第117話 アーンウィル眷属衆
ノワールの事はよく憶えている。
快活な少女で、俺が冒険者としてハーフェンに過ごしていた頃、よく仮面を剥ごうとしていた。好奇心旺盛でフルドともすぐに仲良くなれた黒髪の少女だ。
年の頃は七歳、淋しげな笑顔が印象的だった。修道院で孤児になったのは父親がオルウェ戦役から帰って来ないから。ノワールの母も女手一つで子供を育てるのは無理だったのだろう。
一度情報を共有してからは周りは慌ただしくなり、職人や戦士、それに騎士たちが捜索を続けている。考えたくもないが防壁外で魔物に襲われている可能性も考慮して──動いてくれている。
報告だろうか、サレハがこちらに、中央広場まで走ってくる。
「何か分かりましたか?」
「何も。サレハの方は」
「いえ……ですが外からの可能性は低いでしょう。ファルコさんやシリウスさんが居るのに、忍び込める人が居るわけ無いです……」
「テレン兄上なら出来る。あの人は誰にでも化けられるし、俺に化けて二人を拐ったのかもしれない」
「落ち着いて下さい。兄様に今、喧嘩を売る理由がありません! それに……僕たち王族が子供二人の人質で心動かされるなんて……テレン兄上が思う訳ありません」
確かにそうかもしれない。
俺から見れば、惑わせるのにフルドとノワールは十分に足りうるが、外から見てそう思えるだろうか。悪く言えば彼女たちは只の領民で大きな価値は無い。
横で耳を伏せているガブリールにフルドが着ていた服を嗅がせる。
「行けるか? 匂いを追ってくれ」
ガブリールが小さく吠えてから、匂いを嗅ぎ始める。それから、多くの場所を一緒に探した。
日が薄く当たる路地裏、防壁近くの弓的が並べられている鍛錬所、村が見下ろせる防壁の上、子どもたちがよく遊んでいる場所だ。
最後に着いた場所。
そこは、ダンジョン前、石碑の部屋であった。
「おい、
石碑をベシベシと叩く。すると気だるそうな、不機嫌そうな声が脳内に響く。
《とても煩く思います。光りますよ?》
「やめろ、もう光っている。七色に光られると目が潰れる」
《個体名アンリ、貴方には礼節と配慮が足りません。偉大なる魔術師ル・カインの弟子であり、惰眠を楽しむ高貴なる私に一体何の些事で出向いたのでしょうか?》
「子供が二人消えた。この部屋に来なかったか?」
《子供……たまに来ていましたが入り口を見ていただけでした。入ってはいけないと大人たちから言いつけられていたようですから》
「今日はどうだった。いまダンジョンに誰が居るか、カーナなら分かるんじゃないか」
《……承知しました》
しばし待つと、入口の階段から報告のためだろうか、シリウスを始めとした主だった人員が揃って入ってきた。カーナの方も答えが出たようだ。
《個体名フルド、ノワールはル・カインの試練、十五階層に居ます》
ざわりと周囲がどよめく。
《どうせ死ぬでしょう。死ねばこの部屋に帰ってくるのですから、少し待つことを推奨します》
「ふざけるな。子供が死んでいい道理が何処にある」
《冗談ですよ。貴方の怒った顔を久しぶりに見たいと思っただけなのです》
「恋人気取りかお前は。早く調べてくれ。敵は居るのか、そもそも二人がなぜ入ったのかも」
《はあ、無礼。その荒い口調は我々の出会いが悪かったせいですね。口も悪いですし。悪いことづくめ》
前回踏破したのが十階層、そこまでは転移魔法陣で飛べる。しかし難易度が激烈に高い階層であり、現に俺は前回、
《調べます。照合──転移魔法陣干渉履歴──暦検索──周辺共通紀元単位と統一──王国歴七百五十年──検証範囲狭化──該当者三──ノワール、フルド、そして干渉個体が一体》
「干渉個体?」
《今名付けました。今までに例を見ない個体で、干渉不能な方舟のダンジョン内から働きかけてきました。フルドとノワールは干渉個体と一緒に入ったようです》
「脅されたのか……? 分かった。精鋭で救出に向かうからメンバーを決める」
見渡して候補をひねり出す。
「俺とシリウス、ファルコ、おじさん、リリアンヌを主のパーティーとする。その他は探索補助及び領内の警戒。騎士たちと異端審問部隊は協力者なので命令は出来ませんが、どうかお願いしたい。おじさんも良いですか?」
クラウディアが無言で頷いて了承の意を示し、おじさんも力強く握り拳を前に差し出す。だが反対にサレハは不服そうに唇を尖らせた。
「万が一を考え防衛の要としてサレハを残す。魔物の大群を相手にする場合に一番適しているからだ。分かってくれるか?」
「はい……」
「子どもたちを守ってくれ。干渉個体とやらが一体とは限らん。それに外部の横槍も考慮して警戒を強めて欲しいんだ。信頼しているぞ、弟よ」
「兄弟である事を引っ張られると弱いんです僕は……分かりました」
一同を集めて細部を詰める。従士が必要物資を抱えて部屋まで運ぶ傍らで、着々と戦闘準備を進めた。するとシーラが師匠であるクリカラを抱えてこちらに来る。
「あの、付いてきます。私も錬金魔術を覚えたんです。お兄さんのお役に立ちたくて……ダメ、でしょう、か?」
「気持ちは嬉しい。だがシーラは戦闘要員ではないから──」
「探索系統の錬金魔術も使えます!」
