捕虜三名は不安げに何度も振り返りながら、亀裂の向こうに消えていった。
置いてある木箱を開けるとハルラハラの霊薬が十本ほど入っている。瓶を握りしめて割ろうかと思ったが、どれがコリンナを死に至らしめたモノか分からないので、止めた。
「火を付けて出よう。上階の避難はどうしようか?」
「逃げ遅れが出ないように部隊員を向かわせる。何、火事場は慣れているさ」
「分かった。では手配を頼む」
「承知した。我らが騎士団長よ」
◆
外に出て貴族邸の屋上に戻る頃には、魔導院が業火に包まれていた。研究成果は全て逸失し、霊薬の研究はこれで数百年の遅れが出るだろう。一部の取引帳簿や証拠資料は奪ってきたが、これを教区長に突きつけても知らん振りをされそうだ。
暗殺者衣装と別れるべく用意していた騎士の正装を着込む。
この火を、鼻を突く煙の臭いを、いつかまた思い出すのだろうか。
「しまった……あの魔術士に、違う場所で研究をしていたか聞くべきだったな」
悔やんでも遅い。
アリシアに念話を飛ばして弟子たちの記憶を覗いてもらうように伝える。「アリシアは役に立ってる?」と念話が来るので俺は同意を返した。別に役に立たなくても、居てくれるだけで良いのだが。
魔導院の広い敷地には、火を遠巻きに見つつ呆然とする魔術士たちが見える。屋上から屋根伝いに街を駆けると、違法娼館があった場所にたどり着く。
「う、ぁあ……」
薄布で体を隠したエルフの少女が路上で尻もちを付いている。
オルウェ王国との戦争で得た戦利品のうちの一つ、奴隷だろう。トールとシーラも違う運命を辿っていれば同じように働いていたかも知れない。
ここはエリーアス男爵所有の違法娼館だ。同じような
娼館の窓の一つが血塗れになっている。
部隊員が部屋で働いたのだろう。
「大丈夫ですよ。修道院に行けば治療してもらえます~」
「……お姉さん、だれ?」
「修道院の関係者ですよ。名前は秘密ですけど、ご飯と服があるので行きましょうねえ~」
「怖いぃ……嫌ぁ……」
「……大丈夫ですよ。ワタシも昔、貴方みたいに貴族にさらわれてひどい目に合わされたけど、正義の味方が助けてくれたんです。時間が経てば傷も癒えますよぉ」
民間人に扮したシュペヒトだ。こちらに目配せをしてから娼婦たちを連れて行く。路地裏では怒号が飛び交っており、見やれば棍棒を握りしめた市民たちが誰かを袋叩きにしていた。
一人の男に聞くと「こいつは娼館の
放っておけば死ぬが、どうでもいい。領民を不当にさらって娼婦にするのは王国では違法だ。俺が動けば人が死ぬが、死ぬべき人間は一人でも多く死ぬべきだと思う。
市民も弁えたもので槍を持った衛兵を見るや一目散に逃げていく。よほど市民の怨嗟が満ちているようで、道中でも貴族邸に討ち入りをしようかと相談する者も居たほどだ。冷静だが熱のある怒り、長年の積み重ねが無ければこうは行かない。
だが革命には至らない。貴族邸の延焼による混乱は市民の怒りと同調しただろうが、怒りの矛先が無くなれば人の心は容易く折れる。
道を進んでエリーアス男爵邸の前につくと、ナイフや棒を持った市民が立ち尽くしている。何故かと言うと、豪奢な邸宅の門扉前には、男爵の息子三人の首が地面に落ちていたからだ。
「おいおい、死んでるやがるぞ。誰が殺したんだ」
「さあ……どうすっか。燃やすか、盗むか?」
「いや、衛兵が来る。さっさと逃げようぜ」
「ったく! ふざけやがって。俺がぶち殺したかったのによおッ!」
男の一人が貴族の頭を蹴り飛ばし、熱が冷めた市民は四散していく。教区長を後ろ盾として無茶をしていた貴族たちは、市民の恨みをかなり買っていたようだが、貴族の死により溜飲を下げたようであった。
夜が明ける。
都市を囲う城壁の向こうから日の光がさしてくる。
陽光の眩しさを腕で防いだ。
王立魔導院はこの世から消え失せ、この街二番の貴族であるエトムント子爵邸も灰燼に帰した。幾人かの貴族が闇に葬られて、熱に誘われた市民が小さな虐殺を起こした。
善と悪で人を分けたとするならば、俺は紛れもない悪である。生き残るために力を求め始めたのが間違いなのだろうが、もう引き返すことも取り戻すことも出来ない。
何が正解なのか、分からなくなる。
今すぐ王宮に殴り込んで父王を殺し、王位の証である
◆
娼婦や麻薬中毒者が集められた修道院へ入る。礼拝の為の椅子はどけられて、そこに近隣の家々から集められたベッドが所狭しと置いてある。ベッドの主は麻薬中毒者や傷ついた娼婦たちだが、顔に苦痛は無く禁断症状で発狂しているものは居ない。
入り口では治療希望者が列を成しており、従士たちが列を整理していた。中ではリリアンヌやエーリカ、それと〈転移門〉で移動してきた騎士が十名ほど居て、軽症者の治癒に当たっている。
「ありがとうございます。ありがとうございます、聖女様……!」
「良いのですよ。ですが……本当の勝負はこれからです。麻薬の怖さは治ってから。次に誘惑に負けそうな時は、どうか神の神名を心中で唱えて下さい」
「はい!」
男がベッドの上で何度も礼を言っていた。
元麻薬中毒者はリリアンヌの治癒魔術により快癒したようだ。リリアンヌは優しく微笑んで剥がれたベッドのシーツを掛け直していた。
リリアンヌが俺を見つけたようで、治癒術士長として恭しく礼をしてくる。
片手を上げて入室すると権力差を感じ取った市民の顔が強張った。
「拝月騎士団長のアンリだ。騎士団の活動の傍ら、異変を察知したので皆様方の治療を請け負わせて頂いた。教皇猊下の意向により対価は不要とするので、どうか安心して欲しい」
周囲から感嘆の声が漏れる。平民では高度な治癒魔術の対価は払えないだろうから、これは世俗の騎士であるとしたら異常な振る舞いだ。
声が収まった頃、人波をかき分けて壮年の男性が入ってきた。身なりが良いので豪商あたりだろうか、溌剌とした様子で俺に問いかけてくる。
「お初にお目にかかります、アンリ殿下。私はジーモンと申しましてこの街で小さな商会を営んでおります」
殿下と言うので周りがざわめいた。
反応は驚きと恐怖が半々。
やはりボースハイトの家名には特別な力があるようだ。
本当に嫌になる。
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