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「グラヒエロ様、お元気そうでなによりです」


 うやうやしく頭を下げるノートンに、思わず顔が歪んだ。

 頓挫した計画が、再び自分の手に舞い戻ってきたのだと確信した。革命後に顔を合わせたことはなかったが、諜報員を通して彼が熱狂的な賢人派であり、蛮族の血を蔑んでいることは知っていた。つまり、彼は自分の支持者だ。しかもいまは念願だった魔法戦士まで神託されている。


 なにからなにまで、儂に運が向いてきたわい。


 グラヒエロは内心でそうほくそ笑みながら、手招いて彼を呼んだ。


「そんなところに立っていてもなんだ。こっちへ来て座りなさい。久々の再開だ、一杯やろうじゃないか」


 年代物のワインを掲げて、グラスを二つ取り出した。

 ノートンは部屋へ入り、テーブルの前に立った。だが椅子に座る気配はなかった。グラヒエロはそんな彼の様子にも気づかず、グラスにワインを注いでいた。

 ふいに、椅子へ腰掛けるグラヒエロを見下ろしながら、ノートンが告げた。


「中央十字路の古代図書館だな」


 グラヒエロの手がびくりとなって止まった。

 グラスに移されていたワインの流れが止まり、次いで、眼球だけを動かして自分の前に立つ男を見た。


「なんの話だ?」


 ノートンは少しだけため息をつくように息を吐き出すと、彼の疑念には答えず、つらつらと語り出した。


「賢人の純血家系にだけ伝えられる、古代の魔法や歴史を記した書物が格納された古代図書館。あなたや僕の父は、その知識を切り売りしては己の財を増やしていた」

「ノートン、いまはそんな昔話をするときでは――」

「古代図書館へは純血家系にのみ伝わる解放魔法でしか出入りできず、存在すら街の住人には知らされなかった。もっとも、城塞の一部が出入り口になっているということは、都市伝説レベルでは伝えたれてはいたようだがな」

「……一体、なにを言って――」

「まさかここにも古代迷宮への入り口があるとは思わなかったが、そこを通って逃げ出さなかったのは、大方外の世界で自分は生きていけぬ存在であるとわかっていたからか? なんと言ってもあなたは、昔から全く鍛錬を行わなかったため、レベルは5にも満たないですからね」

「……ノートン、口を慎め。儂は鍛錬を行わなかったのではない。行う必要がなかったのだ。レベルなんてものはもう過去の遺物だ。魔物との戦いなど、あぶく銭欲しさに自分の命を投げ出す、馬鹿な蛮族や冒険者に任せておけば良い。儂のような権力者の価値は、神が定めたカビの生えたレベルなどという概念では測れんのだ」

「……なるほど、確かにその通りですね」


 ノートンは納得顔で告げた。グラヒエロの顔がにわかに微笑んだ。


「――ですが、それは他の街で通用する話。ここは力と智慧の融合を謳う誇り高き城塞都市ウィスフェンドだ。直接戦いに参加しないから、などという理由で鍛錬を怠る輩に、果たしてこの街の頭取が務まるのですかな」


 ノートンは途端にまた臆病な顔になるかつての領主に、いささかも情を映さぬ瞳で見つめた。

 それは真実、彼自身の考えだった。

 下級の住人をゴミのように眺めていた青年期の時分でさえ、ノートンは日々の鍛錬を欠かしたことはなかった。父や、目の前のグラヒエロが上品な酒や豪華な料理にうつつを抜かし、醜く肥えてゆくのを見るたびに、彼は心の内でこう確信していた。自分こそがこの街の時期領主にふさわしい、と。


 抱いた女も使った金も、全て正しかったと思わせるだけの働きをするのだ。歩んできた過去は、それがどんなに後ろ暗く、非難の声に溢れていたとしても、成功の未来が訪れた瞬間に全てが肯定される。自分にはそれをするだけの力と資格があるのだ、と。


 グラヒエロはようやくノートンの様子がおかしいことに気づき、恐る恐る訊いた。


「貴様……まさか……儂を殺して、次の領主になるつもりか……!?」


 さも自分はすでに領主の座についているかのような言い草に、さすがのノートンも呆れ顔になった。

 そして、昔であれば少なからず胸を踊らせていたであろう『次の領主』という言葉に、乾いた感情しか湧かない自分にも同様に呆れた。


「……領主は当分、フランキスカが譲らないだろうさ。あいつは住人からの支持も厚く、なによりも強い」

「だ、だからこうして、魔物と奴をぶつけてどちらも潰そうとしているのではないか……! それだけではない。たとえ奴が生き延びようと、すでに街の被害は甚大じゃ。それをフランキスカの政治力の低さに原因があるとゴミ共を誘導すれば、嫌でも領主の座を譲らざる得なくなる。そして儂は、その誘導ができるだけのコネクションを持っておるのだ!」

「……そうか」


 ノートンはその一言だけを呟くと、目下に注がれたワインのグラスを手に取った。グラヒエロがいやな笑いを作った。


「そうだ、それでいい。お前は頭が良い。これからの時代、どれだけ頭が切れるかが重要なのだ。レベルなどに囚われている馬鹿とお前は――」


 揚々と話している途中で、ふいにテーブルの向こう側に立つノートンの腕が動いた。グラスを握った手が、勢いよく彼にふりかざされる。


「っ!?」


 途端、グラヒエロの鼻に、ワインの酸味とアルコールのつんとした臭いが襲いかかった。

 血のように赤いワインが、盛大に彼にぶち撒けられたのだ。

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