第36話 テーネブリス鉱山1周目 5/7階層

 階層を一つ下る。三人パーティーとなったが、オーケンは非戦闘員である。流石に老人に戦えとは言えない。


「オーケンさんは銃を使っていましたが、どこの生まれなんですか?」


「はあ……空が青いのう」


 空は見えない。焦げ茶色の岩盤以外に何が見えるというのか。


「やっぱりドワーフが治める国の生まれでは?」


「腹が減ってきたのう。なにか持っておらぬか?」


 ダンジョンで拾ったパンを差し出す。いつから食べていないかは分からないが、空腹で動けなくなられても困る。背負って戦闘なぞ出来る気がしない。

 オーケンはもそもそとパンを咀嚼し、ゆっくりと飲み込んだ。まだパンはアイテムボックスに何個か入っている。他のアイテムも拾いたいので、適度に消費することは大事だ。


「銃と言えば……元軍人ですか? それとも技術者だったとか?」


「大技術者と呼ばれておったわ。弟子もいっぱい居てのう。ああ懐かしい……帰りたいのう」


「凄いですねえ。ここを出たら今後のことを相談しましょうか」


 オーケンとは極稀に会話が成り立つ。基本的には曖昧さが極まっているが、根気強く質問を続ければ応えてくれる。たまに見せる正気がより本物感を醸し出しているが口には出さない。失礼だし、怒られても困る。


「俺の後ろに隠れていて下さい。オーケンさんは死んだらどうなるか分からないんですから」


「ハンマーと溶鉱炉が欲しいのう」


「そうですね。坑道に落ちてるかもですよ」


 話しつつ周囲を警戒する。投石オークに石を投げられて脳漿をぶち撒けるのは嫌だ。スライムに溶かされるのも嫌だし。何と言うか、このダンジョンには嫌だと思うことが満載されている。

 死の匂いを何となく感じ取ったので、アイテムボックスを探る。手持ちのアイテムを確認して、次の一手を考えながら探索すると、生存率が上がる気がする。


「混乱ポーションか。なにかに使えないかな」


「何のポーションですか?」


 サレハが尋ねてくる。混乱ポーションは読んで字のごとく混乱するポーションである。飲めば前後不覚になり、思考も曖昧になる。


「これは飲むと混乱するポーションだ。いや……そのまんま過ぎて説明しづらいな。まあ魔物に飲ませるものだ。間違って飲まないように」


「使い勝手が悪いですねえ。戦っている間に魔物に投げつけても、僕なら外しちゃいそうです」


「うーん……そう考えるとゴミアイテムなのか。捨てるべきかもな」


 話しつつポーションの瓶を揺らすと、少し粘着質な液体が瓶内で左右に振れた。目線の高さに持ってきてじっと眺める。お前は役立たずなのかと胸中で問いかけたが、返事は帰ってこない。


「いや、パンに混ぜて魔物に喰わせるというのはどうだろうか?」


「あぁ……兄様……」


「な、何だ? そこまで馬鹿なことを言ったつもりは無いが」


「流石……兄様です。考えも付きませんでした」


 サレハは何でも褒めてくれる。そのうちスプーンを使ってスープを飲むだけでも褒めてくれるのでは無いだろうか。

 もしサレハが将来、父親になることがあったら心配だ。子供は褒めるだけではなく、叱ることも必要である。サレハが誰かに怒ったり、叱ったりする所を見たことがない。


「……パンに混ぜ込んでみよう」


 瓶を開けてパンに練り込む。少しシットリとしたパンが出来上がったので、開けた空間に置く。後は死角に隠れてひたすらに魔物を待つ。

 しばらくすると魔物がノソノソと向かってきた。こちらに気づいた様子はなく、混乱ポーション入りのパン──混乱パンを匂いだり鼻で突いてたりしている。


「またプチドラゴンかよ……」


 赤いプチドラゴン──ファイヤプチドラゴンは火炎ブレスを吐く強敵である。正面から戦っても勝てるが、ブレスに巻き込まれると厄介だ。

 しばらく悩んだ様子を見せていたが、ファイヤプチドラゴンは混乱パンを咥え、そして一息に飲み込んだ。


「グギャ!? グギャギャギギャア!?」


「よし! 混乱した!」


 ファイヤプチドラゴンはよろめき、壁にその体をしたたかに打ちつけた。鱗が何枚か剥がれているが気にした様子はない。

 尻尾を地面に叩きつけ、辺り構わずブレスを撒き散らす。まさに混乱。厄介な魔物もこうしてみれば雑魚同然である。


「兄様、行きますか?」


「いや待て! 蜘蛛が来た!」


 人頭ほどある蜘蛛が近づいてくる。ファイヤプチドラゴンを見て驚いたようだが、すぐさまに魔物の同士討ちが始まった。最初にファイヤプチドラゴンが蜘蛛にかぶり付こうとしたが、蜘蛛は機敏な動きでそれを避ける。

