第64話 ル・カインの試練1周目 5/99階層

「ではアンリさんお願いします」


「任された」


サイレント音消】をベルナに掛けてもらってからイビルアイの背後に忍び寄る。同様にホロウナイトへ忍び寄るクロードに目配せをしてから斬りつける。


 ザシュと音を立ててイビルアイが真っ二つになり、同時にクロードが破壊音を立てながらホロウナイトを叩き潰した。


「敵が強くなっているな……」


「そうですね兄様、注意しましょう」


 先ほどから何体か魔物を倒しているが『始まりの試練』で戦った魔物と比べると格段に強い。もしかすると大気のマナ密度の違いが魔物の強さを底上げしているのかもしれない。


 歩きながら干し肉を齧る。いつ休めるか分からないこの状況。軽めの食糧をポケットに入れて暇があれば少しずつ食べる。長期間の探索ではこうした方がいいとシリウスに教えてもらった。彼らは一週間かけて狩りをすることもあるらしい。


「それと坂道を歩く時は大股で歩かないで下さい。焦らずに歩幅を短くしたほうが体の負担は減ります」


「なるほど、勉強になる」


 シリウスから指南を受けているとリリアンヌが思い立ったように話しかけてくる。


「修道院で治療をしている際に思ったのですが、船乗りの方がよく治療に来られるのですよ」


「船乗り? 海戦で矢傷を負ったとか?」


「いえ何もしていないのに歯が抜けたり古傷が開いたりと言った症状です。治癒魔術が効きづらくて治すのも大変なのですよ。彼らも船旅で偏った食事になりますからねえ。もしかすると食事の偏りが長期間続くと病気になるのでは無いでしょうか?」


「肉とパンのみではいけないという事か。野菜や果物も食べたほうが良いかもしれんな」


 ランタンを灯す。


 夜の闇は更に深くなってきている。このダンジョン内でも昼夜の区別はあるらしく、更に見通しが悪くなっている。魔物に姿を晒すランタンの明かりではあるが、これなしでは歩くことすら叶わない。


「ん……この臭いは」


 鼻腔にすえた臭いが届く。クロードが鼻を押さえながらニオイのもとを指差す。


「糞だなこりゃ。デカくねえか?」


 確かに大きい。糞の大きさはすなわち排出した魔物の大きさを表す。では両手で抱えられない程の大きさとなると──これは何の魔物の糞なのだろうか。


 ガブリールが唸る。だがいつもと比べて様子が違う。これは怯えているのか。毛は逆だっており尻尾も心なしか内巻きになっている。


「──ッ! 皆さん伏せて下さい!」


 シリウスが小声で、だが語気を強めに呼びかける。その鬼気迫った様子にただならぬものを感じ、その場で腹ばいになる。そしてランタンの明かりを消す。



 ──風が吹く。いや違う、上空で何かが飛んでいる。巨大な何かが空を飛び、空気を巻き込んで風を起こしているのだ。



 背中を汗が伝う。巨大な魔物はどこかに着地したらしくズシンと大きな音を立てた。生暖かい風が頬を撫でるが、心胆が底なしに冷えていくのを感じる。


「主よ……あれは恐らくドラゴン飛竜です。足音からして成体でしょう」


「何だと……以前に戦ったが勝負にすらならなかったぞ」


「絶対に戦ってはいけません。この階層は無視して次に進みましょう」


 ベルナに目配せをして【サイレント音消】を全員に掛けてもらう。マナをほとんど使い果たし様子であり、顔色が悪いのでマナポーションを渡して飲ませる。見かねたクロードがベルナを背負う。


「ヤバいなこれは……早く逃げるぞ」


「ああ、行こう」




 ◆




 転移魔法陣を探す。だが夜の闇は探索効率を著しく下げており、思うようには行っていない。


 どうすれば良い。

 ランタンを付けるのは駄目だ。

 明かりでドラゴンに位置がばれる。

 散開して探すのも駄目だ。

 ガブリールが居なければ罠を見つけられない。


 遠くでドラゴンの咆哮が聞こえる。木々が震えて枯れ葉が落ち、咆哮が収まれば森全体が静寂に包まれた。まるでドラゴンに怯えているように。


 いや怯えているのだ。

 皆の顔からも余裕は消え去っている。


「俺が死ねば皆はダンジョンから帰還できる。今回は諦めるか?」


「馬鹿なことを言わないで下さい兄様。このダンジョンに行くことは皆で話し合って決めたんです。最後まで抗いましょう」


「ええ、それに時間が無いと言っていたのは主でしょう。ならば先に進みましょう」


 確かに円卓会議で懸念は伝えた。

 王宮勢力が動いていないのが不気味なのだ。エイスが死んだというのに第一王妃派閥は何の動きも見せていない。だが領地の発展具合は気づかれている筈で、奴らが接触してくるとダンジョン攻略どころではない。だからメンバーが揃っている今のうちに少しでも攻略を進めて領地を発展させたい。


