17

「この都市を守る者として、情報には常に気を使っている」


 差し出された手のひらを握り返すと、にこりと彼が微笑んだ。切れ長の眼光が鈍く光る。

 黒髪のオールバックで、頬は少し痩けているが華奢というわけではない。体もギルドの男たちと比べると細いが、決して弱さを感じさせるものではなかった。

 想像したのは蛇だった。自分の何倍もの体積がある猛獣さえ構わず絞め殺して丸呑みにしてしまう。睨まれるだけで体が硬直するような、感情の読めない目もまた同じだった。


「守る?」

「ここは土地柄、血の気が多い奴らが多い。俺はそんな奴らが好きだし、この都市も愛してる。だから度が過ぎないようにこうして見回りをしている。月謝をもらってな」

「……」


 オールバックの男の後ろで、アラナミの主人が唾でも吐き捨てんばかりの様相を作ってた。

 どこの世界にも、こういうものを生業にする人間はいるんだろう。


「俺の名はジャス・メステインだ。泊まるところを探してるなら、良いところを紹介するが」

「お気遣い感謝します。でも大丈夫、アテならあります」


 もちろん、そんなものはない。

 けれどジャスと名乗ったこの男のペースに乗ることは、自分からとぐろを巻いた蛇の中心へ入るようなものだと直感した。


「残念。だが気をつけた方がいい。さっきも言った通り、この都市は気性の洗い奴が多い。お連れの淑女たちの身を案じるなら、身を寄せる場所はよく考えるのが得策だ」


 そう言って彼はリズレッドに向けて軽くウインクをした。

 リズレッドは平然とそれをいなしていたが、俺の心はそのとき、激しくざわめいた。

 こんな気持ちになるのは初めてだった。大切にしているものを、見も知らぬ他人がべたべたと触れてきたような不快感だった。


 ジャスは踵を返して、再度扉へ向けて歩き出した。

 ここにはもう用はないというように。けれどアラナミを出る手前で、扉の横に立っていた主人へ向けて、ぼそりと呟いた。


「例のあれはまだ見つからないのか」


 主人はその言葉に、短く「ああ」とだけ答えた。ジャスはそのとき、何かを考えるような間断を取った。

 意識していなければ見過ごすほどの一瞬の間だった。そしてすぐにそれを止めると、肩をすくめながら、来た時と同じように静かに去って言った。


 アラナミの屋内中が、彼が取った間断以上の沈黙に包まれた。

 張り詰めた糸をいつ緩めれば良いのか、その場にいる全員がわからなくなっているようだった。


 やがて誰かが、もう限界と言わんばかりに肺の中の空気を大きく吐き出した。


「はーーーーーっ……いきなりすぎんだろうが」


 それを皮切りに、周囲の男たちが続々と愚痴を初めては、仕切り直しとばかりに酒を煽り始めた。

 実際、俺もそうしたい気分だった。召喚者はこの世界で摂ったアルコール分は脳へトレースされずに遮断されるが、何かを使って、この気持ちだけでも早く洗い流したいという思いだった。


「オヤジ、あいつと何か取引をしたのか?」


 周りに喧騒が戻る中、オズロッドが怪訝な顔つきで主人へ問いかけた。


「依頼だ。ギルドに発注される内容としては、ありふれた捜し人のな」

「……捜し人? どれだ?」


 アラナミの壁中に貼られた依頼書を見渡しながら、オズロッドはなおも眉根を寄せて訊いた。


「張り出しちゃいねえよ。いや、正確にはここにはな。受けた手前、どっかには貼らなくちゃいけねえから、奥の事務室に貼り付けてやってる」

「厄介な捜し相手なのか?」

「……」


 二人がなにやら神妙な顔つきで話張っているのを、俺たちは少し離れたところから傍観していた。

 事情を知らないよそ者が簡単に入っていい空気ではない気がしたからだ。


「なんだか、なるべく穏便に済ませたかったのに、雲行きが怪しくなってきましたね」


 アミュレが落胆したように告げた。


「優先すべきはラビと弔花の命だ。ここで離脱することはなんとしても避けたい」

「何言ってるんだ。優先するのはリズレッドとアミュレの命だ。俺たちは離脱するだけで済むけど、リズレッドたちはそれじゃ済まないんだから」

「パーティにおいて一番に考えるのはリーダーの安全だ。これは冒険者なら心得ていて当然だぞ」

「そのリーダーが頼み込んでるんだ、もっと自分の命を大切にしてくれって」

「……むう、君は最近、口も達者に鳴ったな」


 リズレッドが腰に手を当てながら、憮然としてそう言った。


「それにあいつが最後に言った言葉が気になる。リズレッドたちの安全を考えるなら、宿はよく考えたほうが良いって。あれはどう聞いても、俺たちへの忠告だった」

「正直、この都市の人間に取り囲まれても切り抜ける自身ならあるが」


 ……まあ確かに、リズレッドの実力ならアミュレをかばいつつも危機を脱することは可能だろう。

 情けないことに、俺と彼女の間には大人と子供ほどの実力差がある。俺にこんな注意を受けるのは、彼女としても不本意なのかもしれない。

 そこへ、オズロッドが話に割って入ってきた。話はもう済んだようで、主人は他の冒険者からオーダーされた酒を作る作業に戻っていた。右手には何やらくしゃくしゃの紙が握られていた。


「お前ら、俺ん家に来るか」

「……はい?」

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