幕間 灰の剣士の英雄譚

 五百万人の森人エルフが住まうオルウェ王国のど真ん中。樹齢二千五百年の巨木の周りに広がる王都──その一角にある一番値が張る宿屋にセヴィマールとアリシアはいる。

 白亜宮宝物殿での共闘後、アンリと別れてからのセヴィマールの人生はまさに順風満帆であった。個室の机に並ぶのは酒と肉、北部より取り寄せられた海産等の珍味、女は流石にアリシアが居るので控えている。


「アリシアも飲めーい! 美しい僕の奢りだ、わはは!」

「おさけ嫌い。おさけの匂い、くさい……」

「臭くねえ~。めっちゃいい匂いします~」


 セヴィマールは大口を開けて息をアリシアに吹きかける。


「イヤー! さけくさい~。さけくさい~」

「ワハハ! わははははは!」


 イヤイヤと手を振りながらアリシアは抵抗した。


 オルウェ王国に入ってより既に三十日が経過している。セヴィマールとアリシアは冒険者登録を済ませているが、もちろん第十位階から始めるという面倒極まる真似はしない。

 アンリから灰の剣士の証である『白檀の仮面』を受け継いだ時、セヴィマールの脳に雷が走ったのだ──そうだ、そこそこ高名な灰の剣士に成り代わろうと。


 かくしてセヴィマールは灰の剣士となった。ちなみに名前を奪う罪悪感はこれっぽっちも感じていない。

 自慢の金髪を灰色に染め、道中で出会った山賊から金貨を奪い、そして賄賂をギルド受付員に贈ったことにより冒険者の証であるプレートも再発行してもらっている。

 戦争による政情不安定が功を奏し、ギルド受付員も職業倫理より目先の金を選んだのがオルウェ王国の窮状を現していると言えるだろう。


「金と名声を稼いだら女王様から銀鉱山でも貰おっかな。オルウェの英雄様は爵位を固辞して代わりに鉱山経営で国に尽くす……なんて良い計画なんだぁ。あと大きな邸宅とメイド……そうだ胸が大きいメイドを十ほど雇おう」

「胸、胸って大事?」

「そうだよ、むしろ胸以外に大事なことってある? 大丈夫だって、ちゃんと金は払うし弁えた女を雇うさ。王族の誇りにかけて」

「胸って大事なんだ……」

「気にするのはそこかい! まあけど大事だよ。マジで~」


 アリシアが自身の慎ましい胸を触り、セヴィマールは哀れみの視線を向けた。

 セヴィマールの首にかかるプレートには第二位階冒険者の証として二つの星が刻まれている。オルウェに入ってから昇格したのだ。


 基本的な戦法は〈亜空穴〉で敵の後ろに空間の断裂を開け、そこから家が買えるほどの借金をして買った、強力な麻痺効果の付呪エンチャントが施されたナイフで斬りつけるもの。

 安全安心である。たまに目に余る悪党が居ればアリシアの〈記憶操作〉により善人になってもらっている。セヴィマールとしては将来的に所有するであろう銀鉱山で働かせるつもりだ。


「まあ真面目な話として家は欲しいな。大浴場と広い寝室、金が幾らあっても足りないなぁ。ん……安心しろってアリシアの部屋も作ってやるからさ」

「大きな家なんていらない……アリシアは……」

「呪いか、まあそれも任せとけ。なんとか解いてやるよ」

「ありがとう。セヴィマールさんって、もしかして優しい?」

「……馬鹿だなぁ。優しい言葉を使う人間が優しいとか、そんなの単純すぎだろ。民衆ってのは分かりやすいのを求めるの。僕が可哀想でかわいい子供を助けたら、皆は僕を英雄だと勘違いするだろ?」


 セヴィマールがコップに上等なエールを注ぎ、一息で飲み干す。


「そうだ! どうせアンリも何やかんやで失敗するだろ! 僕の豪邸に犬小屋を作って、路頭に迷ったあいつを住まわせてやろうか~、わはは」

「アリシアも横にすんでいい?」

「アリシアにはちっさな使用人の家でも建ててやるよ! ちゃんとアンリを世話するんだぞ。くっ、ふはは!」

「うん、一人でお世話する。そうしたらアリシアだけを見てくれるよね」

「怖いな、発想が……まあそこら辺は任せるけどさぁ」


 食事をよそおうとして体を乗り出したアリシアだが、自身の『翼』が引っかかってしまい、皿を落として割ってしまう。


「あっ……ごめんなさい……」

「あー、別にいいって皿なんて。それにしても呪い、結構やべえなぁ」

「ぐす……」

「泣くなよぉ。別にいいじゃん。翼と尻尾と角くらい、亜人の冒険者はそんなに珍しくないし」

「お兄ちゃんにこんなの見せられない……嫌われちゃう……」

「飯食ってんだから重い発言は止めてくれよ。カッコいいじゃん、ドラゴンっぽくて」


 アリシアの体の一部は二千年を生きた黒鱗の古竜で組成されている。呪いが進行したせいか体に特徴が出てしまっていた。この分では寿命も残り少ないだろうとセヴィマールは考える。

 身体能力は向上し空も飛べるようになったが、年頃の娘には辛いものがある筈だ。だが己が命を賭けてまでアリシアを助けることは無いだろう。所詮は血の繋がった他人なのだから。


 ノック音が響く。


 気だるげにセヴィマールが対応すると、そこには前に一緒に仕事をした、でっぷりとした三十過ぎの只人ヒュームの冒険者が居た。セヴィマールは仮面をつけたまま灰の剣士として対応する。


