第23話 鎖(Side:サレハ・ボースハイト)

 サレハ──僕の名前を呼んでくれる人は、もはや王宮内にはいない。


 かつては母上が膝に僕を抱いてその名を呼んでくれた。そして南方の砂漠にあるという故郷の話も聞かせてくれたが、今となっては遠い思い出になってしまった。


 王宮の暮らしは辛い。

 第一王妃派閥と第二王妃派閥は互いに憎しみあい、それぞれの子供同士が争いあっている。生母として格の落ちる母上を持つ僕は、どちらの派閥にも入っていないし、入れない。


 だが派閥に入っていないからと言って、争いから逃げられるわけではない。むしろ両派閥からストレス解消の玩具として扱われ、淀んだ感情のはけ口にされている。

 食卓に並ぶ銀の食器は、僕のものだけわざとらしく毒で変色している。これは毒殺するためではなく、いつでも殺せるという意思表示らしい。

 慣れてしまった今では、スプーンやフォークは自分で持っていくようにしている。それを見た兄上たちは嫌そうな顔をするけど仕方がない。


 僕は王族兄弟の末子で、アンリ兄様のひとつ下の弟に当たり、年は12歳になる。

 話したことは無いけれど、同じ様に派閥に入れない兄様をいつも意識していた。

 兄様のお母様はどこかの地方の少貴族の娘だったらしい。大変美しくて、父王に舞踏会で見初められたと誰かが言っていた。


 兄様も僕と同じように、ずっと嫌がらせを受けていた。


 昔、雪がちらつく寒い日、兄様が王宮の裏手の井戸にいた。手がかじかむ様な寒さだったけど、兄様は井戸水で頭や体に付いた灰を洗い落としていた。

 見た瞬間に直感した。「他の兄上に嫌がらせで灰を掛けられた」と。湯を使わせないようにメイドや執事に根回しをしていたのだろう。だから兄様は冷たい井戸水を使うしか無かった。

 兄様は母譲りのグレーの髪の毛で、それを馬鹿にするために灰を掛けたんだと思う。


 兄様は決して人前で泣かなかった。泣いたり、怒ったり、喚いたりすると他の兄上たちはとても喜び、嫌がらせの勢いは増す。兄様も王宮の暮らしで学んだのだろう。


 ──けど、その雪の日、兄様は確かに泣いていた。兄様以外に誰も居ない、薄暗い王宮の外れ。胸が締め付けられるような思いがした。


 ──勝手なことだけれど、同じ境遇にいる兄様に仲間意識を持つようになった。いつか話しかけて、助け合いたいと。


 だけどそんな日は来なかった。兄様が領地を拝領して王宮から出ていったからだ。どこか西方で領地を持つらしく、そこで王族としての努めを果たすとエイス兄上が言っていた。


 その時のエイス兄上の嫌らしい薄笑いを見て気付くべきだった。何が兄様に起こっているかを。



 ◆



 兄様が王宮を出て少し経った頃、エイス兄上が話しかけてきた。

「アンリが心配だから様子を見に行く」「兄として良いところを見せたい」「あそこには魔物が多くて心配だ」と兄様を心配している風だった。


 嬉しかった。僕以外にも兄様を心配してくれる人が居ることに。エイス兄上は嫌がらせをしたことを悔やんでいると言っていたし、もしかすると、これで兄様が王宮に帰ってくるかも──という淡い期待もあった。


