第30話 エピローグ──兄弟

「やっぱり殺しておけばよかったか」


 エイスの最後はシリウスに任せてしまった。

 消え逝きそうになるエイスを見て同情心が湧いたわけではない。まだ怒りと恨みは胸の中で燻っている。あの時シリウスが声を掛けてくれねばそのまま殺していただろう。

 だけどあの時エイスが鏡に写った自分を見ているように小さく見えた。まるで満たされない男が癇癪を起こしているだけ。小さい器が傾いて中身が溢れただけだ。


「案外、俺とエイスは似た者同士だったのかも」


 だけどもう言葉を交わすことはない。

 シリウスはエイスを殺すだろう。エイスに聞きたいことはあった。母上の死の理由。王宮から刺客が来るかどうか。他にも色々と。だが、あの男が真実を簡単に話すとも思えない。死の間際に出任せを言って、こちらを惑わすくらいはしそうだ。


 深呼吸をして気持ちを切り替える。

 これからの事を考えなければいけない。


「……サレハ」


 これからサレハに会う。優しくできるだろうか。今まで言葉を交わしたことも無い異母兄弟で、ボースハイトの血が流れている。エイスもサレハも、そして俺も。


 狭い隧道のような道を行く。松明が湿った壁面を照らし、行き先を教えてくれる。


 数分歩くとそこにサレハがいた。

 岩の地面の上で、膝を抱えて倒れている。


「大丈夫か?」


 駆け寄って抱き起こす。すぐ側で見ると記憶にある顔より幼く見えた。薄褐色の肌は砂漠に住む人々特有のもの。黒髪は片目を隠すように伸ばされている。


「あ、に……さま」


「そうだ、あまり喋るな。このポーションを飲め。ゆっくりとだ。一気に飲むな」


「は、はい……」


 ポーションの瓶を開けて口に添える。ゆっくりと傾けると、少しづつ喉を鳴らしながら飲んだ。死の色すら感じさせた顔色が、次第に血色を取り戻す。


「やっぱり……来てくれましたね。兄様」


「いや……俺はあの夜、お前の助けを呼ぶ声を聞き逃して……」


 聞き逃したのではなく、聞く気が無かったんだ。シーラには助けを呼ぶサレハの声が聞こえていた。だけど俺は最初からその気が無かった。


「それでも嬉しいです」


「エイスはもう終わりだ。これからの事だが、取り敢えずダンジョンから出る」


「獣人さんの村……僕のせいで壊れてしまいました。皆さん、怒っているでしょうね」


「気にするな。あれはエイスが悪い」


「でも……」


 口ごもるサレハを黙らせて背負う。王宮を出てから色んな人を背負ったが、サレハが一番軽い。胸元に回される手は少し震えている。寒かっただろうか。


「帰ろうサレハ」


「……帰る。兄様は帰る場所があるのですか?」


「今は領地が帰る所だ。最初は草しか無かったけど、今は狼のガブリール。それにエルフのトールとシーラ。あとゴーレムのゴレムスもいる。小さいけど家と畑、錬金工房もあるぞ」


