第四部
01
「私とバディに…………?」
艶めく黒髪を腰まで流した和装の女性が、訝しげな顔でそう問い返した。ほんの気まぐれで始めたゲームの、ほんの気まぐれで受けたクエストだった。内容は貿易商のひとり息子の護衛。発生条件がレベル10以上であれば良いという低いハードルから、その任務がさほど難易度の高くないものであるのは想像できた。だが、これは流石に予想外だった。
「はい……! その、あなたのことを……もっと知りたいんです……!」
相対する少年は、冷めきった女性とは対照的に真剣な眼差しと熱の込もった声音でそう告げた。
幼いながらも将来は華麗に育つであろう容姿が見て取れる風貌。決して高いとは言えない黒髪の女性の身長よりもさらに背が低い彼が、まるで一世一代の告白でもするかのように身を固くしていた。
――全く、なんという茶番の連続だろう。
それが胸に湧いた最初の思いだった。
彼女は他のプレイヤーとは違い、この世界に大きな関心を寄せているわけではない。ただ自らの秘める攻撃性を仮想の世界で晴らすという、それだけの目的でログインを続けていた。そういえば、最近双子の妹にもバディができたと本人からも聞いていたっけ、と、返答を待つ相手を無視して彼女はいまさらのように思い返す。
ネイティブと呼ばれるこのゲームのNPCと『バディ』という特殊な関係を契り、エデンというどこにあるかも、どうやって行くのかもわからぬゴールを目指すALAの最大クエスト。
賞金一億ドルという、もはや気狂いの沙汰とも思えるような破格の報酬を提示した運営者バルロンだが――それでもなお、彼女の胸を躍らせるものには至ることはなかった。
「悪いけど、他を当たっていただけますこと」
瞳を合わせることもなく、気の無い声で手短にそう返す。クエストの報酬である『虹珊瑚の首飾り』を受け取ると、用事が済んだため足早にウィンドウを開いてログアウトを選択する。
彼女の現実は多忙だった。
咲良東洋電機
それが彼女の父が経営する会社の名前だった。この電子機器における世界シェア一位を誇る会社の娘に相応しい人間になるための研鑽は、いくら積んでも足りない。やがて自分が手にするであろう富を思えば、あてもなく放浪を続けて、確率の低い一億ドルの夢に時間を費やすことは、彼女にとってなんの魅力も感じることのない茶番だった。
このゲームの最大のクエストも茶番なら、いまこのNPCが人間のような素ぶりで緊張の面持ちで誘うバディの契約もまた茶番。
虹珊瑚の首飾りはこのアバターの和装にも似合いそうだと、ただそれだけの思惑で受けた先で、とんだ些事に出会ったものだ。というよりも、咲良東洋電機が製造したポッドの調子を確認するために、気まぐれにこんなゲームに時間を費やしたのが間違いだったのかもしれない。
もうそろそろこのゲームで遊ぶのも人生の無駄ね。
十秒から始まるログアウトの待機時間が残り三秒となり、それがそのままALAとの別れになることを半ば確信しつつ、彼女はそのときを待った。
――が、そのとき、
「待ってください!」
叫び声とともに、腕をぐい、と引き寄せられる。不意を衝かれた彼女は身を揺らし、システムが仕様を正確に適用してログアウトのカウントをストップさせる。
「……なにをいたしますの?」
睨みつける眼光。
自分の予定を乱されることを極度に嫌う彼女は、その場で少年を斬り捨ててしまおうかと思うほどの威圧を放つ。見た目は十二歳ほどの幼さが残る栗毛の少年。だがだからといって、それがなんだというのか。これは人ではない。人の形をしたシステムだ。この場で斬り殺すことなど、特にどうという感情もなく行える。
威圧が止み、虚無の感情が胸を満たす。人でないものを斬るのに殺気など湧き上がるはずもない。彼女にとってはスイッチをオンからオフにするのと同じ価値しかないその所作で、手短に腰に帯びた刀を握り――
「――そ、その、僕……好きになってしまったんです! あなたのことが……!」
抜刀の寸前で放たれた言葉に、思わず手が止まった。
目の前の少年は顔を真っ赤にしながら初心な態度を見せる。それでもなお彼女の心は微動だにしなかった。面倒臭いロールプレイングゲームが、面倒臭い恋愛ゲームに変わっただけ。――だがそれでも目の前の幼子を斬り殺す手を止めたのは、そこに違った価値を見出したからだった。
――これは使える。
自分に好きだと告白し、緊張で全身を硬直させる少年。彼の出自を考えれば、言いよる女性など星の数ほどいるだろうに。しかしそれがなによりも、相手の本気度合いを確信させた。恋などというものに落ちた相手を操作することは簡単だ。現実の世界において尽きることのない富を持ち合わせる彼女も、ここでは一介の冒険者に過ぎない。RMTを利用してこの世界の通貨を手に入れることもできるが、そこまでするほどの気概もおきず、資金繰りには常に不自由していたのだ。
「……仕方ないですわね。ではあなたの覚悟に免じて、その契りをお受けいたしましょう」
感情を出すことなく承諾する。
少年はその言葉に満面の笑みを浮かべ、次には飛び上がって喜んだ。
馬鹿な子供。使い捨てにされるとも知らないで。
相手を金の詰まった麻袋程度にしか捉えない彼女だが、かくしてふたりは契られた。
あのエデン到達戦を宣言された夜に、いつのまにかバックに収まっていたペアのシルバーリングを取り出すと、無造作にそれを相手へと渡した。
「それでは、これから宜しくお願いしますわ。フィリオ」
「はい! 宜しくお願いします、鏡花さん!」
ザ・ワンが史上初のバディとなってから三ヶ月後の、シューノから遠く離れた東の小国。そこで海洋貿易を営むスプレツェン家の庭園で陽光照らす草木のなか、ふたりの男女が互いの指に銀の指輪を嵌めた。
それが血濡れの姉妹の鏡花と、邸宅のひとり息子フィリオ・スプレツェンがバディの契約を交わした瞬間だった――。
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