第106話 エピローグ─Ⅲ─いっぽうその頃

「ねえシーラ。アンリたちが白亜宮……だったっけ。そこから帰ってきたみたいだよ。出迎えに行ってみたら?」


 シーラは双子の姉の言葉を聞いて頷く。

 少し高揚した気分。外に出歩いてばかりのアンリとは最近話す機会も減ったが、草原に三人と一匹で過ごしていた頃のように話してみたいと感じた。


「うん、行ってくるねお姉ちゃん……って、一緒に行かないの?」


「ふふふー、邪魔すると悪いからね。姉心ってやつだよ」


「もー、そんなんじゃ無いのに」


 シーラは後ろを振り返る。師匠と切り盛りする錬金工房には二人の姿があった。古代人であるクリカラとオーケンハンマーだ。


「でね、オーケンハンマー。ホムンクルスで体を作ったは良いんだけどさー。問題が有るわけよ」


「そのみみっちいヌイグルミの体ともおさらば出来るんじゃ。何が問題かの?」


「皆の食事風景見てるとさ……あまりにも食文化が遅れてるのよ……体を手に入れても好き嫌いで餓死しちゃいそう……。それにホムンクルスもまだ幼児ボディーだしねえー」


「贅沢もんめ。飯なんて食えれば何でもいいんじゃい。あと儂はホムンクルスはあんまり好かん。邪道じゃよ」


「技術発展のためには倫理観をある程度捨てないとね。あの灰なる欠月も今度貸してよ。魂関連で実験したいことがあるからさ」


「剣はアンリ次第じゃの……。あと技術とは先人の努力の結晶。誇りと名誉に泥を被せるような真似はイカンぞい」


 言い争い──いやじゃれ合いだろう。二人とも仲が悪いと互いを評しているが、本当に悪ければわざわざ錬金工房まで来ないはずだ。

 大きめの瓶に浮かぶホムンクルスを見てシーラは尊敬の念で胸が一杯になる。あれほどの技術力と発想力、果たして自分が錬金術を生涯かけて学んでも到達できるだろうか。


(ううん、無理そう。やっぱり……努力する天才なんですね師匠は)


「あの師匠、オーケンさんも。私ちょっと出てきますね」


 ニヤニヤと笑う三人を少し睨み、シーラはドアを開けて外に出る。真夏の熱が金髪を灼くようで、手のひらで日陰を作りつつ正門の方に向かって歩いた。




 ◆




 正門前は人で一杯だった。

 シーラは人混みの中からアンリを見つける。背中しか見えないが隣にはシリウスも居て、何事かを話している。


(後ろからおどかしてみようかな。怒るかな?)


 一歩ずつ近づく。

 すると楽しげな声が聞こえて──


「えっ……婚約……お兄さんが……」


 立ち止まる。

 二人の会話を聞く。


 ──リリアンヌと婚約したんだ。

 ──いきなりですね。驚きました。


(リリアンヌさんと……?)


 ──シーラに──はどう──る。

 ──どうもこうも──親御さんを──難しい。


(聞こえない。聞こえない。聞こえない)


「聞きたくない……なんで……お兄さん……」


 アンリのもとに三人の女性が集まってくる。一人は法衣をまとった小柄な人、一人は妖艶な薄褐色肌の女性。もう一人は──美しい栗色の長髪を揺らしながら歩くリリアンヌ。

 アンリとリリアンヌが楽しげに会話する。シーラは少し歩いて二人の横顔を覗き見て、ため息を一つ吐いた。


(お兄さんってあんな顔するんだ……リリアンヌさんもすごく綺麗……)


 自分に見せたことのない顔。いつもアンリは優しげな雰囲気だが、偶に辛そうな顔をシーラに見せた。罪悪感のような、贖罪を求めるような、そんな顔を。


(あぁ……そっか……傭兵団が私の村を焼いたことを……気にして。お兄さんは悪くないのに)


 シーラはトボトボとその場を離れ、中央庁舎の裏手に回って壁にもたれかかった。三階から漏れ聞こえる会話を聞きながら、その場で呆ける。


 会話が泣き声になり、次第に楽しげになる──シーラは耳を抑えてその場にうずくまった。涙が溢れ出てきて、今更ながらに自分の感情に気づく。


(好きだったんだ私。そんな……始まる前に終る……なんて)