「ご、ゴーレム!? 何でゴーレムが?」


「色々あったんだよ……何回死んだやら……」


 拾った頭蓋骨ウィルもいるとは言えない。冷静になって考えると頭蓋骨を壁に飾るなど正気ではない。だがずっと一緒にいるせいで妙な愛着が湧いて、供養もせずに置いてある。


「羨ましいです。僕は……」


 サレハの背中を掴む力が強くなる。


「王宮に帰りたくないなら俺の所に来い」


「えっ……?」


 歩きながら答える。サレハについてまだ思うところはある。けど、もし母上が生きていたらこう言うだろう。記憶の中にある母上はいつだって優しかった。

 それにあの糞溜めのような王宮に帰りたい者がいるだろうか。いやいない。力を手に入れたら、関係のない人を避難させた上で燃やしてやる。


「俺の領地は人が全然いないからな。もう少し賑やかな方が楽しい。嫌だったら無理にとは言わん」


「い、行きますっ! お願いします兄様ッ!!」


「どぅわぁッ! 耳元で大声を出すな!」


 耳がキーンと鳴る。


「嬉しいです、嬉しい。兄様、これからよろしくお願いします」


「ああ……」


 それにもう一つ頼みたいことがある。

 エイスは多分もう死んでいる。ならば王宮勢力との全面対決が予想される。大衆の目に晒すと内乱扱いになるだろうから、おそらく小規模なものから始まるだろう。

 またレアスキル持ちの兄どもが攻めてくる。領地を、領民を守るためには力が要る。エイス以上に強い者など幾らでもいるだろう。


「サレハ、お前がもし良ければ……お願いがあるんだ。嫌なら断っていい」


「何でしょう……兄様?」


「俺の領地にダンジョンがある。そこを一緒に潜って欲しい。そこは不思議なダンジョンでな、中で死んでも蘇るんだ。だから俺たちは、そこでなら強くなれる」


「死、蘇る……そんな事が……兄様はもう入られたのですか?」


「10回以上潜った。死ぬ以上に辛い目にあう。だが、俺たちが力を手にするにはそれしか無い」


 もしサレハが了承してくれたら実験をしないといけない。夕食用の獣とかと一緒に入って、どちらかが死んだ場合、きちんと蘇れるか。俺しか蘇れないのであれば意味がない。

 ステータスの初期化が唯一の懸念だが、何とかなるだろう。踏破報酬で強化アイテムがあるかも知れない。


「行きます。いえ、駄目と言われても付いていきます」


「いいのか?」


「皆を守って、今までの罪を償いたいです。それに……兄様一人ですと心配です」


「ありがとう」


 そうだ俺たちは生きている事自体が罪だ。王族が世界から奪ったもの、それを返しきった時、俺たちは初めて人間になれる。



「……兄様、首に怪我をされてますよ?」


「そうか? 大鎌で引っ掻いたかな。覚えてない」


「ちょっと待って下さい……んっ……」



 ──首に生暖かい感触が触れる。柔らかく、すこし湿っている。背筋に鳥肌が立つ。これは唇、そして舌だ。



「ぐぉうわああッッ!! 何をするッッ!!」


「ごめんなさい。血が出ていましたので」


「舐めていい理由になるかッ! そんなん放っておけッ! 吸血鬼かお前は!?」


 腰が砕けそうになった。血を吸われた経験なぞ無い。いや将来的にも必要はないのだが。


「はぁ……ん? なんかサレハ……が、光ってるような?」


 背中のサレハが淡い光を放っている。本人も驚いているので魔術などでは無いらしい。少し経つと自然に光は収まってサレハの内に収まっていった。


「なんで光ったの? 実は天使なの?」


「し、知りません。母上は普通の人間でしたし、そんな筈は無いです」


「訳が分からん。さっさと帰ろう」


 片手に松明を持って来た道を戻る。途中でシリウスを拾ったが、そこには変わり果てた姿のエイスもいた。


 互いに言葉を交わさず、軽く頭を下げる。

 下手な言葉は無粋だ。



 ◆



 ダンジョンから出ると皆が待っていた。

 無事な俺たちを見て詰め寄ってくる。真っ先に来たのはガブリールだ。尻尾を振り、胸元に頭を擦り付けてくる。


「兄様、この子がガブリールさんですか?」


「そうだ、可愛いだろう」


 シリウスは一足先にシルバークロウ氏族の集まりに入って、何やら真剣な顔で話し込んでいる。会話の内容は聞き取れない。


「アンリ」

「お兄さん、お疲れさまでした」


「トール、シーラ……ああ、ただいま。全部終わったよ」


 二人が胸を撫で下ろす。

 それにしても今回はシーラの治癒ポーションに大いに助けられた。もしポーションが無かったらグリフォンに勝てたかも怪しい。それに村人の死人も増えただろう。


「シーラのポーションのお陰で皆生き残れたよ。これで得意な事が出来たな」


「……はいっ! お兄さん!」


 シーラが微笑む。自然な、内側から溢れ出るような笑顔だ。


「その二人だけ分かり合ってる感じ……止めてって言ってるんですけど……ッ!」


 トールに指で胸先を小突かれる。痛くも痒くもないが気圧されてしまう。シーラは俺たちを見て笑うだけで止めてはくれない。


「トール、ありがとう。ちゃんと帰ってこれた」


「ん……うん。お帰りなさい。それで……背中の子は誰?」


 二人が左右からサレハを覗き込む。サレハは照れたのか、怯えたのか背中に顔を埋めてしまった。


「俺の異母兄弟のサレハだ。これから領地で一緒に住もうと思ってな」


