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「少し意地悪かもしれないけど、空から攻撃させてもらうわ。でもこれも自分の持っている力を行使した戦略よ。ずるいなんて言わないわよね?」

「……ッ!」

「そんなに焦らないで、リズレッド。殺したりはしないは。ううん、それどころか四肢の一本さえ捥がないで、完璧な形のままボロボロにしてあげる。腕や脚が取れたらコレクションとしては失格だものね」


 羽を舞わせ、空へと翔びあがるメフィアスの姿を、リズレッドは愕然として見据えていた。

 だがそれは、決して絶望からくるものではなく――


「――ならば、これも卑怯とは言ってくれるなよ」


 空の上で彼女の後ろを取った、ノートンに向けられたものだった。

 メフィアスは彼の奇襲に完全に反応が遅れた。彼の振り抜いた剣をしたたかに背に受け、再び地上へと落下した。


 むろん、リズレッドの一撃を無傷で防いだ防御力の前では彼の攻撃など瑣末なひと撫で等しかったし、予見しようと思えば、不意打ちなど簡単に迎撃することができた。だがメフィアスにはそれができなかった。『真祖吸血鬼』――有翼種の魔物のなかでも最も空中戦闘を得意とする自分が、大空において上を取られることなどあり得ないという過信と、人間を商品ケースに陳列された自身のコレクション予備軍程度にしか認識しない傲慢さが、上昇気流に乗って空中機動を補助する程度のノートンの一撃を、まともに受けるという結果を導き出していた。


「……この……虫ケラの分際で……!」


 宙で着地姿勢を取り、無様に体を打ち付けることはなかったものの、彼女のプライドは違った。

 殺そうと思えば八つ裂きにできて、手駒にしようと思えば即座にかしずかせることができる哀れな存在。人間という種族を道端に転がる石程度にしか思わない彼女は、意外な反撃を受けて動揺していた。――だがそれでも、


 ――――死ね。


 彼我の差はそんなものを物ともしないほど大きく、深かった。


 メフィアスはいまだ空中にいるノートンに向かって手を広げると、呪言のような詠唱を始めた。それは一秒にも満たないわずかな瞬間で、人間であればその時間で用意できる魔法など、簡易な初段魔法がせいぜいだろう。

 だが六典原罪という最上の階級に位置する彼女にとって、その数瞬だけで彼を屠るには十分だった。


 途端、漆黒の波動がノートンに伸びた。

 闇夜のなかでも容易に視認できるほどの漆黒さで、まるで死という概念を凝縮して固形化されたような槍だった。


 所詮、石ころは石ころ。どんなに果敢に挑もうと、つまずかせる程度が関の山。対等に戦いの土俵に立とうなど、不遜な行為に他ならない。

 メフィアスの放った魔法は雄弁にそれを語るように彼の命を捉え、そして、


「《グレーターファイア》ッ!」


 突如現れた爆炎がメフィアスを包んだ。

 本体が灼熱の海に沈むのと裏腹に、射抜かれた黒の槍はすさまじい勢いでノートンへと迫る。だがそこで、彼の生存本能が最大出力で駆動した。地上で爆発した、およそ単体生物に使用するものではない熱エネルギーが大気を震わせ、大きな上昇気流を生んだ。ノートンはそれを利用して、空中駆動の要領で無理やり横へと吹

 安全に移動することを度外視した、緊急回避のためだけの跳躍だった。体を無理にひねったせいで筋肉が悲鳴を上げ、追い風となるリズレッドのグレーターファイアのエネルギーがそれを後押しした。


「ぐ……ッ!」


 思わず鈍い声が漏れるが、その程度で済めば御の字である。彼は自らに向かって飛んできた命を穿つ黒槍を咄嗟に見やると、それは間一髪で腹部のすぐ横をかすめ、夜天高くまで昇って消えた。


 それはまさに幸運中の幸運。回避に成功したのだ。

 かすり傷ひとつ負わずにメフィアスの攻撃を避けるという最良の結果を掴み取った彼だったが、それと同時に、当たっていないというのに全身に響きわたる衝撃が、相手との実力の差をまざまざと見せつける結果ともなった。


 ――勝てない。いや、きっと戦闘相手とすら認識されない。


 それはまさに先ほどリズレッドが抱いていた、絶対的絶望からくる虚無感だった。

 たとえどんなに油断しようが慢心しようが、魔物の王の側近たる彼女には、その態度が相応しいだけの実力が備わっていた。


 自分を認識すらしていない人間が相手でも、一匹の蟻では到底太刀打ちなどできないように、メフィアスにとってノートンはその程度の対象なのだ。先ほど奇跡的に不意打ちが成功したのは、さしずめ蟻のひと噛みといったところだ。最初は人間を驚かせることに成功するが、その後は容赦なく指でつままれ、押しつぶされる。彼にとって同様の運命が待ち受けていたはずだったが――それを救ったのは、あの夜の日に自分が殺そうとした召喚者のパートナーだった。

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