 誰にも泣き声を聞かれたくない。

 目をつむって耐えていると、遠くから足音が近づいてくる。姉だろうか、オーケンだろうか、シーラは泣き顔を上げて窺う。


 ──そこにはリリアンヌが居て。


「あ、あの、大丈夫ですかシーラさん。体調でも悪いのですか?」


 リリアンヌが傍らに膝をついてシーラの背中を撫でる。


(酷い、酷い。酷いです、お兄さん。何で婚約相手まで良い人なんですか。酷い人なら……恨めたのに……)


 涙が溢れる。

 なぜ泣いているかを聞かれたので、シーラはぐちゃぐちゃになった頭ですべてを吐露した。リリアンヌは真剣な面持ちで全てを聞き、ずっと背中を撫でていた。




 ◆




 全てを聞き終わったリリアンヌが驚愕する。


「えっ……そんな感じ……だったのですか? ご、ごめんなさいシーラさん。私……酷い抜け駆けを……」


 シーラはいやいやと首を振る。


「ち、ちがうんです! 私はそんなにアピールとかしてなくて! だから……当然なんです……こうなったのも……」


「いやいやいやいやいや! 私は右手に指輪をしているものですから、てっきりそうかと勘違いして。あの……友愛の右手、愛念の左手という慣習はご存知ですか?」


「なんですかそれ? ヒュームの文化では左右で差があるのですか?」


 リリアンヌが両手で顔を覆う。ぶつぶつと謝罪するさまは少し怖く見えたが、懇切丁寧に説明してくれた。


「で、ですが大丈夫ですよ? シーラさん! 貴族社会において婚約は絶対ですが、恋愛的な観点から見ると弱いのです。形式的なものですし……それに私だって……好きだって……一度も言われて……無いですし……」


 リリアンヌが目に見えて落ち込む。

 こんなに素敵な人に好きと言わないアンリのことを怪訝に思う。自分が男なら絶対に放っておかないのにと。


「お兄さんはヘ──じゃなくて照れ屋さんですから。けど絶対にリリアンヌさんの事を好きですよ! 口にしていないだけですって!」


「私は口にしてもらわないと不安なんです! けどシーラさんはお若くて愛らしいです。やっぱりアンリさんもシーラさんのことを憎からず思っているのでは?」


 古い記憶──錬金工房が出来た頃だろうか、アンリがこちらを見て頬を染めていたことがあった。思い出すと頬が熱くなるのを感じる。


「なにか有ったのですね……? 教えてくれますか……?」


 リリアンヌの瞳から光が失われ、シーラはあまりの迫力に思わず喋ってしまう。


「な、なるほど。けど私だって……いや、無いです! 頬を染められたことが、ないです!」


「落ち着いて下さいリリアンヌさん!」


「け、けど私の勝ちですね。シーラさんはベッドで抱きしめあったことが無いでしょう。私は二度もあります!」


 ちょっとムッとする。

 勝ち負けではない。

 お互いの気持ちが大切なのだ。


「私のほうがお兄さんと付き合いが長いです! 人買いから助けてもらってから、もうずっとお知り合いです!」


「ふふふ、私はアンリさんが四歳の頃から知り合いなのですよ。初めてベッドで抱き合った時、私は九歳でしたか……美しい思い出です……」


「ベッドで抱きしめ合う……男は狼だってお兄さんは以前に言ってました……想い合っていたなら、二度目の時にお兄さんはたぎる獣欲をリリアンヌさんにぶつけていたはず!」


「ふふ、そのプラトニックさがたまらないのです……お若いシーラさんには難しいでしょうか……」


 涙はもう無い。

 だけど奇妙な闘いがここにはある。


(思ったより面白い人でびっくり。けど……大人の人だから……私を元気づけるために……張り合っている振りをしてくれるんだよね?)


「けど……やっぱり若い人のほうが良いんでしょうか……たまに不安になるのです……」


「それは無いです! リリアンヌさんはお優しいし、栗色の長髪と女性らしさ……がすごく、綺麗です」


 シーラは自分の胸を見下ろしてため息をつきそうになる。


「それを言うならシーラさんは可憐で純粋です。流れるような金髪にアンリさんと同じ碧眼。水を弾きそうなきめ細やかな肌……いや私の肌も水を弾くのですよ、まだ!」


 リリアンヌが悩み素振りを見せる。少しした後に〈ブレイブハート勇気ある心〉と唱える。すると両名に補助魔術の効果が発動し、何でもできそうな勇気凛々の心が芽生えた。


「埒があきませんのでアンリさんを問いただしましょう」


 リリアンヌが拳をぐっと握る。


「はい! お茶会など良いのでは! 呼び出して問い詰めましょう!」


 シーラも拳をぐっと握り、迷った後に拳を開いて指輪を右手から左手へ移した。

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