 馬車ですぐに向かうと聞いて、僕は頭を下げて頼み込んだ。一緒に連れて行ってくださいと。

 エイス兄上は快諾してくれて、準備が終わったら直ぐに西方へ向けて出発した。馬車で移動する時間は、実際よりもとても長く感じた。



 ◆



 兄様の領地に着くと、エイス兄上は豹変した。

 僕の首を鎖で縛り、口汚く罵り、殴ってきた。そしてアンデッド召喚のためのマナを寄越せと脅してきたのだ。

 王族の血、僕の固有スキルは「マナ体質」と呼ばれるものらしい。常人より遥かに魔法力の源泉──マナの器が大きいのだと。

 魔法を学ぶことを禁じられていたので、そんな事を実感することはなかったけど。


 エイス兄上は僕のマナを奪ってアンデッドを召喚する。そして魔物を殺してアンデッドにしたり、増やしたアンデッドで兄様を探し始めた。


 だけど兄様は見つからない。

 しばらくするとエイス兄上は諦めて、さらに西方へ馬車で向かった。そこの平原には獣人の村が沢山あって、エイス兄上はその一つに狙いを定めた。


 ──強き獣人でアンデッドを作る。そう言った。派閥の戦力にするのだと。


 エイス兄上はアンデッドで村に襲撃を掛け始める。王宮でする嫌がらせのように姑息なものだった。

 止めるようにお願いしたけれど殴られるだけ。次第に何も喋らず、ただ従うだけになった。



 ◆



「おいサレハ! こっちに来いッ!」


 鎖を引っ張られてたたらを踏む。胸元を掴まれると、エイス兄上の持つ杖によりマナが吸い取られた。


「ぐうぅううッッ……!」


 体を裂くような痛みが走り、苦痛の声が漏れる。


「今日のノルマはスケルトン2000体だ。さっさとマナを絞り出せ愚図が」


「は、はい……エイス兄上……」


 今夜、闇に乗じて、獣人の村を殲滅するとエイス兄上は言っていた。スケルトンで村を包囲し、ひとり残らず新鮮な死体にすると。

 兄様が見つからなかったせいか、エイス兄上の機嫌は悪い。暴力の頻度も増したせいで、体のあちこちが痛い。



 ──杖が光を放ち、マナが一つ残らず吸い取られる。そしてエイス兄上は杖を振り【スケルトン召喚】を唱えた。地面が鈍く光り、そこからスケルトンたちが這い出してくる。



「……ハ、ハハハハ! こりゃあ壮観だな!」


 2000体にも及ぶスケルトンの軍勢が召喚され、エイス兄上はそれを二つに分けた。片方に指示して近くにある川の方に向かわせた。


「あんなチンケな村だったらスケルトンが1000もいれば上等だ!」


 不揃いな隊列を組むスケルトンがエイス兄上の命令を待っている。生者全てを憎むようなスケルトンを見て怯えてしまう。


「さあ行け!! 村を蹂躙しろッッ!!」


 不死の軍隊が村に向かって進む。心のなかで獣人の人たちに謝る。だけどこれは自己満足だ。本当に止めるつもりなら、マナを奪い取られる前に自死すればよかった。


 だけど恐ろしくて、ただただ生き延びたいと思った。



 ◆



「クソがッ! 何故だぁッ!」


 村は篝火が焚かれていて明るい。色んな所に銀髪の獣人たちがいて、槍や弓を構えている。守りを堅くしているようで村から出てこない。

 エイス兄上はずっと怒っている。思った以上にスケルトンが消耗しているらしい。


「おいッ! マナをもっと出せ!」


「エイス兄上……もうマナはありません……」


「ふざけるなッ! 何のためにお前を連れてきたと思っているんだッ!」


 言葉とともに蹴りが出た。うめき声を上げて蹲ると、エイス兄上は興味をなくしたらしくスケルトンの指揮に戻った。

 痛むお腹を抑える、村の方を見ようと体を動かすと、地面に鎖が擦れる音がした。



 ──真っ赤な大鎌を持った男の人が物見櫓から跳躍する。村の外は暗くて顔がよく見えない。大鎌を一振りする度にスケルトンの骨が弾け飛び、村からは歓声が上がる。



「……誰だろう? 獣人さん?」


 周りの獣人に比べると背は少し低い。


「誰でもいいから……頑張って……」



 ──男の人は人間離れした速さで走り、違うスケルトンの集団に真正面から突っ込んだ。地を這うように大鎌を一回転させ、まるで草を刈るようにスケルトンたちが崩れ落ちた。



「頑張って!!」


 大声を出すとお腹が痛い。だけど声が勝手に出る。



 ──また大鎌が振るわれる。ある程度スケルトンの数が減ったのを見て取ってから、男の人は木柵を飛び越えて村の中に入った。篝火の側で誰かと話し込んでいる。



 ──篝火に照らされるのは獣人の人たち。エルフの女の子。そしてもう一人は人間ヒューム。グレーの髪の毛で赤い大鎌を持っている。



 そうだ、あれは──


「──アンリ兄様!!」


 頬を熱いものが伝って地面を濡らした。

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