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 称賛する敵に対して、困惑するのは当の本人のほうだった。

 誘導に乗せられて孤立した状況で、四方から注がれる無数の凶刃。未だ標的は見えず、防戦一方の最悪の展開。だというのに――まるで羽が生えたかのように体が軽く、発射されるナイフなど、もはや避けられないほうが難しいとさえ思える。夜闇の向こうから放たれるそれらの軌道から着弾までの一連が、まるで白日のもとで行われるかの如く、瞬時に理解できる。そしてそれはナイフだけに止まらず。


「いい加減、鬼ごっこも飽きたわよ」


 アミュレのアーモンド型の瞳が、一点を見た。まったくブレずに、的の中心を射抜くような視線だ。

 空気がぴんと張り詰めた。彼女の見据える先にはうっそうと繁る深緑が、夜の闇と風に揺れてさざめき立っている。

 そしてふいに、影が現れた。それまで木の幹と草木しか生えていなかった光景に、幽霊でも湧いたかのように小山のように大きな巨躯の影が出現した。


「どうしてわかった?」


 観念してというより、ようやく見つけてもらえたという風に影が――パイルが訊いた。


「声の位置をずらしながら移動しても、ナイフの発射点と照らし合わせれば、これだけ時間があれば馬鹿でもわかります」

「本当にすごいや。いままで見てきたなかで、最高の逸材だ。君はあのパーティのなかで、一番殺しに特化した才能があるね」

「暗殺者であるあなたにそう言われるのは、誉れ高いことなんでしょうけど……生憎、私はもうその才能を活かすつもりはありませんので」

「それはどうかなぁ」

「……どういう意味ですか」

「じゃあ、どうして傷ついた仲間を放ってここに来たの? 僕が君に標的をずらさず、向こうに焦点を絞ってたら、今頃どうなってたんだろうね?」

「……」

「それにもう殺しをしないって言うんだったら、僕の前にひとりで出てきて、どうするつもりだい? 命の尊さについて説教するとか?」


 パイルが大仰に手を振り上げながら言った。アミュレは表情を変えず、右手に握るナイフを逆さに持ち帰ると、低く姿勢を取った。


「殺さなくても、行動を抑止することはできるのよ」


 凍てつくような声だった。

 彼女がそう言い放つのと、弾かれたように前へと驀進するのは同時で、


「――ヒュッ」


 パイルが肺に吸い込もうとした空気を、寸前で吐き出した。

 息を吐ききり、吸気するために肺をふくらませる一瞬。人体が酸素を取り込むために機能を割くそのときが、最も無防備な一瞬だ。アミュレはそれを突いたのだ。この暗闇で、防戦一方だったこの戦況下で。


 だがパイルも伊達に何度も死線を潜ってはいない。

 再び息を吐き、即座に突かれた虚を取り払い、迎撃の体勢を整える。


 真正面から向かってくる白いローブの少女を、目を見開いて捉える。

 深い彫りの奥で、獣のような眼球がその白を焼き付けた。鬼ごっこの相手を追うように。暗闇でその純白のローブはひときわ目を引いた。残像が残るほどのコントラストだ。だがそれが、彼女の仕掛けたもう一つの罠だった。


 白い影がふわりと宙に舞った。

 今まで男へ突進していたローブが、ふいに急停止したのだ。正面突撃を予見させてのフェイントかと思ったが、そうではなかった。ローブはローブでしかなかった。それを羽織り、その足をもってこちらへ向かっていた本体が、煙のように消えているのに遅れて気づいた。お互いの命をかけあう死線で、貫き殺すような視線を注がせ、さらに闇と白のコントラストで目を焼きつかせる。その結果、暗殺者は一瞬の判断を見誤った。ローブに包まれていた黒装束の中身が、自分を中心にぐるりと旋回したことに気づいたのは、その背中を暗器に切り裂かれたあとだった。


「ぐっ」


 くぐもった声が漏れた。

 力がそれほどない少女の攻撃でも、速度に乗せて放たれればそれなりのダメージがある。

 そしてそれ以上に、自分の予測を超えてきた少女に、素直な意表を突かれた。


 そしてアミュレの攻撃は、それで終わりではなかった。

 一度虚を捉えれば、そこから次なる虚を引き出せる。意表から意表へ。罠から罠へ。ダメージを受けることにより、どうしても一瞬、そちらへ向く意識を利用しての奇襲作戦が続いた。後ろを切れば今度は前へ。前を切れば今度は頭上へ。子供ゆえの身軽さで。子供らしからぬ狡猾さで。本来ならば上位職にあたる暗殺者の男を翻弄する。


「どうしたの。まだ死体にんぎょうになるのは早いでしょう」


 少女が言った。

 男の血に濡れた刀身をときおり振り払いながら、人形を繰るように糸の代わりに暗器を手繰った。


「言ってくれるなあ。じゃあ、僕も本気を出そうかな」


 散々、パイルを切り刻んだナイフが、このとき初めて異なる音を放った。

 金属同士がぶつかり合う擦過音だ。暗殺者の右腕を覆うように装着された手甲が、ようやく出番が来たというように動き、彼女の攻撃を受け止めたのだ。


「力自慢の隠密なんて、不合理ではなくって?」

「力はなによりも重要さ。走るときも殴るときも、締めるときも毟るときも、どんなときでも必要になるステータスだ」

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