58

 言い切るよりも早く、鏡花の応急処置を終わらせたアミュレが前を横切った。


「本当に、守ってくれるんですよね……私のこと」

「ああ」


 呆れたような、諦めたような、そんな態度でアミュレは一歩一歩、恐る恐るトロールへと近づく。

 心なしか彼女を守ると言ったとき、アミュレが笑みを作った気がした。それはきっと気丈に振る舞うための演技で、震える体を抑えるための偽りの笑みに違いない。

 だからこそ、俺はその約束を絶対に守らなくちゃいけない。


「トロール、これからお前を治療する。少しでも動けば今度こそお前を断つ。『鋼鉄外皮メタルジャケット』の効果はもう切れてる。いまならただの『光刃』で十分だ」

『……なぜだ。我輩の傷を癒して、一体なんの特がある』


 当然の疑問に応えるのは、俺ではなく後ろのリズレッドだ。

 アミュレへの攻撃を一切許さぬという威嚇を放ちつつ、彼女は故国の宝剣を巨人の眼前に示した。


「お前が言っていた『白剣』とは、これのことだろう」

『……ッ!』


 ただでさえ巨大な双眸が、さらに大きく見開かれる。

 ――というか、さっきから白剣抜いてたんだけどな、リズレッド。こいつ、よっぽど俺たちに興味がなかったらしい。もしくは前衛に意識を集中させて後衛を守るという役割を、鏡花が完璧にこなしてくれたおかげか。


『それは……おお、おお……! 間違いにあ……白剣だ……『白剣の勇者』が……ついに……!』

「その『白剣の勇者』について教えろ。思えば私はこの剣について何も知らない。エルダー神国の選ばれた騎士が代々継承してきたということだけだ」

『……成程。いくら長寿のエルフに担い手を任せたといっても、悠久の時の流れのなかでは風化してしまうということか』


 眉根を寄せて追求しようとするリズレッドを左手で制し、老トロールは警戒しながら治療を開始したアミュレに告げる。


『幼子よ、そう警戒せずとも良い。我輩の彼岸はついに訪れた。生き永らえる理由ができた以上、治癒はありがたく頂こう』


 その声に含まれる一片の情感に、俺だけではなく……というよりも、ネイティブであるアミュレとリズレッドのほうが大きく驚嘆したらしかった。

 けれどアミュレは一瞬でその表情をかき消すと、再び目を細めて癒術を再開する。


「私は信じませんよ。魔物は人を殺すために存在する生物です。殺意以外の感情が備わっているはずがありません。……もし魔物が温かみのある言葉を発したら、それは人をまやかすときです」

『ほう? 稚気盛んな年頃かと思ったが、なかなか理を得ている。そこの小僧よりも随分と大人らしい』


 このパーティに男は俺一人しかいないので、必定、小僧というのは俺のことを指しているらしい。


「その小僧に負けたのは、どこのどいつだよ」

『ぬかせ。無限の命を持つ程度ならともかく、スキルの創造までする相手など不公平すぎて勝負にならぬわ。『白剣の勇者』とともに行動しているということは。それなりに神の加護を得ているということか』

「スキルの創造……?」

『……自覚なし、か。この世界に在るスキルは全て神が用意したもの。技量を上げて新たな技を習得したとしても、それは創造ではなく、ただ背が伸びて高い場所に給仕された皿に手が届くようになっただけだ』


 そこまで言い終わると、老トロールはリズレッドを見やった。


「見たところこいつの師匠はお前か、勇者よ。なぜ此奴に教えなかった? スキルの創造などというデタラメを仕出かすことの異質さを」

『それは……私とて、この世界すべてのスキルを把握しているわけではない。確かにラビの『光刃』を最初に見たときは驚いたが、それが彼自身が編み出したスキルなどとは……』

『……ふむ。エルフ族ならば世界黎明の時代に神から啓示されたスキル全書があるはずだが?』

「そんなもの、聞いたこともない」

『そんな馬鹿なことがあるか。『審判の日』を正しく導くことが、我らドルイドとエルフが神から授かった役割ではないか。第一、先ほどお主が言っていたエルダー神国とはなんだ。エルフは皆、大神樹ヴェスティアンに住んでいるはずだろう』

「……驚いたな。この時代に他族からその名を聞くことになるなんて。……どこから説明すれば良いかわからないが、大神樹はもう……ない。燃えたんだ、二千年前に」

『な……っ』


 老トロールは言葉に詰まり、ただ驚嘆して目を見開いている。

 見やれば癒術を行使するアミュレもまた、魔法を継続するだけの集中力は残しつつも同様に息を呑んでいた。


「大神樹……本当に存在していたんですか? おとぎ話のなかに出てくる、神と対話できるという樹が。……とてもじゃないですが、信じられません」


 俺はそこで、小さな疑問を覚える。


「え、でもこの世界の人たちは全員一度は神様から信託を受けて職を得るんだろ? だったら対話できる樹くらいあっても不思議じゃないだろ?」

「ええと……なんと言えばいいのか」

「アミュレ、君は癒術に集中してくれ。鏡花の回復から休みなしだ、話すのにも体力を必要とするだろう。……ええと、ラビ。その問いには私が答えよう。私たちにとって神とは意思をもった存在であると同時に、ことわりの存在でもあるんだ」

ことわりの存在……?」

「誰かからスキルを教わると『継承』が発生すること。魔物を倒し続けると経験値が得られて『レベルアップ』が発生すること。そもそも、私や君が得意とするファイアという呪文でさえ、なにもないところから火が起こるのはことわりが世界にしっかりと敷かれているからだ。こちらの世界と君たちの世界ではことわりが異なるかもしれないが、上手く理解してもらえると助かる」

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