第112話 恨み、猛る者
サレハの放った〈龍閃〉──紫光の光線が大穴をさらに穿った。
岩石が削り取られ、土はそこになかったの如くに消滅。暴力的な破壊音はいつまで続いたであろうか。
まばたき程の一瞬か、それとも短い夢を見れるまどろみ程か、なにぶん全員が必死に聖槍を支えていたので覚えてはいない。
兎にも角にも、ゴブリンの巣は壊滅した。
大穴は完全に崩落し二度と使えはしないだろう。
「体の方は大丈夫かサレハ。マナ不足ではないか?」
「いえ……あと一回くらいなら撃てそうです」
サレハがふうと息を吐いて、恭しく聖槍をクラウディアに返す。引きつった笑顔を浮かべてはいるが戦果にはご満足いただけたようだ。
だが後一回でマナが空になるなら無理は禁物である。帰り道に強大な魔物に襲われれば危ういので、このままアーンウィルへの帰路を辿ることにした。
そろそろリリアンヌも帰ってくるだろう。
離れて数日だというのに、もう会いたいと思うのは女々しいだろうか。周りに聞こうと思ったが馬鹿にされるだろうから止めた。
◆
そこで
桶に入った糞を穴に捨てる作業がリゲルの日課だ。
早朝に誰よりも早く起き、家々を周って便所から糞を貰う。頭を下げて媚びへつらうのは元氏族長である彼からすると屈辱的だが、もう五年は耐えている。
リゲルはかつて戦争に負けた。
鉄輪も、誇り無き任も当然の報いだ。
そう己に思い込ませて日々を過ごしてきた。
戦争に負けてすぐは燃え盛る激情があった。己に比べれば遥かに矮躯の
リゲルの家族を、誇り高き戦友たちを、子を、親を尽く鏖殺された恨みが原動力だった。
殺したい。体を引きちぎり生まれてきたことを後悔させ、その矮躯に相応しい結末を迎えさせてやりたい。価値なき生に悲と惨を塗りたくり、苦をもって贖いとさせるのだ。
(だが、今となっテハ……)
リゲルはこちらを指差して笑う少年たちの前を横切る。
「おいリゲル!
「…………」
「言葉も喋れねえのか。ハハ、見ろよ! 無駄飯喰らいのお通りだ!」
少年が嘲笑する。周りも同調し嘲るが、止める大人はいない。
氏族長であったリゲルの心はいつしか折れていた。
家畜の使い古しの藁で寝る日々がそうさせたのだろうか。それとも、矮小だと思っていた者たちに完膚なきまでに負けたことがそうさせたのだろうか。
リゲルは己の心が分からない。
ただただ、死が待ち遠しい。
己を狩る死神が早く来てほしい。
「返事しろよ木偶の坊! それでも元戦士か! 恥ずかしくねえのかよ!」
「…………」
石が頭部に当たって僅かな痛痒を感じた。
だがそれだけだ。
反抗的な目つきでもすれば、酷い責苦が待っている。
今日もツマラナイ労役が待っている。
明日も、明後日も、ずっと先も──。
リゲルは色彩の無い世界を、たった一人の
◆
夜半──据えた臭いのする藁に体を沈める。リゲルは野ざらしのまま黒の中に浮かぶ星々を眺める。名前が付いているのだろうが一つも分からない。
(妻はよく覚えてイタ。もっと聞いておけば良かっタ)
胸の中が疼く。チリリと燻る感覚が、戦場の高揚感に似ていた。だが力を振るって、逃げてもどうなるというのか、もうリゲルを受け入れる氏族はこの一帯には無い。負け犬の氏族長など唾棄すべき存在だ。
「なんダ……?」
足音がする。目を擦って闇夜を見透かすと、そこには男が居た。最初は
(
目が闇に慣れるとローブを被った男だと分かる。拳を握りしめながらリゲルは誰何することにした。
「何者ダ? この村には何用で来たか答えてモラオウ。内容如何によっては殺させてモラウ」
「殺させてもらう……? ふ、ふふ……そこまでの気概があるならば走狗に甘んじはしないだろう」
「答えになっていナイ。無駄なお喋りはきらいダ。ヌシは何者だ」
「お前の理解者だ。
リゲルは殺意を込めて睨みつける。
こういった手合は物狂いか、魔物のどちらかだ。
「悪意溢れる世界の庭に、今日も報われるべき生命が露と落ちてゆく。ああ……なんと悲しいのだ。そう、我は凪いだ水面に石を投げ入れる者なのだよ。まずは名前を教えてくれぬか、我が友よ?」
「リゲル……だが覚えなくてイイ。此処で死ぬ者には必要ナイ」
鎖で繋がれてはいるが、男は拳の間合いに入っている。
リゲルは獣じみた瞬発性を発揮して拳を振るう──が、虚しく宙を切った。だが可怪しい、確かに当たっているのに、そこに男がいるのに、拳が通り過ぎたのだ。
「リゲルよ……これは〈幽体化〉と言ってな、はるけき昔の先代から受け継いだ
「術覚えか!」
「如何にも、如何にも。我が力の一端である。さて、もう一つ見せよう。これは五代前だったかな……まあ、いい〈眷属─蠅〉」
ブブブと耳障りな音が四方八方から届く。虫、いや蠅の羽鳴だろう。星と月の薄光が消えたと思ったが違う。これは蠅が空を埋め尽くしているのだ。
「この小さな村を蠅で囲ってやった。範囲から出ようとすれば──想像もできぬ苦痛を感じた後に死ぬであろうよ」
「ふざけるナ!