「あのう、サレハと言います。よろしくお願いします」


 サレハが背中の上で頭を下げて挨拶をする。二人は興味津々だ。


「おぉーいぃいっアンリィ!! 無事に帰ってきたかぁあああッッ!!」


「うるさいのが来たな」


 シリウスがまだ話しているというのに、フェインが両手を振りながらこちらに走ってくる。大事そうな話し合い中なのに良いのだろうか。


「おぉおおおおおおッッ!!」


 俺の前で立ち止まると、フェインは雷鳴に打たれたように直立不動になった。


「なんと可憐な……まるで荒野に咲く一輪の花。荒野はアンリ、そして君は花……」


「はあ?」


 フェインは脳まで腐ってしまったのだろうか。俺の前で跪いて、そして恭しく見上げてくる。


「俺様の嫁になって下さい。麗しき背中の君」


 どうやらサレハに告白しているようだ。どっからどう見ても男だと言うのに、フェインは股間に目が付いているのでは無いだろうか。


「ごめんなさい……僕は男なので……」


「何とおぉおッッ!! そんな……馬鹿なぁ……」


 跪いた体勢のまま、そのまま前に崩れ落ちた。ピクリとも動かないのが不気味だ。頭に少し砂を落としたがが何の反応もない。


「まあ良いか。放っておこう。飯時になったら起きるだろ」


「そうでしょうか兄様……? 少し不憫です」


「情けを掛けると危ないぞ。男は狼。気をつけよう。あと歩けるか? そうならそろそろ降りてもらうぞ」


「いえ……もう少しこのままで。ちょっと疲れました」


「分かった」


 まだ何も解決していない。

 だけど心に溜まった淀みが、少しだけ減った気がする。



 ◆



 シリウスは村人との話し合いを終えたようだ。

 俺の横にはシリウス。そして周りを100人近くの村人が囲んでいる。シリウスは真剣な瞳でこちらを見つめる。


「アンリ、シルバークロウ氏族として出した答えがあります」


「何だろう? さすがに村を壊した賠償なら少し待って欲しい。金が無いんだ」


「あれはエイスのせいであって、貴方やサレハとは関わりがありません」


 ならば何だろうか。もしや治癒ポーションの代金を払ってくれるのだろうか。だが村を無くしたシリウスたちには無理だろう。


「あぁー。うんその前に一つ。シリウスたちって村を無くしただろ? 俺が言うのも変だけど、もし良かったら俺の領地に来ないか?」


「何と……」


「まだ何もない場所だけど、シリウスたちに獣を狩ってくれれば当座はしのげるんだ。それからポーションを売ったりして金を稼ぐ。家とか無いから雑魚寝になるのは許して欲しいんだけど」


「簡易の宿泊所なら、川に住む魔物の革を使えば作れます。それは私たちも考えていました」


「さすが狩猟の民だな。ん?」


 村人の間でどよめきが広がる。感心したようにこちらを見つめる瞳が眩しい。


「アンリ、防衛時の貴方の奮戦は全ての者が見ていました。休むこと無くスケルトンを狩り、誰よりも力を示した。我々もそれを認めています。周りには貴方が助けた者も数多く居ます」


「そうだったか。指揮を採っていたシリウスの方が凄いだろ」


「いえ……私は相手の力量を見誤り、そして卑劣な策を見抜けませんでした。氏族長の資格はすでにありません」


「氏族長を辞めるのか!? そうなったら誰が率いるんだ!?」


 シリウス以上の氏族長など居ない。それは誰が見ても明らかだ。


「なればこそ、貴方にシルバークロウ氏族を任せたい。我ら百に足らぬ少氏族なれど、この牙、この誇りを貴方に捧げたい」


「俺はそんなに立派な人間じゃない!」


「知っています。ですが主を担ぐなら、少し未熟な方が面白い。それに貴方は言った。領地に来ても良いと。それは我々を受け入れるということです」


「ぐぬぬ……」


「ポーションの代金も払っていませんしね。働いて返します、我が主よ」


「うぎぎぃ……」


 周りの村人が一斉に囃し立てる。新たな長の誕生だの。大鎌の王子だの。あいつは儂を投げ飛ばしただの。好き勝手に言うせいで、俺の反論の声は届かない。

 元々、領地には来てもらうつもりだったが配下に置くつもりは無かった。同盟者あたりがベストだと思ったのに。


「分かった! だけど俺の領地には色々と秘密が多い。一度領民になったなら、簡単に外には出さんぞ! それでも良いのか!?」


「ええ、承知しました主よ」



 ──村人が喝采を上げる。槍を振り上げたり、大声で叫んだり、大気が震える様な大騒ぎだ。これでもう後には引けない。



 大音声の中、巨躯の獣人がのそりと起き上がる。あれはフェインだ。今まで寝ていたのか。逆にすごい。


「お、おお何の騒ぎだ!? おいアンリ、敵襲か!?」


「アンリではない、主と呼びなさいフェイン」


 フェインがシリウスに窘められる。

 不安げにこちらとシリウスを交互に見つめている。話を聞いていないからこういう事になるんだ。



 空を見上げる。

 やるべき事が、背負うものが増えていく。これからダンジョンに潜って死んだり、遺物アーティファクトを手に入れたり、領地経営に励んだり、時には王宮の横槍もあるだろう。


 けれど外に出てよかった。

 それだけは自信を持って言える。





 第一章 死霊術師エイス編 完

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