「探索はガブリールに任せられるんだ」
「あの、その、ガブリールさんですけど」
シーラが少し言いづらそうにする。
気まずそうな、食器を壊した子供が親に告白するような感じだ。
「ガブリールさんは妊娠しています。ダンジョンはダメです」
「何だとッッ!」
「あっ、やっぱり気づいて無かったんですね」
「いや、ちょっと太ったかな? とは思っていたが、冬に備えて脂肪を蓄えているのかと……」
「そうなんです。ダンジョンには魂のない者は入れません。今、ガブリールさんの赤ちゃんは魂が形成されきっていない不安定な状態でして、もしダンジョン内で死んだりすると蘇生時に悪影響が出るかもなんです」
「分かった。分かりたくないけど。分かったよ。ガブリールは置いていく」
目眩がする。どこの狼がうちのガブリールを孕ませたのか。もし遊び目的なら相手を去勢する義務が俺にはある。
会話中にもダンジョン探索準備が進んでゆく。今はポーション一式が箱で運び込まれているが、部屋の片隅でファルコとシリウスが何やら言い争っているのが見える。
「キサマが孕ませたのだろ、狼くん。これだから獣人は」
「────そのよく回る舌を引き抜いてやろうか
「ククク、やるか?」
「フ、フフフ……」
仲が悪い。とりあえず瞬きを一切せずに凝視しておくと、気づいた二人が気まずそうに会話を止めた。結構効くなコレ。
魔術を発動させるのだろうか。
シーラの腕からクリカラが抜け出した。
「偉大なるラ家の娘たるクリカラ様が魔術と錬金術の応用を見せてあげよう。いけーいシーラ、我が愛弟子よ」
「シーラがやるんじゃ無いですか。家名が号泣してますよ」
「ぬいぐるみの体じゃマナをうまく使えないのー!」
「それはまた。ご愁傷様です」
シーラが木箱の傍らに座り込む。
「今回は風の妖精を作ります。風は熱と湿の性質を持ち、方角としては東に触媒が必要です。けれど風単体ではとても安定性に欠けますので、副触媒として冷と乾の性質を持つ土を少量──北に置きますね」
「なるほど」
「風の触媒としてノイハレオレンジ、土の副触媒としてルペルト小麦の種を使います。土はすべての属性の中心であり、錬金術世界において固定的な意味合いを持つんです」
「柑橘類と穀物か。えらく身近に感じるよ」
「はい、けど属性的に意味合いが近ければそれで大丈夫なんです。最後に術者とのリンクを保つために体の一部位を捧げます」
シーラが髪を一房ナイフで切り落とす。
そして魔術を詠唱し始めた。
「深呼吸……深呼吸……。すー、はー、行きます。〈
触媒を中心に黄色と緑の波紋が波打つ。絡み合う波紋は部屋の床を満たしていたが、シーラが集中するにつれて一点に集中する。
そして錬金術の妖精が顕現した。
水晶の羽根を持つ手のひらサイズの蝶々。
シーラを主と認めたのか、周りを舞っている。
「出来た……出来ました師匠!」
「おお偉いぞ弟子ぃー。疑似人格も無い初歩的な妖精だけど立派なものねえ。才能あるわよ、才能」
「ししょー」
シーラがクリカラを抱きしめて成功を祝い合った。従士が最後の木箱を床に置き、すべての準備が完了。だが、さあ行くぞとならず、なぜか全員がこちらを見つめている。
「まだ皆は浮足立っておる。ここは総大将の演説が必要であるゆえ、お願い申す」
「総大将? ならば俺か……。だがおじさん、演説なんて出来ないぞ」
「皆には早く子供を助けたいという思いがありますが、だが死の恐怖が体を縛ります。殿下は騎士たちの長ではありませんが、獣人戦士の長でありますゆえ、ここは心奮い立たせる男向けの演説が必要ですなあ」
急ぐ必要がある。迷う時間はない。俺の言葉一つで二人を助ける確率が上がるなら、どんな言葉でも紡ごう。
「では──
戦士たちが槍を振り上げて「応っ!」と叫ぶ。
「同族のフルドを思い出せ、勇敢だった父のアルカラを思い出せ。お前たちの戦友は千の
一人の戦士が瞳に涙を湛え、歯を噛み鳴らす。熱と怒りが部屋に充満するのを感じた。
「報復だ、報復が必要だ! 敵は死者の尊厳と名誉を貶め、俺達の大切なものを奪った! 骨の一欠片、髪一本残らずこの世から滅却させろ!」
戦士たちの瞳に危険な火が灯る。音がするほどに槍を握りしめ、感情は爆発寸前だ。
「俺たちは何だ! 応えろ!」
勢いで言ったが俺たちは何なのだろうか。
「俺たちはアーンウィル
若い獣人が力強く応える。
どうやら彼らで呼称を考えていたらしい。
「そうだ! 今日、俺たち
「応ッ! 総大将ッ!」
「フルドとノワールを助け出し、敵の臓物をえぐり出して亡きアルカラに捧げろ!」
「殺せッ! 殺せッ! 殺せッ!」
「そうだ殺せェッ! 行くぞ野郎どもォ! 連中にオリハルコンの輝きを見せつけてやれェッッ!」
「ウォォオオオオオオオッッ!」
オリハルコンの穂先を持った槍が掲げられ、部屋に怒号が、爆音が鳴り響く。体表がビリビリと震え、シーラとリリアンヌなど両手で耳を抑えるほどであった。
シリウスが頭を抱えている事から、お気に召さなかったことも分かる。だが今はこれでいい。二人を助け出せれば他には何も要らない。
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