第136話 ハルラハラの霊薬

 魔導院の長大な廊下に五人で降り立つ。流石に皆も弁えており口数少なく、抜かり無く周囲の警戒に当たっている。それを見つつ俺は胸元から貴重極まる一品を取り出す。


 ──千里眼のスクロールだ。


 ダンジョン由来の古代スクロールは作成難易度が異常に高い。これも有限のダンジョン素材を使って、シーラがクリカラ監修の元作った一品であり、現代の魔導法則を超越した存在である。世間一般で言えばスクロールというのは火や雷を出す魔術を封じ込めたもので、特殊な効果をもたらすものは殆どないのである。

 スクロールを開けば端っこの方からボウと燃えて効果を発揮。思考の中に魔導院内の生物反応や罠等の位置がなだれ込んできた。集中していないとクラリと来てしまいそうだ。


 考える。俺が領内の村人を誘拐したならばどうするか──まずは人通りが少なく脱出が困難な場所に閉じ込める。管理コストと機密の漏洩を防ぐことを考えれば地下がいいだろう。今いる二階や一階は外部との折衝で人が通ることも稀にあるのだ。


「地下……檻に入れて、一箇所で監禁か」

 恐らく大きな間違いはないだろう。把握している魔導院内の人の動きは定期的なルートを通る者と、一箇所で細かく動く者がいる。前者が警備兵、後者が研究に携わる魔術士や助手たちだろう。


 警備順路をかい潜って一階に降りて、さらに地下への薄暗い階段を降りていく。降りた先は冷たい感じの石造りとなっており等間隔でドアが備え付けられていた。

 だが、どの部屋の中にも人は居ない。開けて確認しても木箱が積まれた物置部屋であったり、壊れたフラスコや魔術具が置かれているのみ。


「やはり罠がある場所が順路だろうか」

「罠か、何処にあるのだ?」

「突き当りの石壁だ」

「ふむ、マナの気配が僅かに……魔術的な罠だろうが……二時間ほど見て貰わねば」


 ファルコと二人で迷っていると、セヴィマールが空間に〈亜空穴〉を開ける。穴を覗くと『ここではない廊下』が見えていた。


「大体の場合は向こう側から簡単に開けられる仕組みがあるんじゃない? ほらー、レバーがあったし開けるよ」

 セヴィマールがガコンと音をさせてレバーを下げる。

 すると廊下の石壁の一部が地面に吸い込まれていき、あっけなく順路が開拓されて罠の気配が消えた。前々から思っていたが兄上は便利過ぎる。もうクソ上などと口が裂けても言えない。


「ありがとうございます兄上」

「おうよ」

「それと……先程から気になっていたのですが、なぜ俺の横を歩こうとしないのですか?」

「前に僕を盾にしたじゃん……アンリの横を歩いていると怖いんだよ……」


 道理が通っているし、セヴィマールはとても勘の良い男だ。俺は口元だけを歪めて笑い、セヴィマールは表情で不信感を顕にした。




 ◆




 廊下は人が二人通れるほどの横幅であり、番兵であろうか双頭の狂犬が奥から襲いかかってくる。

 人を容易く噛み砕く牙を見せて飛びかかってくるが、宙に投げられたファルコのナイフが容易く射止めた。喉奥から血を流しながら狂犬が死に、特に感慨もなく廊下の奥までたどり着く。


 本命の怪しい部屋前である。あらかじめ伝えておいた作戦通り、まずは俺が全力でドアを蹴破り部屋内に押し入る。剣を引き抜いて「動けば斬る」と恫喝。残り四人も各々の武器を携えて闖入してきた。


「ここが王立魔導院と知っての狼藉ですかっ!」

 気骨あふれる魔術士然とした男が吠えた。

 俺は男の喉を握って壁に押し付ける。


 この部屋は広い。汚れ一つ無い大理石の床と研究机。机上にはフラスコなどの錬金術具が鎮座しており、湯気の湧き出る細い壺からは悪臭が漂っている。壁には魔導書や学術書が満載された本棚があり──身なりが少し劣る弟子らしき者も三人居た。


 弟子の一人が魔術杖を振りかぶって炎の魔術を詠唱する。人頭ほどの火球が部屋を飛ぶが──祖父上が長剣で正面から叩き切ると、火球は二つに割れて地に落ちた。石の床を僅かに焦がす残火を見て、諦めた弟子が魔術杖を地面に落とす。


「ここには誘拐してきた技能スキルを持つ人が居るだろう? どうか抵抗せずに差し出してほしい」

「なるほど。あなた方は正義の味方という訳ですね。哀れな民を助けに来たと……非常に高貴な行いかと存じます」

「それを決めるのは俺たちではない。生存者は何人居る? 今まで何人誘拐した?」

「今の所……生存者は三名。総数は私の把握する所によると八千人くらいですね……。この四百年間、毎年二十人くらいを研究材料として扱ってきましたので。書類を見れば正確な数をお伝えできるのですが……」

「コリンナという子はいるか?」

「あの子はもう材料として使いました」


 奥にもう一つドアがある。鎮圧した弟子たちを横目にファルコがドアを開けて奥へ進む。すると奥の方から「三名の生存を確認。子ども二人に大人一人」と返答が来た。


「貴方はお怒りでしょうし、我々もこの行いが非道だと認識しております。ですが……私が子どもを材料にして薬を作らずとも、他の誰かが成し得たでしょう。需要があり、私は魔導の深淵を覗きたいと思った。それだけなのです」


