23

「あ……はい」


 思わず素直にそう応えていた。

 自分にとっては、第二の天啓を受けたような気持ちだった。

 生まれてこのかた、盗賊として天職を授けられたものの己の才能のなさに膝をつき、自堕落なその日暮らしを繰り返していた彼にとって、僧侶でありながら自分の技を遥かに凌ぐスキルを見せてくれた彼女は神の使い――天使のように見えた。

 これからは真面目に盗賊の技を磨こう。そう心にひとつの目標が生まれたとき――その意思もろとも、彼の意識が丸ごと弾け飛んだ。


「駄目だよお嬢ちゃん、殺るなら最後までちゃんと殺らないと」


 突然、天から巨大な物質が振ってきた。

 落下のエネルギーと質量の力が、着地と共にそのまま盗っ人へと加えられた。

 けたたましい音と共に、人間の骨が砕ける音が鈍く響いた。


「……ッ!」


 突然の出来事に、アミュレの顔が騒然となった。

 反射的に後方へと飛び、現れた物体との距離を取った。


 彼女は自身の索敵スキルに絶対の自身を寄せていた。

 幼い頃から無理やりに教えこまされた忌むべきスキルだが、それだけに熟練度の高さは言うに及ばない。

 だというのに、つい直前まで、あの盗っ人を果実でも潰すかのように圧壊して着地した瞬間まで、彼女は彼の気配に全く気づかなかった。


「やあ、君も同業者だろ? 動きを見ていればわかるよ」


 そう言って地面に突き立てた拳を引き抜きながら、巨大な物体――突如現れた浅黒い肌の男は、ゆっくりと彼女へ顔を上げた。

 その瞳を向けられたとき、アミュレの全身が粟立った。


《逃げなさい》


 もうひとりの自分――シュバリアの頃の、冷徹な本来の自分が、緊急信号のように声を発した。


《負けるのも逃げるのも恥じゃない。死霊使いの恥とは、己自身がそれに囚われたとき》


 何度も教えこまされた小節が呟かれた。

 死とは道具であり、使役すべき現象。それに自ら飲み込まれに行くなど、工房の火で焼かれて死ぬ鍛冶屋のようなものだと。


 ――だが、


「そこから離れてくれませんか」

《……っ》

「……ん?」


 同じような反応を示して、目の前の大男が自分の潰した者を見やるのと、背後でささやきかけていた声が消えるのは同時だった。


《愚かね。せっかく鍛え上げた脳を、そこまで鈍らせるなんて》


 最後にそう悪態付く自分を背後で感じた。

 けれど彼女は――親友の死をもって新たな世界へと踏み出すことを決めた彼女には、


「腕には自身があるみたいですけど、耳は不自由なようですね。――どいて下さい、邪魔です。彼を治療するので」


 目の前で瀕死となった盗っ人を、そのまま見過ごすことはできなかった。


「治療? これを?」


 売れ残りの在庫品でも掴むように乱厚に髪を握られて、盗っ人が持ち上げられた。

 何もかもがぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃだった。だが辛うじて息があった。血に濡れた彼の顔面から微かな呼吸を感じ取ったとき、アミュレは凍てついた氷のように自分の精神が冷えるのを感じた。


 ――ひゅ。


 今度は手にナイフを握り、息を短く吐くと眼前の名も知らない大男へと駆け込んだ。

 一直線にではなく、影に乗じて息を殺して標的を攻撃する。盗賊として教育されたときに身に染み込まされた戦闘方法。

 激昂ではなく冷徹に心を沈めるのも、常に冷静な判断を下すための死霊使いの掟だった。


 この場面において、彼女は僧侶ではなく、ひとりの盗賊だった。

 最も忌むべき自分へと立ち返り、望むべき自分の役目を全うせんと影を縫う。


 狙うは動脈。

 殺しはしない。そんなことをすれば、本当に過去の自分に逆戻りだ。

 ただ瀕死の盗っ人を治療する間だけ、相手を行動不能にすれば良い。そのあとは大男も治療して、隙を見て撤退する。


 未だ微かに残る、学院時代の思い出が彼女にそう判断させた。

 それが紛れもなく、


「まいったなあ……ターゲットはエルフひとりだけだったんだけど……まあ、盗品で釣るっていうのには変わりないし、このまま続行かなあ。……ねえ、盗品お嬢ちゃん?」


 おごりであることに、アミュレはそこに至ってようやく気づいた。

 首だけを振り、闇に溶けた少女の姿をサーチライトのように鋭い視線が捉えた。


「……ッ!」


 スキル『影走』。

 日の支配の及ばない闇に身を置くときに、移動力と気配を極端に下げる盗賊の上級技巧。

 それは文字通りの『影』にいるときから、日の没した夜でも発動が可能だった。古代図書館では前衛の補佐であり、そして狭い回廊を考慮して使用していなかったこのスキルを、アミュレは大男と対峙した瞬間に発動していた。


 久々の使用だったが、腕のにぶりは感じなかった。

 いや、前にも増してその効力は上がっているようにも感じられた。

 彼女とて厳しい旅を続けて来た身で、故郷を発ったときよりもレベルは何段も上がっている。


「エルフが来るまで、少し遊ぼうよ」


 ひゅ、という音と共に、鈍い光を放つ何かが宙を走った。

 呆然とする間も無く、アミュレはスキルで上乗せした身体能力で回避行動を取った。


 それはナイフだった。アミュレが持つ最低限の護身用のナイフではない。それ専用の、暗殺用に作られた暗器だった。

 禍々しい形に整えられた刃筋が、切るというよりも闇に走る亀裂のように、一瞬で彼女のもとへと伸びた。

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