132

「クソッ! クソッ!! なんでだ、なんでオレが地面に倒れててる!? なんで肉食動物のオレが、草食のこいつにこんな傷を負わされてんだ!?」


 恨みで染まり切った呪言のような呻きを上げながら、丁度中央祭壇のある場所で、ずしゃりと音を立ててくず折れた

 血は炎によって灼かれ、殆ど出てはいなかった。

 こいつの生きた証は、すべてが断罪の火により焼却されていった。


「……」

「あまり、見ない方がいい」


 燃えていくレオナスを呆然と見ていた俺に、リズレッドが声をかけてくれた。


「君にはまだ、この光景は酷すぎる。……どうすることもできなかった。最適解が、望んだ形で終着することのほうが珍しいんだ」

「ありがとう。でも……人を殺して、それにすら目を背けることはしたくない。これは紛れもなく、俺が選んだ道だから」


 唇を強く引き結んで、彼へと歩み寄った。

 あいつの視線が、炎の向こうから俺に突き刺さった。


 言葉はなかった。

 声帯が灼かれて声が出ないのか、会話を交わす気など毛頭ないのか。


 ただ奴の眼光だけが、俺にこう問いかけてきていた。


 よォ、人殺し。と。


 そしてにたりと笑うと、声をあげずに奴は笑った。

 上等な笑い話を聞いたときのような、とても楽しげに。


 それが最後だった。

 断罪の炎は怪物を焼き尽くし、すべてを無へと帰した。

 遺ったものはなにもなかった。灰や炭すらなく、跡形もなく奴はこの世界から消えた。


 残ったのは、俺の罪だけだった。

 自分の手を半ば放心しながら見やり、自分の犯したことの大きさが遅れて実感として湧き、震えが走ったとき、背中から暖かな感覚が伝わった。


「ラビ、帰ろう。地上へ」


 後ろから手を回して抱擁するリズレッドが、優しい声音でそう告げた。

 続いて、アミュレがこつこつと足音を立てて走り寄ってきた。


「白爺さんの手当てが終わりました。ひどい傷でしたが、もう大丈夫です。さあ、今度はお二人の番です」


 そう言って両手をかざして翠光を呼び出そうとした少女へ、俺は合図を送って止めた。


「え?」

「いまは人よりも、自分のことを心配したほうがいい」


 アミュレだってさっきまで重傷を負っていた怪我人だ。

 しかも元々少ない魔力量で、逐次回復を待ちながら連続して癒術を使用したことで体力的、精神的にも限界が来ていたのは明らかだった。


「そんな……! 私は、こういうときのために皆さんのパーティに……!」


 声を張り上げたことで緊張の糸が切れたのか、アミュレが目眩を起こしたように体を揺らし、そして膝が折れた。

 倒れこむ瞬間、素早く腕を伸ばして彼女を抱きかかえる。少女の小さな重みが感覚された。

 こんな小さな体で俺たち全員の回復役をこなしてくれたんだ。急場が去ったのだから、もうゆっくりと休ませてやるべきだ。


「いま一番休息が必要なのはアミュレだ。ほら、俺が地上まで抱えていくから」


 そう言って彼女を抱き上げた。


「そ、そんな! お疲れのラビさんに、そこまでして頂くわけには!」


 顔を赤く染めた彼女が、悶えるように萎縮しながらそう告げた。

 ……確かに彼女も立派な冒険者の一人だ。こんな子供扱いをして、気が良いものでもないのかもしれない。


「わかった。じゃあ俺が疲れるまではこうさせてくれ。それくらいの礼をさせてくれてもいいだろ?」

「…………そこまで、おっしゃるなら」


 本当に、俺は仲間に恵まれた。

 さっきまで自分が犯した罪に押しつぶされそうだった心が、いまはなんとか平時に戻っている。

 ……無論、それで終わらせるべきことじゃない。俺はこの罪を、一生背負って生きていかなくちゃいけない。


 やっぱり俺は、まだまだ弱い。

 殺したくない相手を殺さないためには、大きなアドバンテージが必要なんだ。

 手加減できるほどの力量差か、対象を束縛する類のスキルが。


 レオナスはそれを教えてくれた。

 本当にひどい奴で、救いようのな男だったけれど。

 それだけは確かだった。


「そうだ、リズレッド。儀式のことだけど……」


 言いかけたとき、白爺が大きな体を揺らしながら祭壇から降りてきた。


『こいつが、儀式の核となる本だ。だが……』


 白爺は言い噤んだ調子で大きな手を差し出してきた。

 中央にはちょこんと本を乗せされていた。B5程度の一般的な大きさの本だが、彼との対比でそれはとても小さなミニブックに見えた。


「これは……」


 リズレッドが怪訝な声を上げた。

 最初、俺は真っ赤な装飾がほどこされた本なのだと思った。表紙も裏表紙も真っ赤な。

 ただすぐに妙なことに気づいた。それは表や裏だけではなく中間。文字を書き込むためのページにいたるまで赤く染め上がっていたことだった。


 リズレッドがそろそろと本に触れて、ページをめくった。

 どのページも、


『本来はここには、我輩たちの血印が記されていはずだった。儀式を通して、この世の生き物が神に奇跡を請う証として残る血の契約紋が。むろん、お前がここで儀式を終えていたら、同じようにページの一枚に飾られていただろう』

「……」


 リズレッドはただ黙って、分厚い本を最後までめくっていった。

 しかし本は最後に最後に至るまで、赤の染まりきっていた。彼女の契約紋など、どこにも刻み込む余地がないほどに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る