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 召喚者がこの世界に足を踏み入れて一年以上が経つ。無限の命を持つ俺たちは、普通ならリズレッドたち達人の領域に、少しは踏み入れる奴が現れても良い時期だ。

 だが現実は、召喚者はこの世界の人間に、まだまだ及ばない。


 一般人や駆け出しの冒険者が相手なら話は別だが、少しでもレベルが上の相手や、剣や武技に覚えのある達人には手も足もでないのが実情だった。

 当時の俺は例に漏れず手も足も出ない側で、稽古のたびにリズレッドに不思議がられた。


「君の剣はとても綺麗だが、綺麗すぎるな」


 それが彼女の出した結論だった。

 動作線を頼りに俺たちが攻撃を繰り出しているのは前もって伝えていたから、そこで合点がいったのだろう。


「意思の宿らない剣はどれだけ型を綺麗に模写しても、行き着くところは演武でしかない。攻撃を受け続けているうちに、私にはどうも君がなにかに操られているように見えてきてしまった。もちろん型から倣うのは武の道においては大事なのだが――どうも『動作線』というのは、『倣う』という意味すら削ぎ落とされているように感じる」


 事実、その通りだった。

 意識を集中すれば宙空に現れるガイドラインに沿って体を動かずだけで、あとは自動で攻撃が発動されるのだ。

 そこに型へ対する敬意もなければ、そこへ至るまでの努力もない。


「最初は戦力が大幅に落ちるかもしれないが、そろそろ自分の剣を模索する時期なのかもしれないな。なに、君ならきっと大丈夫だ。なにせ私の弟子だからな」


 ……その後、うまく剣すら振ることができずリズレッドに吹っ飛ばされること数十回。

 動作線ありでは楽勝だった魔物に手痛い傷を負わされること数知れず。

 なによりも、自分の頭で考えて攻撃を加えるというがこれほど神経をすり減らすものだとは思いもしなかった。

 慣れるまでは、すぐにイエローウィンドウが出て旅を中断させられた。


 ――だが、その過去があるからこそわかる。


 ミノタウロスは、いまだその領域に留まり続けているのだということが。

 奴の体に何百本もの糸が結ばれて、天からの指示で動くだけの人形。それが少なくとも戦いにおける迷宮の王の正体だった。


『おのれ――なぜだ、なぜ貴様ら低レベルの奴らに、儂の攻撃が当たらん! システムも道理も、全てこちらが優位なはずだ!』

……か」


 怒りをあらわに、それとは対照的に恐ろしく正確な動きで乱打される攻撃を避け続ける。

 回避された棍棒は宙に虚しい風切り音を残すか、子供の癇癪のように床に叩きつけられて強かな音とともに古代図書館を破壊した。


 撒き散らされる瓦礫に足を取られないように周囲を確認しながら、呟く。


「あんたも……白爺たちと、もう少しだけ歩み寄れていれば気づけてはずなのに」

『白爺? 一体だれのことだ? 儂の知らないシステム管理者か? それとも貴様に完全回避のスキルを継承させたAIの名か?』

「……あそこにいるトロールに、見覚えはあるか」

『あそこ……? ああ、裏切り者と人形の近くにいる、モンスターのことか? なんだ貴様、モンスターに名前など付けているのか? いよいよもって気の狂った奴だ』


 ぎり、と奥歯を噛み締めた。

 こいつにとって、白爺はただのモンスターだった。かつて一緒に神へと反旗を翻そうとした仲間のドルイド族を――あいつは、ただの魔物という目でしか見ていない。


「白爺は人間だ! 少なくとも、お前よりも何倍も人間だ……ッ!」


 振り降ろされた棍棒を、俺はもう避けなかった。

 すでに軌道は把握した。どこへ反撃すれば一番簡単に迎撃できるのかも、読むことができた。


 光刃を鋼鉄の重量を放つ相手へと振り抜く。

 力任せに振るうというよりも、あらかじめわかっている軌道の上に、タイミングを合わせて刃を当てるような感覚で。


 瞬間、じゅう、という音が鳴り、巨大な質量がふたつに分断される。

 迷宮の王自慢の武器を、バターのように熔断した。


『……ッツ!?』


 円を描きながら宙を舞う、さっきまで己の手のなかにあった棍棒の尖端をぽかんと見つめるミノタウロス。

 

 ――なにを戦闘中に、よそ見なんかしている。


 リズレッドによって叩き込まれた剣士の感覚が、相手へ容赦ない声を心のなかで上げた。

 きちんと誰かに戦いの手ほどきを受けていたのなら、決して起こさないはずの決断。それを奴は、この緊迫した状況においても選択してしまった。


 棍棒を溶斬した体勢からそのまま翻り、右足を軸にして回転を加えた一刀を振るう。

 いまだ意識が放物線を描く鉄の塊に捉われていたミノタウロスは、その攻撃に対してあまりに無防備だった。


 一秒もないゼロコンマ数秒の油断。

 二千年を生きてなお、埋めることができなかった決定的な溝。

 その結果が、


『――』


 いま、灼熱の光刃によって示された。


 違和感を感じて、頭の上に疑問符でも浮かべたような面持ちで奴は己の右腕を見た。

 そこにはさっきまであったはずの腕がなく、視線は虚しく宙を空ぶる。


『――ギ』


 短く漏れた言葉が、


『――ギャァァァアアアアアアアアア!?』


 すぐに絶叫へと変わった。


『痛い! 痛い痛い痛い! なんだこれは!? お前……お前がやったのか!? クソ、なんでだ! ああ! が、ぁああああああ!!』


 片腕を欠損した痛みに耐えきれず、ミノタウロスは子供が泣きじゃくるようにもんどり打って倒れた。

 奴はきっと、いままでの人生で感じたことのない激しい痛みに襲われている。

 吸血の姫と戦ったときに俺も受けた、現実では滅多に味わうことのない死を連想させる痛みだ。

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