「──ッ!」


 ズシンと足音が響く。

 咆哮が響いて森を揺らす。


 一歩ずつ踏みしめるような足音は、次第に駆け足となり大地を揺るがし始める。遠くにある木がへし折れる音がする。破壊音は段々と近づいてくる。こみ上げた吐き気を何とか堪える。



 ──狩人は森と同化し音もなく獣を殺す。なぜかと言われれば獣は正面から戦うには手強いからである。では傍若無人に振る舞うドラゴンはなぜ許されているのだろうか。答えは必然、誰よりも強いからだ。



 目の前の木々がまるで粘土細工のように弾け飛ぶ。前衛戦士は魔術師を抱えて横に飛んでドラゴンの突進を躱した。覚悟を決めてランタンに火を入れる。もう隠れるという選択肢は奪われた。


 漆黒のドラゴンが弱者俺たちを見つけて口を歪ませる。食料を見つけた喜びか、それとも獲物を甚振る愉悦か。聞くことは叶わずドラゴンはブレスの準備を始める。


「俺様の後ろに隠れろっ!」


 フェインが大盾を構える。全員で後ろに隠れてすぐ、リリアンヌとサレハが詠唱準備を始めた。


「【マジックアップ魔術強化】!」


Aer詠唱Robustus 強化GlaciemTegmine!」


 氷の円蓋が周囲を覆う。


「来るぞっ!」


 フェインの叫びと当時にドラゴンの火炎ブレスが襲いかかり、周囲を紅蓮の炎で埋め尽くされる。木は焼け落ち炭と化す。ドラゴンの口中から放たれる赤い炎が次第に強く、そして青くなっていく。


「駄目です! 持ちません!」


 氷の円蓋にヒビが入る。雷鳴のスクロールを使い雷を落とすがドラゴンはわずかに痛みに顔を歪めたのみ、まだブレスを放っている。


 円蓋にヒビが広がる。


 ──そして砕け散った。


「おっしゃあッ! 来いやアアッッ!」


 フェインが叫び、大盾で火炎ブレスを防ぐ。

 盾が赤熱化しフェインの手を焦がす。だが苦痛の声を漏らしつつフェインは耐えきった。ブレスが終わってすぐに戦士が散開して思い思いに攻撃を始める。


 ──灰なる欠月を抜き強く念じる。力を貸せと。だが剣は何も応えてくれない。まるで何かが足りないと、そう剣が失望しているように。


「クソッ!」


 もう片方の剣を抜いてドラゴンの首を斬りつける。だが僅かに傷はついたが血すら出ていない。頑強な鱗はオリハルコン以上の強度があるのだろう。サレハも魔術を打つが致命傷には成り得ていない。


 ドラゴンが荷物を持ったガブリールに突進する。ガブリールはギリギリで躱したが荷物が爪で引き裂かれ、ポーション類が全て砕け散った。嗤うドラゴン。アイテムの重要性を理解しているのか。


 シリウスがこちらに向き直り大喝する。


「今はまだ時ではありません! 私が時間を稼いでいる内に逃げて下さい!」


 シリウスが槍投でドラゴンの目を狙う。だが轟音を上げつつ振るわれた前肢が槍を粉々に砕いた。


「我が忠義、この身を以て示しましょう!」


「待てシリウスッ!」


 シリウスが【祖霊の猛りコール・ビースト】を発動し、その体が獣毛で覆われていく。骨がゴキゴキと音を立ててその身を人狼へと変貌させていった。鋭い爪が刀剣のように煌めく。


「俺も行くぜ長ぁッ! 楽しそうなことを一人でするなってんだっ!」


 フェインが盾を放り捨ててドラゴンの口を上から押さえつける。踏ん張りにより地面の土が抉れ、噛み締められたフェインの歯が砕け散る。


「良くやったフェインッ! 後は任せろ!」


 シリウスが爪でドラゴンの首を貫こうとする。火花が散り鱗が一枚剥がれる。だが怒り狂ったドラゴンは大口を開けてフェインの左肩から先を食い千切った。


「主よ、どうか武運長久を!」


 シリウスは鱗があった場所を爪で貫く。ドラゴンは痛みにのたうち回り、振るわれた尾によりシリウスは弾き飛ばされた。木をなぎ倒し、骨が砕ける音が聞こえる。


「──ッ! クロードはシリウスを背負え! 俺はフェインを担ぐ!」


 まだ勝てない。


 肩から鮮血を溢れさせているフェインを無理矢理に担ぐ。長くは持たないだろうが、今は何としてもドラゴンから逃げなければいけない。


 背後でドラゴンが怒りの咆哮を上げる。荒い息をつくフェインを担いで走る。クロードが背負っているシリウスも口から血が溢れている。恐らく肋骨をやられているのだろう。


 胸の中が黒い感情で満たされる。自分の不甲斐なさに涙が出そうになるが、足を止めずに必死で逃げた。

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