「これはこれは……異な事を。真に滅ぼしたいと思っているのは誰であろうな……」
「グゥウ……!」
「この広い世界の中で、五百余りが住むこの村は閉じてしまった。悪行を咎める神も、不徳を尊ぶ悪魔も邪魔は出来ん。さあ余の手を取れリゲル。そして万感の思いを、果たすのだ」
男が手を差し出してくる。わずかに見える容貌はかなり老けて見える。やはり
「恨んでおろう? 己を嘲るものを、愛を奪ったものを、誇りに泥を塗ったものを」
「それは我の恨みダ! 盗むナ! 口に出して貶めることはリゲルが許さナイ!」
男が己を強く掻き抱き、ビクビクと身震いし、口から涎を垂らして恍惚とした表情を浮かべる。リゲルにとって気味が悪く、とてもおぞましく映った。
「おぉお……すまぬ、すまぬリゲル。余りにも似ているから……つい、からかってしまった」
「狂いガ。殺してヤル」
「まあ待て友よ。南方にて手に入れた、とても珍しきものを見せてやろう」
男が両手を上げると頭上に亀裂が入る。何事かを小声で言ったのだろうが、魔術か何かは分からない。
「これはとある女性の剥製だ。種族が違うと美醜が分からんでな……だが美しい女性なのだろうな……お前にとっては、世界で、一番……」
亀裂から剥製がズズズと地面に優しく落ちる。
美しい女性。泥となった記憶が掻き乱された。
これは。
これは誰だ。
誰だ。誰だ。誰だ。
「ありえナイ……!」
「認めたくない気持ちは分かる。だがこの村の者はな……お前の妻を剥製にして晒し者にしたのだよ。余が見つけるまで、遠くで売られて貴族の玩具になっておったわ」
「魂を侮蔑したナ。これでは戻れナイ……!」
「苦悶の表情……生きたまま皮を剥いだか……哀れなことよ……」
胸の奥の熾火が、空気を吸い込んで膨らむ。
後悔と諦観が殺意に飲み込まれて、己を支える背骨となる感覚。全身に力がみなぎり、目の前がチカチカと明滅する。
そうだ、我は、ずっと殺したかったのだ。
この薄汚い
「グゥアアアッ! 殺してヤル! 殺して、ヤル! 薄汚い屑どもを、この世から一人……残らず」
失われた色彩が、赤色に染まって蘇る。
怒りが一氏族で収まるものか。すべての亜人と獣人を殺さなければ静まらない。
己を縛る鎖を渾身の力で引っ張る。鉄がひしゃげる音、食いしばりすぎて奥歯が砕けたがどうでも良い。すぐにバキリと音がして太い鎖が引きちぎれた。
「殺ス」
村を見据える。
夜襲であれば己の足りない頭でも問題はない。あいつらは策を立てる暇も、お得意の毒を使う暇もない。皆殺しだ。
「まあ待て友よ。これを使うと良い。餞別だ」
男が漆黒の長柄の戦斧を手渡してくる。受け取るとズシリとした重量感があるが、不思議と手に馴染む。魔術には覚えがないが、もしかするとそういった武具かもしれない。
「それは
「アーティ、ファクト?」
「分からずとも良い。愚か者たちを死後も辱められるのだ。これほどの喜びはなかろうよ……お前と立場を変えてみたいくらいだ。いや、今はまだ止めておくか」
「何を言うカ。訳がわかラヌ」
早く殺したい。会話を終わらせたい。
だが、目の前の男が気になるのも事実。感じる重圧は人智を超えており、先ほど見せた術も力の一端でしか無いはず。一人で国すら落とせる化物なのでは無いだろうか。
「もしやヌシハ……死神なのカ?」
「余は死というものを忌み嫌っておる。むしろ善神と呼んでほしいものだな」
「どちらでもイイ。我は使命を果タス。礼を言うゾ」
「ああ、さらば友よ」
大きく息を吸い込み──喉が張り裂けるほどに叫ぶ。
「ウォオオオオオオオオオオオッ!」
村のいたる所から馬鹿者共が顔を出す。
子も親も、氏族長も皆殺しだ。
歩き、進み、昼間に見かけた子供を視界に入れる。
恐怖に歪んだ顔を殴りつけると、ゴチュリと音がして首があらぬ方向に曲がった。
(他愛なイ……他愛なイ)
親が槍を持って出てくる。
戦斧で首を切り飛ばす。すると
悲鳴。
恐怖の感情。
村が絶望に包まれる。
(この様な高揚感……久しく感じてなかッタ)
これから、村民をひとり残らず殺し尽くす。蠅の結界が手助けしてくれるので、ゆっくりと時間をかけて楽しもう。
そう思うとリゲルは歪む口角を抑えきれず、戦斧に込める力も否応なく強くなってしまうのだった。
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