第88話 潔白の証明

 窓から差し込む朝の陽光。

 隣にはリリアンヌがいる。


「あ……起きましたか」


 俺の寝顔を観察していたらしく、残念そうな顔をされる。両手を突いて腰をあげようとするが、意外にも機敏な動きで両手を払われた。体勢を崩してベッドに倒れ込む。


「もうちょっとだけ、朝ごはんまで、お願いします」


 抱きしめられる。嬉しさと恥ずかしさが混ざり合った気分だ。昨夜のリリアンヌは少し酔っていたから、朝になれば全て忘れている懸念があった。だが覚えているらしくホッとさせられる。


「これから、お互いをどう呼び合いましょう」


「安全を考えると今まで通りがいい。急に呼び名が変わると勘ぐられるからな。ゆっくり考えていこう」


 親しい人にはリリィと呼ばせているらしいが、俺が人前でそう呼ぶ姿を想像すると滑稽に過ぎる。頬を優しくつねられる。痛みを感じない、よい力加減で。


「もう、一緒に逃げてなんて言いません」


 髪を撫でられる。子供扱いは嫌だが年下なので仕方がない。淋しげに微笑むリリアンヌの言葉を聞く。


「あなたは、どこか自罰的です。戦場で一番前に出たり、危険な外に一人で行こうとしたり」


 そうなのだろうか。考えたことはあまり無かった。俺は秀でた才能が無いから、誰よりも一歩前に出るのが当然だ。当然、死なないように気をつけているが、リリアンヌから見ると違うのだろう。


「血を呪って自分を痛めつけるのは、もう止めてください」


「リリアンヌ……」


 身じろぎしたのでベッドが音を立てる。優しい言葉は嬉しいが、聞く度に自分が弱くなる感覚を覚える。


「私は……あなたを生に縛り付ける鎖になります……重い、女ですから……」


 熱を帯びた声、耳元で囁かれる。細い指が首に絡みつく。俺の耳は赤くなっていないだろうか。


「ああ、朝飯が要らないくらいに重い」


「むぅ、言いますね」


「けど……ありがとう。頑張って生きてみるよ」


 こんな俺でも、人の為に生きてもいいのかもしれない。目をつむり二度寝することに決める。朝飯時になれば、誰かが起こしてくれるだろう。




 ◆




 誤算であった。

 寝起きで思考力が落ちていたせいだ。

 断じて浮かれていた訳では無い。


「でんかー! 朝でありますよー!」


 ドアの前で金属音が響く。恐らくナスターシャが空鍋を叩いているのだろう、隣室のドアが開く音も聞こえる。リリアンヌを起こして途方に暮れる。なぜ、俺は人気ひとけがない内にリリアンヌを部屋に戻さなかったのだろうか。このままでは修道女を部屋に連れ込んだ変態男になってしまう。いや実際、そうなのだが。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


「朝食が冷めるであります! 今日は豆のスープと豆を煮たやつでありますよ!」


「豆しか無いじゃん!」


「人間、豆さえ食ってりゃあ何とかなるであります。食糧不足は恐ろしいから備えるべきでありますなあ」


 立ち上がって悩んでそうな姿勢を取るが、何一つ妙案が浮かんでこない。リリアンヌを見ると、グッと握りこぶしを作ってウィンクをされた。頼りになる女性だ。


「ナスターシャさーん。ちょっとしたら行きますねー」


「ん……? あ、ああ! そうでありましたか!」


 やってくれた。

 リリアンヌはわざとらしく頬を抑えて、やってしまった感を出している。思わず一言申しそうになるが、すでに遅い。


「いやあ……殿下もやる時はやる男の子でありましたか。感服いたしました! 焚き付けたのは私ですが、何もそこまでしろとは言ってないでありますなあ」


 ナスターシャは扉越しに色々言ってくれる。俺のあだ名候補が『狼殿下』か『好色王子』で接戦となっている事とか。このままでは後者が正式なあだ名となるであろう。


「すぐに行くから……」


「ふふ、二時間くらい待つべきでありますか?」


「すぐに! 行くと! 言っている!」


 怖い怖いと零しながらナスターシャが立ち去っていく。空鍋を叩く音はまだ聞こえていたから、他の誰かを起こしているのだろう。




 ◆




 好奇の目で見られつつ朝食を食べ終えると、教皇からお呼びの声が掛かった。戦慄──破門を受けないだろうかと危惧しつつ、教皇の私室にリリアンヌと入る。そこには騎士長のクリスタも居た。


 純白の広々とした部屋。調度品は拝月教の長い歴史を感じさせ、ただ居るだけで過去に戻ってしまったような錯覚を覚える。


「よく来て下さりました殿下。どうぞお座りください」


 クリスタの勧めに従って大理石の長椅子に座る。三人は座れそうだが、リリアンヌは俺と密着して座る。クラウディアが半目でこちらを睨むので、俺は調度品を褒め称えた。感触はよろしくないし、クリスタは笑いを誤魔化すように咳払いをする。


