第119話 惑わしの魔人イサルパ

 キャンプ護衛に十人ほどを残し、残りの獣人戦士と騎士で館内に入る。

 だが、中は魔物の巣窟であった。


 腐食粘体ブルースライム岩漿粘体レッドスライム浮遊邪眼イビルアイなどの見慣れたものから、強力な個体としては斧雄牛タウロスすら居て──この魔物には多くの者が葬られた。


 死闘というべきか、多くのものが敵味方の区別なく屍を築き、そして血路を開いた。

 兵力と言える兵力は今や無く全滅に近い。蘇生して戻ってくるにしても大河を渡り、魔物がいる道中をやり過ごすのは難事である。


 そして残された兵力も直ぐに命の灯が消え失せるだろう。

 それ程に、目の前の魔物は異質だ。


「あなた達は何?」


 下着のような薄い布をわずかに纏った、妖艶な美女に見える。だがこれは魔物だ。縦長の瞳孔も蝙蝠のような翼も、酒気が如き甘い匂いも──全てが人外じみている。


「俺たちは眷属衆ブラッドジニス……かつての氏族長シリウスを筆頭として領主殿に仕える……誇り高き、戦士……」


「ふうーん。あっそ、此処にはなんで来たの?」


「子どもたちの奪還……薄汚い、魔物を……殺して……」


「薄汚いってのはワタシの事かしら? 傷つくわねえ」


 魔物が酷薄に嗤う。すでに騎士は全滅、残された三名の獣人戦士もすでに危うい。幻惑魔術である〈上位魅了ハイ・チャーム〉が既に全員にかけられており、意志の自由はままならない。


 あれは淫魔では無いだろうか。

 拝月教が作り出した空想上の存在である筈なのだが


「もういい、死になさい。〈己の槍で首を貫け〉」


 獣人戦士が槍の穂先を握りしめ、勢いをつけて首元を貫く。うめき声も上げず、まるでそれが当然かのように三人は自死し、石床に血溜まりを作った。


「ツマラナイわ。ワタシは色々と知りたいの。残った六名のうち……誰が訳知りなのかしらねぇ……」


 救出班も全て〈上位魅了ハイ・チャーム〉により意思が奪われている。目線を横に向ければ虚ろな目で命令を待つ皆が見えることだろう。

 俺だけが不惑の首飾りニ・デビュータにより魔術を防いだ。今は魅了をされたふりをして何とか情報を抜き出さなければ。子供がどこに居るか、この魔物が何者なのか。


「面倒ねえ、それぞれ自分が何者であるか答えなさい」


 それぞれが名前と領内での役割を答えていく。おじさんはアロウと名乗り、自らを只の剣士だと言った。


「シリウス、ファルコ、アロウ、リリアンヌとシーラ……それとアナタは?」


「私はアンリ・フォン・ボースハイト・ラルトゲンと申します」


「長い名前ね。なぜ?」


「……この地方一体を治める王族であるからです。ボースハイトは家名、ラルトゲンは国名を意味しております。偉大なる支配者よ」


「ふうーん。偉いのね。しょぼい顔してる癖に」


「恐縮です」


 へりくだった物言いが正解だった。虚ろに答えるよりも魅了の支配下にあると思われるだろう。

 無理矢理に破顔して、殺意を顔に出さないようにしつつ魔物に阿りの視線を向ける。どうやら満足いただけているようだ。


「ワタシは知りたいの。ここの土地は極まれに、空気がガラリと変わる。ワタシがワタシであると認識した頃には既にそうだった。なぜだ?」


「支配者よ。我々はそれを再生成と呼称しております。恐らくですがマナにより成り立つこの空間を、より長期的に保つためにされているのです」


「支配者、か。ふうん。悪くはないけどイサルパ様と呼びなさい」


「畏まりましたイサルパ様」


「再生成ね、恐ろしいのよワタシは。ワタシは次の再生成とやらで消えないのか、自我の連続性を保てるのか。そもそも自己が自己であることの保証を他者に委ねていることをね」


「仰るとおりで御座います」


「…………あなた、本当に魅了にかかっている?」


 血の気が引く。ダンジョン内で死ねばやり直せるが、魅了されたままで皆を残して行けば回収ができなくなる。


「なんてね、フフ。アンリ……けっこう可愛い顔しているわね。ちょっとコチラに近づきなさい。ああ、剣は床に置いてね」


 言われたとおりにする。

 すると頬を掴まれ眼球を覗き込まれた。


「〈記憶疎通メモリー〉…………うーん、嘘は言ってない。けど硬い心ねえ、表面しか見られないわよあなたの記憶。よっぽど他者を信じてないのね。だめよそんなんじゃ」


「申し訳ありません」


「あっ、恐ろしいヒトガタの魔物を魔人という事もあるのね。じゃあワタシは魔人イサルパと名乗りましょう。分かったかしら」


「承知しました、魔人イサルパ様」


「うむ、それと忠誠の証ね。あなたの大切な人を、今ここで殺せ」


「──っ! どうかお許しください」


「許さない。何で許す必要があるの? ねえ、教えてよ?」


 殺すのか。誰を殺すべきなのか。

 剣までは五歩、取ってイサルパを斬るには不足がある。感じる圧力からすると戦闘においては俺と同等の可能性がある。


 イサルパは皆に〈記憶疎通メモリー〉を順繰りにかけていき、時たま嬉しそうに嗤っていた。終わると振り返り、俺に向き直る。


「人っていうのは、己より他者を大切にするのね。ノワールだっけ、あの子供もねえ。ク、ははは、簡単に拐えたわよ。外から心に感応してねえ──ワタシがお母さんなんだって勘違いさせたの。フルドとやらも同様ね、心に脆い部分があれば支配は容易くなるのよ」


