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 仰向けとなり初めて気付く。そこにあったのは、自分の腹部に横一線に走る、真っ赤に発光するダメージエフェクト。

 メフィアスが面白そうな笑みを作ったまま、さっきの会話を続ける。


「――それとも、愛する者に引導を渡されるほうが好みかしら?」


 奴は横に立つリズレッドの頭を撫でた。髪を梳くように軽く、と思えば強引に頭を引き寄せ、自分の頬へと擦り付ける。


「見捨てられた男なんて哀れなものね。この子から斬られたとき、斬られたことにも気づかなかったでしょう? そんな粗末な傷の代替品で満足しているあなたに、この子に触れる資格なんてないわ。手に入れたい物があるときは、血を流してでも手に入れるものよ、私のようにね」


 メフィアスはまるで自分の物であることを誇示するように、リズレッドに触れている。


 ――それが、こんなに不快だとは思わなかった。


「……ざ……けるな…………ッ!」


 それは激動となって俺のなかに渦を作った。

 彼女は誰の物でもない。リズレッドは一人の人間だ。俺はたしかに彼女とは違う世界に生きる人間で、この体は代替品以外の何者でもない。だけど俺のなかにはもう、稲葉翔とラビ・ホワイトというふたつの人間がいる。姿形は違っても、人を物としか認識していないメフィアスになにかを説かれる筋合いはない。それになりより――


「リズレッドに……気安く触れるな……ッツ!」


 それが一番許せなかった。

 動かぬ体をなんとか駆動させようともがくが、腹に負った傷の深さは甚大で、微塵も動くことはできない。HPバーを見れば、ゲームオーバーにならなかったのが不思議なほどの、首の皮一枚が繋がっているほどの細い残留ゲージが、バーの左端にかろうじて確認できる程度。


 ――それがどうした。

 俺はまだ生きている。ラビ・ホワイトはまだこの世界に存在している。

 いや、たとえ死んだとしても、何度だって食いついてやる――! 俺の意思が折れない限り、何度だって無限にこいつに挑み続けてやる――!


 そう滾る気持ちを燃え上がらせたとき、メフィアスの足元でなにかが動いた。

 闇夜のなかでは輪郭がぼんやりと分かる程度だが、大きさはそれほどでもなく、彼女の履いているヒール程度だ。

 だけど俺は、そのシルエットの正体が何者なのか、すぐに理解した。


 それはアラクネの子だった。俺たちを付けていたのか、それとも後から追ってきたのかはわからないが、あの監獄の奥底で何度も俺たちを喰らった人喰いの蜘蛛が、メフィアスの足から登りつめ、肩へと乗る。


「ご苦労様。看守の役目を果たせなかった母親よりも、よほどあなたのほうが使えるわね」


 メフィアスはそう告げると、子蜘蛛が咥えている何かを取り上げた。それは小さなアラクネの子がなんとか咥えて歩ける程の大きさの、一つの宝石だった。

 どくん、と心臓が鳴った。俺はそれにとても見覚えがあった。あれこそが俺を――俺たちを地獄へ縛り付けていた最大の元凶。神が創りし神石の模造品――


亜神石デミクリスタル――」

「そうよ、懐かしいでしょう? あなたの命をロックイーターから救った石よ」

「それは……監獄のどこかに保管されていたはず……なんでここに……」

「召喚者というのは諦めの悪い生き物だもの、あそこが破られることも、念のため考慮しておいたの。こうして子蜘蛛の一体に魅了チャームをかけて、なにかあったときは亜神石デミクリスタルを回収するように命令していたのよ」

「それを使って……またどこかで召喚者の収容場を作るつもりか!?」

「ふふ、これを使わずとも、もう亜神石デミクリスタル量産の目処は立っているわ。だから――」


 そう言うと、メフィアスは手のひらに乗せていた石を握りこむと、ぐ、と力を込めた。

 彼女の手のなかから、硬質なものが砕ける音が聞こえた。


「――ッ!?」

「これでもうあなたは生き返れない。死んだらもう二度と、この世界には戻ってこれないわ」

「くっ……だったら……!」

「この街にある神石に拠点を移す――とでも言うつもりかしら? それを私が許すとでも? ああ、違うわね。彼女がそれを許さないわ」


 メフィアスが横目でちらりとリズレッドを見遣った。

 相変わらず意思のない双眸が、虚空でも写すように俺を捉えている。


 無限の命はひとつとなり、立ちはだかるのは魔物の最上位に位置する真祖吸血鬼。対する俺は満身創痍で、HPはもう一度地面に倒れただけで尽きてしまうのではないかというほどの微小。

 全ての要素が俺に告げていた。どう立ち振る舞っても抗うことができない、固定された結末しか、俺には用意されていないということを。

 抵抗虚しく殺され、リズレッドは彼女のコレクションのひとつとなり、この街は陥落する。そんな確定した絶望の未来が――。

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