「宝物殿についてお話します」


 説明──千年の歴史を持つ拝月教──その宝物殿、今では新種の魔物、いや悪魔に支配されてしまった。首領は『山羊頭の悪魔』でかなりの死者を出している。数ヶ月前に宝物殿にある遺物アーティファクトを奪ってから変質し、力を増したとの事だ。


 制約を課して力を増させる誓いの聖鈴ベル・オブ・オウ

 聖人ラトゥグリウスが用いていた竜殺しの聖槍ホーリー・ランス


 二つの遺物の悪用によりマナの風は強くなり、悪魔の力は日々増している。悪魔が聖槍を使うとは皮肉もいい所であり、クラウディアが俺に教えたがらなかったのも理解できる。


「冒険者で言うならば第三位階相当の騎士が葬られています」


 額を抑えるクリスタが言うには、更に悪いことに宝物殿は侵入者対策として狭い場所も多い。ならばゴーレムは周辺集落の護衛に回し、騎士や従士を多めに宝物殿攻略に回したほうが良いと言われた。

 クラウディアが頭を下げる。慌てるクリスタを押し留めて、口を開く。


「こんな事を部外者である殿下に頼むのは忍びありません。だが伏して頼みます。どうか悪魔退治を願いたい」


「元よりそのつもりです。どうか頭を上げてください」


 上げられた顔を見て、幼いなと思った。まだ俺と同い年なのだ。部下が死ぬのは辛いだろう。俺なら耐えられるだろうか。


「悪魔を退治すれば拝月騎士団の創設を認めてくれますか?」


 クラウディアは頷いた。教皇のお墨付きであれば王族も手を出しづらくなる。王国だけで二千万人いる拝月教徒に喧嘩を売る度胸は、ボンクラの兄どもには無いだろう。だが父王は喜んで手を出してくるので時間との勝負になる。あの人はどれだけ敵が増えても、国が弱っても関係ないのだ。王族を強くする『狩場』が出来たと喜ぶだけ。


 クリスタと一緒に地図を広げ、ゴーレムの配置を考える。マナの風の影響により、周囲の魔物が活性化している。集落が干上がれば白亜宮も共倒れになるのだ。


「やはり軍略に明るい人がいると違いますね」


 クリスタの戦略眼は俺の何倍も優れている。褒めた所、驚いた顔をされた。可能ならアーンウィルのダンジョンで騎士を鍛えてから攻略したいが、いま人員を移動させるのは難しい。時間が経てば横槍が入りそうだ。


「話すことはこれくらいですね」


 全ての戦略予定を立て、クリスタが書類の束をまとめ始める。その後も世間話をしているとリリアンヌが俺の袖を引っ張る。一体なんだろうか。


「あの、もう一分以上クリスタと喋っています」


「そうだね」


「私以外とあんまり、喋っちゃ駄目です」


 紅茶を呑んでいたクリスタが吹き出す。口元をハンカチで拭き、声にならない声で笑った。嫉妬深いと自分で言っていたがここ迄とは。正直なところ独占欲を出されると嬉しいのだが、目の間に居る人を考えて欲しい。


「こら! フォレスティエの小倅こせがれ!」


 クラウディアが憤怒を顕にする。母の生家──フォレスティエの家名で呼ばれてしまった。胸中に温かい気持ちが生まれる。


「ほんと……お前の母は先代様を叱り飛ばすし! 息子は聖女を手篭めにするし……! フォレスティエ家の情操教育はどうなってるの!」


「俺をボースハイトでなく、フォレスティエと言ってくれるのですか。ありがとうございます教皇猊下。この上ない賛辞です」


「すっとぼけも大概にしてよ! ほんっと、もおっー! リリィ姉もこんな男に騙されないで!」


 クリスタが半笑いでクラウディアを宥める。それに手篭めとは聞き捨てならない。俺は彼女に一切、不埒な事はしていない。弁明を続けて潔白を証明する。リリアンヌに目配せをすると頷いてくれた。頼りになるかも。


「そうですよ。私は殿下に一晩中ずっと抱かれていただけです」


 やっぱり駄目だ。リリアンヌは分かって言っている気がする。既成事実を着々と作られている気分。クラウディアもこれ以上怒ると血管が切れてしまう。


「リリィ姉が殿方の寝所に忍び込むなんて……そんな破廉恥な真似をする訳ない! 殿下が連れ込んだか! 唆した大罪人が居るはずよ!」


「教皇猊下、殿下はそのような方とは思えません。そ、それに、唆した、者なんていません、よ?」


「ん、クリスタ? 少し変よ」


「いえいえ……何でも、無いです。はい」


 クラウディアの喋り方は今が素なのだろう。矛先がずれ始めたので傍観者気分で眺める。彼女は俺を悪友と言ったので、いつかは悪友らしく何時でも悪巧みを出来る仲になりたい。


 俺は空気を読める男だから、結婚について話す雰囲気でない事も分かる。ここで言うと危険だ。また日を改めよう。

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