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着地して再び視線を向けると、変わらず恍惚とした表情のまま、奴はゆっくりと移動を始めた。
壇上に上がった司会者が、観客の目を十分に引きながら移動するかのように。
『素晴らしいな。儂はこんな痛みを他人に負わせて、今まで生きてこられたのだ。自分の人生が成功したかどうかは、どれだけ他人に痛みを与えられたかで測ることができる。弱肉強食の世界では、ごく当たり前のことだ』
「お前の人生が成功だと?」
『これから成功するのだ。今はただの準備期間だと、ようやく悟ることができた。礼を言うよ、ええと……ラビ、だったかな? お前に最大限の苦痛を負わせて、人生の転機としよう』
「ここから出ることなんて、できやしない。できるんだったら、とっくにそれをやってるはずだ」
『その通りだ。だが儂には、儂の願いを継いでくれる者がいる。あそこで繭となっているレオナスこそが、儂の後継者だ。儂が唯一同族と認める者だ』
「……なんでそんなに、他人が憎いんだ」
『憎いわけではない。言っただろう、儂は成功したいのだ。そして成功には成長が不可欠で、成長には経験値が必要だ。そして経験値は、他人を支配することでしか得られない。あいつもそれを、よくわかっている』
ミノタウロスが感慨深げに見上げる先には、神が用意したリズレッドのための祭壇で蠢く、禍々しい繭があった。
やがて迷宮の主は、壁に深々と刺さった棍棒――あの上層で見たときに背負っていた、俺の背丈を優に超える巨大な棍棒を――まるで重さを感じさせない手軽さで持ち上げて回収した。
『本当はあいつをダシに、現実世界に復讐をするつもりだったが――気が変わった。奴の生き様を眺めて過ごすのも、悪くない。だがそれには、お前たちが邪魔だ。だから――』
野球のバットでも振るように棍棒を片手でスイングする。
一振りごとに儀式の間の大気が揺れて、振動が肌を打った。
『――だからここで、粉々にしてやる』
悪意の塊を、丸ごとぶつけられたかのような悪寒が走った。
最初にこいつを見たときにも感じた、この世の全てを恨むような底の抜けた悪意の吹き溜まりだ。
「やってみろ」
だが何故だか、俺はそれを見てなお、どこか平常を保つ心の一部を感じていた。
レベルも上。経験も上。おそらく相手を倒そうという意思も――遥かに上の、この格上の相手に。
一体どこからそんな思いが湧くのかわからなかった。
もしかしたら心のどこかで『トリガー』という切り札があることで、不用意な油断が生まれているのかもしれない。
だがそれを使用することが不可能なことも、よく理解していた。
何故かはわからないがリズレッドは疲弊し切り、いまも床に伏せて意識を失っている。見たところ大した怪我はしていないのだが、とてつもない何か大きな決断をしたことによる疲労のように見えた。
『トリガー』は彼女の協力がなくては制御できない技だ。
意識を失い、さらに彼女へ近くことも、おそらく眼前の迷宮の主が許しはしない。
そんな状況で切れるほど、あの切り札は甘くない。
それはわかっているはずなのに――何故だろう。奴が威嚇のために振り抜いた棍棒の動作で、何故か逆に心が落ち着いている。
『ハハハ――! 恐怖で声も出ないか……! だがもう遅いぞ、レベルが遥か上の儂に挑んだことを、後悔しろクズ虫が!』
そう言い放つと、ついにミノタウロスが巨体を揺さぶりながら飛び込んできた。
歩幅が大きいため、十分に距離が空いていたにも関わらず、瞬く間に奴の姿が大きくなっていく。
棍棒を持つことでその姿はさらに大きく映り、まるで小人にでもなったかのような気持ちになった。
ぶん、という風切り音とともに、鋼鉄の凶器が振るわれる。
『――ッ!?』
身を翻して、その攻撃を避ける俺をミノタウロスが目を丸くして見やった。
『まさか――お前も!? いや、そんなはずはない……!』
なにかを振り払うように頭を左右に振ると、次に待っていたのは長尺の武器による、中距離攻撃領域による打撃の雨だった。
だがそれも、ひとつひとつを冷静に見やれば、全てトレースしているかのように淀みのない、同一の動きだった。
――操り人形。
ふいに、さっき鏡花が口にした言葉が脳裏に蘇った。
『ウォォオオオオオオオオオオ!!』
雄叫びとともに棍棒の雨がなおも降り注ぐ。
その一粒一粒が恐ろしく正確で……そして、おそろしく空虚だった。
そこには意思を感じなかった。
これだけ奴からは忿怒がみなぎっているのに、振るわれる力には何の熱も宿っていない。
「――そういうことか」
彼女
「あんたの全身から、糸が見えるよ」
『何!?』
「その糸はとても便利で頼りになるけど、それだけに頼っていたら、そのうちそいつから逃げられなくなるんだ」
『何だ、何を言っている!?』
動揺を見せるミノタウロスを前にして想起するのはふたつ。ひとつは鏡花の語った『操り人形』という言葉の真意。
そしてもうひとつは、召喚者に授けられた『動作線』に
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