 それだけ──と男はあっけなく答える。

 ファルコが弟子を一箇所に集め、他の三人が書類や研究結果をまとめた羊皮紙を検分していく。俺はこの男を尋問し、検分結果と照らし合わせることにする。

 不思議と怒りは湧かない。それもそうだ──この魔導院は王国が支援している、俺の一族が金を出し、人を集め、彼が言う『材料』を揃えさせたのだ。


「王家からの依頼で研究をしていたのだろう。何を作っていた?」

「……答えないと殺されそうですね。いやはや、人生というのは出会いにより構成されていると言いますが、この出会いは悪縁でしょうか、それとも報いでしょうか……お答えしましょう」


 男が深く深呼吸した。


「一言で言えば王妃に飲んで頂く“ハルラハラの霊薬”ですね。この薬を妊娠時に飲むと技能スキルに代表される素養がですね、とても良い形で発露するのですよ。歴代の陛下は強い男児の後継ぎをご所望されてまして、その為に霊薬を改良してきたのです」

「材料は人間か?」

「はい、流通経路を考えますと只人ヒュームが適しておりました。不要な肉体を削ぎ落として体内からマナを失わせ、死霊術を応用して魂を抜き出します。後はミスリルなどのマナ効率が良い錬金液に濃縮して霊薬とするのですが……大体十人ほど使えば一回分の霊薬が出来ます。効率が悪いのは我々の不徳のなす所です……」

「コリンナは苦しみながら死んだのか?」

「まさか! 苦痛は無いほうが良いでしょうし、麻酔を効かせてしましたとも。これは筆頭魔術士の裁量次第となるのが遺憾なのですが」


 そう言った男の顔は自信に満ちあふれていた。道を追い求める魔術士はこうなってしまう事が多々ある。横では顔に青筋を立てる祖父上とシリウスをセヴィマールが宥めていた。


「……実はローブの中に毒針を仕込んでいるのですが、貴方に手首を掴まれているので何も出来ないのですよ。遺憾ですねぇ」

「知ってる。俺も苦痛を与えるのは趣味ではないから、抵抗はしないで欲しい」

「かしこまりました。それで、この後はどうされるのですか?」

「そうだな──」


 答えようとしたのだが、ファルコが短剣を構えたまま割って入ってくる。


「拝月騎士団、特別執行部隊隊長のファルコだ。俺が所属と名前を言う意味は分かるな?」

 部屋を満たす魔術の光がファルコの短剣を照らしている。

 言葉の意味を理解した弟子たちが顔面蒼白で怯え、男は眉を歪ませてため息を吐いた。


「人が神の領域に踏み込むことは禁忌である。この魔導院で行われていた研究成果は全て滅却し、この部屋も焼き払う。研究者四名も冥府に落とす」

「神に弓を引かねば深淵は覗けぬのですよ」

「そうだ。だが俺にその論理は通じん」


 ファルコが軽く祈りを捧げて短剣で喉を貫こうとするので止める。


「少し聞くが、記憶を失うことについてどう思う?」

「それは……記憶とは人の自己確立を成す中枢。連続した自我意識の結果である記憶が無ければ人は人とは言えません。記憶しかり、知識しかり、憶えているから人は人足り得るかと」

「……記憶を捨てるか、ここで死ぬか選んでくれ」

「何と。そうまで言うならば記憶を奪う手段があるのですね。できれば記憶を失わずに、その秘技を見てみたいものです……」


 アリシアは〈記憶操作〉の技能スキルを持っている。

 人の記憶を覗くことも、消すことも容易いと言っていた。


「では、殺して下さい」

「良いのか? 覚悟を見込んで無罪放免とはならない。考え直す時間はある」

「言ったでしょう。記憶は私の存在証明なのです。奪われては生きていけません」

「分かった。最後に個人的な質問となるのだが、第三王妃マリーは“ハルラハラの霊薬”を飲まなかったのだな」

「貴方は……そうでしたか。しかし、よくご存知ですねえ! 詳しくは書類を読んで欲しいのですが、マリー王妃は気丈にも拒否したそうです! いやー、死神アロウの娘と陛下のお子でしたら……霊薬との相乗効果で素晴らしい力を持って生まれたでしょうに……遺憾です……」


 俺が大した技能スキルを持たずに生まれた理由だ。継承権争いから遠ざけようとしたのだろうか、それとも信念に反したのだろうか。どちらにしても俺は誇りに思う。


「ああ……自慢の母親だ。悪いが霊薬は二度と作らせない。弟子たちは記憶を消して欲しそうだな。後のことは任せておけと言っても、自分を殺す人間に託す気分にはならないだろうが」

「いやいや! 弟子の無事が分かれば満足です。悪いですが殿下、流石に怖いので早くお願い致します」


 察したシリウスと祖父上が必死に俺を止めようと手を伸ばした。彼らの思いやりを無視する心苦しさはあるが、人任せにしたくない。


 俺は灰なる欠月を抜剣し──そして苦痛が無いように男を斬首する。微笑む男の首が満足そうに地に落ち、赤黒い断面から血が吹き出した。

 セヴィマールが息を呑む横で、ファルコは満足そうに笑い短剣を鞘に収める。現実で人を殺したのは初めてだが罪悪感を覚えることはなかった。

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