第19話 カセヤエ

「どうだ人間ヒューム。貴様ごときがこの『向こう見ずのフェイン』に敵うと思うな! 俺様が上で、貴様が下だ!!」


 裸に腰布だけをまとったフェインが俺に抱きつき、そして力の限り押し倒そうとしてくる。

 耳元に荒い呼吸が当たり、フェインの興奮が質量を伴って伝わってくるような錯覚を覚える。


「くそ──『向こう見ず』って二つ名は馬鹿にされてないか?」


 フェインから滴る汗が顔にあたって気持ち悪い。背が高いので重力に従って汗やら唾やらが飛んできて、容赦なく俺を攻める。


「グハハハハ! 力で弱者をひれ伏させることの何と気持ちの良いことか!」


「こいつ聞いてねえ!!」


 人の話を聞かないから嫁も出来ないのだろう。

 威勢の割に力は大したことがないので、やろうと思えば簡単に抜け出せる。一応苦戦するフリをしておかないと、後々面倒くさそうなので、ほどほどの力で抵抗しておく。


 カセヤエ──それは漢同士の魂のぶつかり合い。シルバークロウ氏族の祖霊に捧げるための伝統行事である──らしい。

 男同士が腰布一枚で取っ組み合い、先に相手の膝や頭を地面に付けたほうが勝ちとなる。要するに無手での戦闘訓練のようなものだ。


 これは全裸になった後で教えられた。先に教えろこの鶏脳みそが。


 今は村の真ん中でフェインとカセヤエをしている。周りには氏族全員が集まり見物に勤しんでいるが、長らしき人物は見えない。


「アンリーー! がんばってーーー! ぶちかませーーーー!!」

「お、お兄さーーーーん! 頑張ってくださーい……」


 トールとシーラが声援を飛ばす。シーラは大声を出すのが恥ずかしいのか、最後の方は聞き取れないほど小さな声だった。


「グウウウウウ! 妻二人から黄色い声援を貰うなど──許せん!!」


 フェインが激高のままに俺を押し倒そうとする。妻じゃないと説明しているが、この阿呆は聞いてくれない。

 フェインも全力で押してくるのは分かるが、どうにも力が弱い。ホロウナイトの足元にも及ばないだろう。


「があああ! なぜ倒れん! なぜだあ!」


 フェインが激高のままに叫ぶ。


「ならば、禁じられた技を使うほかないなあ! 喰らえヒュームよ!!」


 言うやフェインは俺の大切な腰布を両手で掴み、そして力の限り引き裂こうとしてくる。

 布が裂けると共に俺の露出度が上がってゆく。急いで手刀でフェインの手を打ち払うがかなり破れてしまった。


「グッヘアヘアガハアアアエ!! 腰布が取れれば祖霊への侮辱となり貴様の負けだあああああ!!」


 片手で腰布を押さえつつフェインと距離を取る。もし手を離せば大惨事となり、俺の儚い名誉が無残にも砕け散るだろう。


「マジでやばいよアンリーーーー!! 早く倒してーーー!!」


 トールが叫ぶ。横目で見るとシーラは両手で顔を覆っていた。しかし、よく見ると手の隙間からこちらをチラ見している。


「片手で何が出来るかヒュームよおおお!! おりゃあああああ!!」


 フェインがなりふり構わず突進してくる。その体格で俺を吹き飛ばして、地に伏せさせるつもりだろう。


「俺様の嫁のために死ねええええええ!!」


 フェインと衝突する寸前である。

 突進を避けず、あえてフェインの胸元に低い体勢で飛び込み、顎下に片手で掌底を入れた。


「ぐわぁあああああああああ!!」


 フェインは上空に飛び、そして数秒ののち背中から地面に落ちた。頭が地面についているので俺の勝ちだ。

 周りの獣人が喝采をあげる。身内がやられたというのに何だか楽しそうだ。恐らくフェインは人望というものを持ち合わせていないのだろう。


「ああ──無駄に疲れた。おおガブリールか」


 カセヤエが終わるとガブリールが駆け寄ってくる。口には俺の服を咥えているようだ。


「お前は本当に賢いよ。そこで倒れてる奴よりもな」


 ガブリールの頭を撫でたのち、家の裏で服を着る。破れた腰布では俺の尊厳は守られない。文明の衣を纏わぬば。



 ◆



 村の中心に戻ると倒れ伏したフェインの前に、見知らぬ獣人が立っていた。堂々とした立ち振舞い、意思を感じさせる瞳。フェインとは格が違う。


「客人よ。同胞が無礼をしたようだ。詫びさせて欲しい」


「いえ……本当に無礼でしたが、まあ先に喧嘩を売ったのは俺だから良いですよ」


「助かります」


 白銀の毛皮で覆われた手を差し伸べてきたので握手で返す。背が高いので見上げるような形になってしまう。


「我が名はシリウス。このシルバークロウ氏族の長をしている。この度は何用で我が村に来られたのか?」


「俺はここより東方で領主をしているアンリ・ボースハイトと言います。今回は治癒ポーションを買ってもらえればと思い伺いました」


「何と──治癒ポーションを。それは実に興味深い。まさかそこのフェインは治癒ポーションを持ってきた客人を無碍に扱ったのでしょうか?」


「いやあそれは……まあ」


 シリウスの瞳に小さな怒りの炎が燃える。顔には出さないけどかなり怒っていそうだ。


「フェインは私の方から言い聞かせておきましょう。あやつも悪いやつでは無いのですが、いささか思慮に欠けるとこがあるのです。そんなにカセヤエが好きなのなら、今度気を失うまで私とするとしましょう」


「お手柔らかに。俺もフェインは嫌いではないですし」


 あいつは馬鹿だが気持ちの良い馬鹿だと思う。馬鹿だけど。


「詫びに私の部屋に来て下さい。プラム酒をお出しします。そちらのエルフのお嬢さんたちには酒が入っていないのをお出ししましょう。それとそちらの美しい狼にも綺麗な水を」


 シリウスがありがたい申し出をしてくれたので、皆も嬉しそうだ。それに、そこでならポーションの商談も出来るだろう。


「ありがとうございます。それと俺も酒じゃない方でお願いします……」


 酒は以前に失敗してから凝りている。コップ二杯からが危険域なのだ。

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