「はい。イサルパ様」


「知ってるあなた、傑作よお。あの子の母親はねえ、修道院とやらに子供を捨てた後に、体を売る下賤な仕事を始めたのよ」


「は、い」


「毎月、毎月、小汚い革袋が修道院に届くのよお。そして中には銀貨が詰まっているの。けどねぇ、ノワールが六歳の冬に届かなくなった。何でか分かるアンリぃ?」


「死んだ、からだと」


「自分のために使えば長生きできたのにねえ。本当に愚かしいこと」


 頬にイサルパの鋭い爪が食い込む。血が流れる熱い感触、肉を切り裂き口腔まで爪が侵入してくる。歯を食いしばる。俺は魅了にかかっているのだ。痛みで声は上げられない。


「本当にワタシの力は素晴らしいわ。あなた達の記憶からすると外の世界ってのも有るらしいわね。出てみるのも一興なのだけど……」


 血を滴らせながら爪が抜かれる。

 舌が乾いて脳の奥先がひりつく感覚。


「再生成は外部から持ち込んだものには適用されない──アンリは良いことを教えてくれたわ。やはりワタシの仮説通りねえ」


「仮説とはなんで御座いましょうか」


「外から来た者の強靭な魂を取り込めば、ワタシはずっとワタシであれる。あの子供二人とお前らは贄にこそ相応しい。だけど複数が混ざると厄介だから一人だけ……誰にしようかしら……」


「素晴らしいお考えです。子供二人を連れて参りましょうか?」


「あのガキ共もギャーギャー煩くてねえ。三階の小部屋に放り込んでるわ。やっぱり弱い魂は要らないからあなたが始末しておきなさい」


「承りました。必ずや務めを果たします」


 これでいい。これで帰還のスクロールを使えば二人は逃げられる。

 最悪の場合は皆を殺して、蘇生により精神操作から抜け出させる。俺は蛇蝎のごとく忌み嫌われるだろうが仕方ない。


「それでは失礼いたします」


「待ちなさい」


 踵を返して階段を上がろうとしたところ、イサルパが呼び止めてくる。


「あなたの大切な人を殺せって、ワタシは言ったわよね。忘れるほど愚かだと思ったの? それともワタシを舐めているの。不愉快ねえ……魅了がかかり辛い男なのかしらアンリは……」


「申し訳ありません」


「まあいいわ、じゃあワタシが選んであげる」


 イサルパがおじさん──いやアロウを指して酷薄に嗤う。


「あなたの心は面白いわね。ねえ、アロウ・フォン・フォレスティエ。何でアンリの祖父であることを隠していたのかしら」


 祖父? アロウが俺の祖父、

 フォレスティエ家の者だと言った。

 心臓の鼓動が早くなる。

 なぜ黙っていたのか。


「なぜなの、アロウ?」


「遠くから、ひと目見るだけで良かったのです。孫の心を……母を、マリーを思い出させて、つらい思いを……ワシは……させたくなくて……」


「素晴らしい家族愛だわ。心を隠して、けれど傍に居たいと思うのも我慢できなかったのねえー」


 哄笑が響く。イサルパが嗤っている。


「じゃあアンリを殺しなさい。あなたの孫が何時まで経っても選ばないから悪いのよ」


「出来ん! それだけは出来ん! 魔性よ、死ぬがよい!」


 アロウが黒剣を抜き払ってイサルパに斜めの斬撃を繰り出そうとしたが──途中で止まる。手のひらを突き出したイサルパは驚き顔を浮かべていた。


「魅了が効きづらい家系なのかしら……? まあいいわ、少し趣向を変えてあげる」


 見えないように魔剣を手に取る。

 しかし俺が斬るより早く、イサルパは何かしらをアロウに施した。虚ろな目のままこちらを見つめ、黒剣をこちらに構えられる。


「さあ! 舞踏会の始まりよお! 〈殺し合いなさい〉!」


 アロウの瞳が怒りで濡れている。俺を憎し気に見つめ、柄が壊れんばかりに握りしめられている。質量を伴うかのごとく殺気は体に纏わりついてくるようだ。


「アルファルド……か?」


「何を、違います!」


「アルファルド……! よくも我が娘マリーをしいしてくれた……! ワシはキサマを殺すため、一度は捨てた剣を、錆びた心を……キサマを殺すためだけになあッッ!」


「アロウ、いや祖父上! 落ち着いて下さい。俺は父王ではなくアンリ、アンリです!」


「黙れェッ! キサマの愚行を、友の過ちを! フォレスティエの名にかけて罰してやる!」


 鍛錬のときとは比べ物にならない、鋭き斬撃が飛んでくる。教えてもらった構えで受け、二合打ち合ってから距離を取る。


 そこには俺を鍛えてくれた老人はもう居らず、只一匹の悪鬼が居るだけであった。

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