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「ラビさん止まって! 死んじゃいますよ! ラビさん!?」


 精一杯に叫ぶが、それでも彼は全く意に介さず、全身することを止めない。意識はとうになくなり、ただ眼前の敵を穿つために単調な動きを繰り返すだけの人形。それがいまのラビを形容するに最も相応しい言葉だった。


「ふふ――――ふふ、ふふふ。素晴らしい。素晴らしいわ。ねえ、そう思わないお嬢ちゃん?」

「え……?」

「英雄になるはずだった男が、愚鈍な狂人に成り果てているこの状況。本当なら彼は、どんな未来を掴んでいたのかしら? 私を倒して城塞都市から喝采を以って迎えられた? 愛しのリズレッドを再開を果たして、幸せな将来を作った? ――でも残念ね。そんな輝かしい未来は、私がぐちゃぐちゃに壊してあげたわ」

「……ッ! ラビさんはまだ、心まで壊されていません! まだ間に合います!」

「そうかもしれないわねぇ。でも、これを見てもそう言い続けられるかしら?」


 そう言い放つと、メフィアスは指をぱちんと叩いた。召使いを呼ぶときのような簡素な動作である。やがて空から、ボロボロに成り果てた彼女の眷属が降り立った。フランキスカたちとの激戦を命からがら抜けてきたのは明白で、身体中のあちこちが傷つき、汚れていた。メフィアスはそんな自分の僕を見て、ひどく気落ちした態度を取る。


「リゼラ……美しかったあなたの髪も肌も、すっかり汚れてしまったわね。でもそれも仕方のないこと。道具はいつか摩耗して、消耗しなくてはいけないのだもの。あなたは中々気に入ったコレクションのひとつだったんだけれど、もう百年も使ったんだもの。そろそろ取り替え時ね。さあ、最後に私の役に立って頂戴」


 リゼラと呼ばれた金髪の美しい女性は、なんの表情もないまま首肯してそれに応えた。メフィアスはそれに満足したようににこりと微笑んだあと、冷淡な語調で命令を下す。


「魔討の剣姫リゼラ・フレイアムよ。最後に私の盾となり、あの男の剣を受けないさい」


 その言葉がスイッチとなり、金髪の眷属はただちに命令を実行に移した。悪魔の前で大きく手を広げて、迎撃するでもなく反撃を狙うでもなく、ただ『盾』としてその場でラビとメフィアス双方の間に立った。


「やめ――――ッ!?」


 アミュレは反射的に彼を止めた。だがその口が閉じるよりも早く、彼は――彼だった獣は、速やかに殺害対象の間に立つ邪魔物に、光り輝く刃を振り下ろした。


「…………」


 眷属はそれでも無としか言いようのない表情を保ったまま、水平に引き裂かれた体が左右にずれ、上体がぐしゃりと地に落ちた。


「ぷっ……あははっ、あははははっ! どうお嬢ちゃん? これでもなお、彼に『心』なんてものが残っていると思うかしら? きっとさっきまでの彼だったら、眷属を殺すことに躊躇いを感じたんじゃないかしら? なんたって元は人で、あなたの後ろにいるリズレッドと同じ、私に拐かされた存在なんですもの」


 メフィアスは勝利宣言でもするかの如く両手を広げて高らかに言い放った。

 少女はその言葉に、否定の声を上げることができなかった。眷属と化した相手は魔物と同義。そんなことはわかっている。だが後ろで懸命にその眷属化に耐えているリズレッドも、いつそうなるのかわからないのだ。そんな対象を彼は、迷うことなく斬り伏せた。


「ア゛ァァアアアーーーーッ!」


 獣は雄叫びを上げながら地に伏して亡骸となった眷属を踏み越えて、メフィアスへと迫る。


「もう、やだ……」


 気づけば少女は大粒の涙を零していた。

 自分を救ってくれた彼が、密やかな恋心を抱いていた男が、どんどん消えていくのがわかった。

 あそこで戦っているのはただ目の前の対象を捕食せんと動く野生動物で、そこに優しさや暖かさなど感じなかった。


「このままじゃ、ラビさんが死んじゃう…………」


 その言葉が自然と口から出たとき、アミュレは先ほど逃避を選択した冷静な自分とは対象的な行動に身を任せた。無我夢中で彼へと走り寄っていた。逃避ではなく助けを。後ろではなく前へ。それはまるっきり自殺に等しい行動だった。あのふたりの戦いに身を投げるなど、煮えたぎる溶岩に身を投げるのに等しい。内なる自分が絶叫した。だが少女はその足を止めない。どうすれば良いかなど考えることもできなかった。ただ今にも消え去ってしまいそうな、蝋燭の火のように頼りない彼の最後の心の灯を、このまま傍観して眺めていることなどできなかった。


 男へ近づくと、そのままアミュレは全身を預けた。

 己の保身など全く考慮していない、全体重を乗せて獣へと抱きつく。


「戻ってきてください! ラビさん! お願いですから、戻ってきてっ!」


 少女の軽い体が背後に覆いかぶさる。それは簡単に振りほどけるほどの、獣にとっては棉が乗った程度の些事だった。戦いの邪魔をされた獣は哮り、その重さを振りほどくために手を振り上げた。拳を握り込み、腰を捻って後ろの少女へと鉄槌を下さんと振り下ろす。メフィアスはその光景を黙って見つめていた。綺麗だったものが泥に汚れる様を見て楽しむような、残虐的な恍惚をたたえた表情で。だが、

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