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 だからこそ、それをカウンターで返すのはとても簡単だった。


 焔の刀身を凝縮させる。

 白爺との闘いで編み出した、決戦決着用の光刃第二形態――大剣から普通尺の剣ほどまで抑え込んだ刀身の薄皮のなかで、轟然と燃える炎がいまにも暴れだしそうだった。


 一歩間違えば凝縮に失敗し、爆散する可能性のある危険な技だ。

 けれど、向かい来る王を討つにはこれしかないと思った。

『疑神の一撃』は攻撃力と防御力を数段跳ね上げた肉体を、そのまま殺傷力に変換して相手に叩き付ける技だ。通常形態の光刃では競り負ける可能性があった。


 それになによりも、操られながらも最後の戦いを挑んできたあいつに、相応の覚悟で臨むのが礼儀だと思った。


 奴の動作を見落とさないように感覚を鋭く尖らせる。

 勝負はいまから三歩目。軸足が左に変わり、重心が左右反転する丁度中間。右にも左にも触れることができない振り子の中点。そして鏡花の作ってくれた好機――右目の欠損を、最大限有効に使える瞬間。


 ――一歩。

 猛る牛頭人体の巨体が、轟然とそのシルエットを大きくさせていく。


 ――二歩。

 手を伸ばせは届いてしまうのはと錯覚するほどの威圧が全身を震わせる。

 そして、


 三歩。

 その威圧をバネにして、俺は前へと駆けた。


 ミノタウロスは俺の特攻に対して、変わらず『疑神の一撃』により攻撃を続行させた。

 いま備わっている推力だけでも、直撃すれば俺を粉々にできるという判断からだろう。


 その推測は正しい。動きが読めるとはいえ、攻撃が当たればダメージの量に差などないのだ。

 奴と俺はおそらく、リズレッドと俺ほどの差があるだろう。

 まともに食らえば死ぬのは俺だ。


 だけどここが最大の勝機である以上、火中の栗を拾わなくてはいけない。

 わずかに体を左へぶらす。

 残された奴の左目がそれを俊敏に捉え、左旋回を予測させた瞬間に――無理矢理重心を逆転させ、ターンを刻んで右側へ体を振る。


『!?』


 碧眼の奴は、突然俺が消えたように錯覚し、一瞬の間断を生んだ。

 動揺は停滞を生み、停滞は推力の減退を意味していた。


 あとは純粋に、互いのスキルのどちらが優れているかの勝負だ。

 そして俺は、リズレッドから教わり、自分の力で昇華させたこの技が、独りよがりなあの技に負けるとは微塵も思わない。


 一刀が宙に閃光を残した。

 凝縮された焔の残光が、ミノタウロスを闇の衣ごと切り裂く。


 俺とミノタウロスは互いの推力のまま交差して、数メートルの距離を置いて背合わせの状態で静止した。


 ピ。という乾いた電子音が鳴り、目の前に警告色のウィンドウが現れる。

 心臓は驚くほど静かで、まるで止まってしまっているかのようだった。

 もしかしたら奴の攻撃を避け損ねて、何かの間違いで本当にダメージを負ってしまったのではと思った。

 だけどそれは何てことはなく、ただ相手を倒すために俺の全身が、一振りの物言わぬ剣と化していただけだった。

 リズレッドから教えられた、大切な人たちを守るための一振りの剣に。


『ゴフっ……!?』


 後ろでミノタウロスが呻き、床に膝をつく重い音が響いた。

 振り返ると、信じられない……というよりも、目の前の光景を認識できず、呆然とする一体の魔物が打ちひしがれていた。

 胸には深々と光刃の傷跡が残り、その痛みと、自分の全力をもってしても思い通りにならなかった現実とで、錯乱しているようだった。


『嘘だ……』


 傷から溢れる自分の血を手のひらで拭い、それをまじまじと見ながら奴は言った。

 自失のあまり口から無意識に漏れ出たような口調だった。


『嘘だ……これは嘘だ。これはなにかの間違いだ……』

「ミノタウロス……もう諦めろ」


 痛みに耐えかねた奴が一縷の望みを託し、闇雲に繰り出してきた突進を空を切った。

 いまのあいつは、拠り所にしていたものを全て失った状態だった。

 俺の言葉には耳を貸さず――というよりも、声をかけられていることにすら気づいていないのかもしれないが――奴はうわ言を繰り返す。


『……うそだ……儂が……こんなガキに……』


 自分に言い聞かせているような様子だった。

 あいつはきっといままで、ああやって不都合な現実を、強力な自己暗示になって乗り越えてきたのかもしれない。


 けれどそれは結局はまやかしで、しかも腹部の裂傷から生まれる痛みが、その逃避を許さなかった。

 肩が小刻みに揺れているのに気づいたのはその時だった。

 生きた年数もレベルも遥かに下だと認識していた俺に対する、明らかな動揺と恐怖が感じ取れた。


 これ以上詮索する必要もなく、彼は戦う気力を失っているようだった。

 片腕は欠損し、いましがた渾身の力を振り絞った反撃は手痛いカウンターとなって返り、その結果が胸の傷となって血の染みを床に刻んでいる。

 なにもかもが彼を都合の良い闇へと逃げるのを拒んでいた。

 それに呼応するように、『疑神の一撃』により纏われた黒い瘴気が、ぱりぱりと剥がれていく。

 次第に中身があらわとなっていく。ただの低レベル召喚者によって手痛いダメージを負った、迷宮の主の姿が。


『嫌だ……死にたくない……』


 瘴気がひび割れて朽ちるように落ちると、ミノタウロスはぽつりと呟いた。

 いままで支えていた絶対的な自信が決壊し、奴はようやく思い出したようだった。

 これが命のやりとりをする死闘だったということに。

 そして自分は、その勝負に負けたのだということに。

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