 同士討ちで数が減るのはありがたい。戦闘を眺めているとやはり種族としての違いか、ファイヤプチドラゴンが勝利した。その立派な顎で蜘蛛の死骸を咀嚼し始める。不気味な光景だが隙だらけでもある。


「そろそろ倒すか──いや待てっ!」



 ──咀嚼が終わると魔物の体が膨らみ始める。まるで無理矢理に脱皮するように、鱗の皮を突き破って、新しい魔物が姿を現す。坑道の天井に達せんばかりの巨躯。頑丈な鱗に覆われた体。牙の一つ一つが俺の頭より大きい。



「ふ……ざける……な。あれは本物のドラゴン……」


 幼体ではなく成体のドラゴン。力と恐怖の象徴であり、一体で都市を滅ぼすとも言われる生態系の頂点。それが今まさに目の前にいる。

 ドラゴンが息を吐く。ただそれだけで生暖かい空気に気圧されそうになった。分かるのは唯一つ。絶対に勝てない。


「おお進化したぞい。立派じゃのう」


「呑気に言っている場合ですか!? こっち見てますよ!!」


 ドラゴンは感覚も鋭敏だと言われている。当たり前のようにこちらに気づき、近づいてくる。一歩地面を踏む度に坑道が揺れる。脳がグラグラと揺れて、今ここが現実なのか、夢の中にいるのかの判断がつかない。


「ッッ!! 逃げるぞぉおおおおっ!!」


 サレハとオーケンを抱えて全力疾走する。このダンジョンは次の階層には行けるが、前の階層には戻ることは出来ない。目指すは次の階層。進むしか活路はない。


「ああああっ!! ふざけんなっ!!」


 背後で爆発するような鈍い音が反響する。ドラゴンが壁を壊しながらこちらを追っかけてきているのだろう。だが振り返る余裕もなく、ただただ走る。

 両手が塞がっているのでアイテムボックスを探る余裕もない。そもそもドラゴンを殺せるアイテムなぞ持っていない。


Aer詠唱StoneWall!!」


 サレハが石壁を作るが、すぐさまにドラゴンの突進により粉砕される。吹き飛んでくる石が背中に当たるが、痛がる暇すらない。


 彼我の距離が近づく。

 ドラゴンの生臭い息が首筋に当たる錯覚を覚える。

 いや、実際に当たっているかも知れない。


「もう無理だっ! 二人とも逃げろっ!」


 二人を前方に放り投げてドラゴンに向き直る。アイテムボックスから『寵愛のスクロール』を取り出して読む。これはランダムで良い効果を出してくれるスクロール。もう運に任せる他にない。


「頼むっ! ドラゴンを倒してくれ!」


 スクロールが強い光を放ち燃えてゆく。ドラゴンはたじろいでその場に急停止する。死が一秒伸びたことを神に感謝するが、胸の鼓動は収まらない。


「頼むッッ!!」



 ──しかして神々しい光と共に効果が顕現する。狭い坑道内、スクロールは役目を果たしたとばかりに燃え尽きた。



「ああっっ!! ふざけんなっっ!!」



 ──宙からパンが三つ落ちてくる。食べる方のパンだ。いや食べれないパンなぞ無いが。



 確かにパンの残数は残り少ない。だがこのタイミングで出されてどうなると言うのか。確かに良い効果だ。目の前にドラゴンが居なければの話だが。

 ドラゴンがパンを器用に咥えて飲み込む。満足そうに目をしばたかかせると、こちらを憎々しげに睨みつけてくる。


 轟音が鳴る。知覚外の早さで何かが振るわれたが、その姿は追えなかった。


 覚悟を決めてフレイルを構えようとしたが、何故か腕が上がらない。いや、上がらないのではなく、腕が無くなっている。


「ま……さか、今のは攻撃……されて……いたの……か」


 血が断面から吹き出す。ドラゴンの方を見ると爪が赤く染まっていた。あれは俺の血。そして壁にへばり付いているのは俺の腕か。

 ドラゴンが涎を垂らしながらこちらに近づいてくる。サレハの悲鳴が聞こえるが、恐怖で体が動かない。


 ドラゴンの牙が迫ってくる。

 生暖かい感触を覚えると、すぐさまに激痛が襲ってきた。

 咀嚼されている。


「ぐうぅウううっ! ガァアああぁあアッッ!!」


 ゆっくりと喰われてゆく。

 牙で肉を削がれる。

 骨が噛み砕かれてゆく。

 意識が遠くなる。


 久しぶりに死ぬ。

 朧気な頭で考えられるのはそれくらいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る