「夜分遅くに失礼するっす。いいすか灰の剣士様」

「どうした?」

「明日の合同依頼に同行するので挨拶す。俺たちのパーティーは第七位階なんで灰の剣士様に迷惑をかけないよう頑張るつもりっす」

「おうそうか。大船に乗ったつもりで僕たちを頼るといい」

「お~、かっけぇっす! ラルトゲン王国で数多くの魔物を倒し、さらには癒やしの聖女様をパーティーに引き入れ! ハイオークを殲滅した貴方様のご武勇。俺もあやかりたいもんです!」


 セヴィマールは喜色満面で答える。顔が仮面で見えないのを失念するほどに上機嫌であった。


「まあ、あれは楽勝だったなあ。群がるハイオークを僕が蹴散らす姿を君にも見せてあげたかったよ」

「さすが~そういや聖女様はいないんすか?」

「彼女も聖務があるってもんよ。僕も別れるのは苦渋の決断だったんだけどね」

「なるほど。あっ……ご飯中だったんすね。ではまた! 明日はお願いするっす!」


 冒険者が去っていき、セヴィマールはドアを閉めた。


「人生ってチョロい。なあ、アリシア?」

「どうだろー?」


 アリシアは子羊のソテーを口に運ぶ。翼がはためいているので恐らくお気に召したのだろう。


(アリシアはどうしたもんかね。呪いを解くのが無理だったら、アンリの所で余生でも過ごさせるか。僕にはちょっと手に余るよ)


 セヴィマールは椅子に座り直し、人生設計を思案し続けていた。




 ◆




 ラルトゲン王国の王都、竜涙騎士団屯所にて──王位継承権一位でもある騎士団長ヨワンは執務に励んでいる。五千騎を従える団長の職務範囲は広い。飼葉の買付だけでも莫大な予算が動くのだ。不備や不正を見抜くべく、こうしてヨワン自らが処理することも多い。

 苛立っているのは仕事量のせいではない。むしろ王宮襲撃における信用失墜が起因している。一部の口さがないものが己を何と呼んでいるか、ヨワンは知っているからだ。


 ──負け犬。


 襲撃は公にはなっていない。だが王国の秘宝を破壊され、第四王妃シーリーンを誘拐され、さらには王宮の一部まで燃やされた。王国が建国してより七百五十年、これほどの無様を晒した王家はいないだろう。

 築き上げてきたプライドがひび割れ、心に良くないものが流れ込んでいる。姿見に映った痩せた頬を見て自分で驚くほどだ。


「あの剣士、怪しげな剣を使う男め、絶対に許さん……」


 外で、天空魔術を使える場であれば何回戦っても己が絶対に勝っていた。だが空論を飛ばしても証明は叶わず、ヨワンの自尊心を満たしてくれることもない。


「カルラ、処理済みの書類を整理しておけ。分類ごと、起案日順にだ。分かったな?」

「…………」


 儚げな白髪の少女、カルラが頷く。

 ヨワンはこの少女を信頼している。なぜなら口が利けなく、平民で行くアテも無いからである。

 戦場跡で気まぐれに拾った戦災孤児は一礼してから手際よく仕事を始め、ヨワンは直ぐに興味を無くした。


「ヨワン殿下、宜しいでしょうか」


 ノック音と若い声。

 ゴルヨウ侍従長だろう。


「構わん。入りなさい」

「失礼いたします。報告で参りました」

「手短に報告せよ」

「はい。それでは──」


 ヨワンはゴルヨウ侍従長を高く評価している。派閥バランスを理解して慎重に動き、なおかつ王国に尽くそうとする気概も感じ取れる。それに歯の浮くような美辞麗句も使わない。願わくば幕下に迎え入れたいほどだ。


「なる程。それでは王宮襲撃の犯人が分かったと、そうなのだな?」

「この男かと思います」


 ゴルヨウ侍従長が机に一枚の羊皮紙を置く。

 そこには一人の男について書かれていた。だが余りにも情報が少なく、素性を隠し通そうとした者特有の動きが見て取れた。


「シーリーン様の部屋に残された犯行文には邪教結社である『神魔戦団』である旨が書かれておりました。ですが、可能性は薄いでしょう。彼らの生き残りにそこまでの力はありません」

「だろうな。しかし王妃はダルムスクの生まれだ、その線は無いのか?」

「恐らく無いかと。諜報網ではその様な動きは察知しておりません。それに拐うならば反乱の旗頭としてサレハ殿下を選ぶべきです」


 更に二人は議論と推測を重ねる。怪しげで不可解な点はあるが、やはり結論としては一人の男が怪しいとなる。主犯である可能性は半々。だがヨワンは可否がどうであれ、この男を捕えると決めた。


「では結論として」

「はい、冒険者であるこの男が怪しいかと」


 ──羊皮紙には、灰の剣士と書かれている。


 ヨワンは憎々しげに人相書きを睨んだ。これほどに人を憎んだことがない、冷めきった心に初めて灯る情念は復讐心と言うのだろう。


「彗星の如く現れた、主犯と同じオリハルコンの剣を使う冒険者。短期間で第三位階まで上り詰め、忽然と姿を消した男です。冒険者としての活動を休んでいる時期に王宮が襲われ──その後は逃げるようにして北部へ、オルウェ王国へ逃げ込んだ」

「なるほどな」

「敵対国へ逃げるとはあからさまに過ぎます。追手を差し向けてご、……失礼、尋問しますか?」

「手練を送れ。だが、絶対に殺すな。私の前に無傷で連れてこい」

「かしこまりました。では手配します」


 カルラが深々と礼をとる横を通り、ゴルヨウが退出する。


「絶対に殺してやる。灰の剣士よ、私の剣にて」


 ヨワンが憎々しげに吐き捨てる。羽ペンをバキリと音を立てて割り、残骸を放り捨てた。


「そうせねば、私は一歩も前に進めないのだ……」


 屯所の一室にヨワンの声が虚しく響いた。

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