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悔しげな呻きを漏らしながらエイルは首を縦に振ってくれた。
すまないなエイル。俺たちが戦ってるなかで後ろで一人だけ回復を行うのは気が引けるかもしれないが、これも長期戦ならではの苦難ってやつだ。気持ちの良い戦い方をするだけでは勝利にはたどり着けない。五人全員の強みを発揮して、一つのシステムとして動かさなければこの大軍勢に太刀打ちなどできない。
「弔花もMPが尽きたら、後ろに退がって回復するんだ! 退がるときは、俺たちに合図を送ってくれ! さすがにこの数が相手じゃ、仲間の挙動まで追いきれない!」
五人のなかで一番の討伐数を出しているのはエイルだ。そして時点が弔花。やはりMPという有限のステータスを消費して放たれる魔法は、ただの攻撃よりも遥かに効率よく敵を倒すことができる。
情けないことに俺の討伐数は、このなかでは彼女たちに次いで三位といったところだろう。『断罪セシ者』も本来は弔花たち側の立ち振る舞いが正解の職業なのだが、紆余曲折あって近接戦として運用してしまったために、こうして前線で棍棒めいた杖を振るって敵を撲殺するはめになっているというわけだ。
だが、そうなってしまったものは仕方がない。翔の人生をやり直せないように、ラビの人生もまたやり直すことはできないのだ。それに俺にはリズレッドと出会えたことで備わった、本来の運用方法にも勝る力がある。
部屋の中央はエイルが起こした魔法により、部屋の中央には大きな空洞ができていた。空洞と言っても文字通りの穴ができているというわけではなく、そこだけが蜘蛛の支配から解放され、黒の紙の上に一点の白インクを落としたように石畳を覗かせている。
そして黒いインクはいまも続々と壁の割れ目から溢れ出し、ようやくできた無地の空間を、再び染め上げようとしていた。
それを見たとき、一つ案が浮かんだ。
だがそれは、先ほど鏡花に対して口にした『独断専行をするな』という命令を、自ら破るものだった。実際、成功するかどうかもわからない。室内で
成功するか失敗するか。どちらを引くかわからない二本の道が現れて、どちらを選択すべきか考えあぐねいていると、横からふいに、
「なにを迷っているのです」
そんな声がかけられた。
声の主は鏡花だった。
振り向けば、呆れたような顔でこちらを覗く彼女がいた。
「『なにか策がある』――そんな顔ですわね。もしかして、先ほどの私への忠告を気にしていらっしゃるのかしら? あれは私の考えなしの行動でしたが、あなたは違うのでしょう? ならば、なさってみてはいかがです?」
励ますような、挑発するような、なんとも判断しにくい口調だった。だがそれが、俺の迷いを晴らしてくれた。
「サンキュー、鏡花」
素直にそう告げると、ふん、と鼻を鳴らして横を向いてしまった。
そして俺は、エイルの作ってくれた、その白の空間へ意識を集中させた。
足をストレッチさせ、準備運動をする。
敵が無尽蔵に湧いてくるといっても、湧き終わるまでそれを流暢に待ってやる必要はない。
俺はそれを阻止する力がある。リズレッドから譲り受けた、あのスキルがあるのだから。
リキャストタイムは十分。再びあれを放てることを確認し、俺は――《疾風迅雷》を発動させた。
決して狭くはないが、それでも善良で疾走するには心もとない監獄の空間が、さらに縮まった。
視界が後ろへと凄まじい勢いで流れ、寸前のところで壁の前で停止。
「うわっ」
自分で取った行動だというのに、思わず調子の外れた声を上げてしまった。疾風迅雷は速度は強化してくれるが、思考速度まで上げてはくれない。そんなことができれば、《疾風迅雷》は速度強化のスキルというよりも、時間圧縮という神の御技にも等しい技となってしまう。
つまるところ、俺は格好つけてスキルを発動させたにもかかわらず、調整が追いつかずに、踏み出した先にある壁に、あわや激突しそうになったのだ。ヴィスたちすごいと煽てられ、調子に乗った結果が撃沈であったなら、もう俺は恥ずかしさのあまり自刃すらしかねない。ひとまずそれはぎりぎり回避できたようで、本当に良かったと胸をなで下ろす。
さて、だけどいまので、だいぶ感覚は掴めた。
要は、通常時に感覚している空間領域を、スキル使用時の感覚に変えればいいのだ。頭のなかで何歩走れば向こう側に辿りつく、という理解の縮尺を調整し、再度、駆ける。
――よし、今度は成功した。
今度はぶつかることなく、エイルの作ってくれた円舞台を走ることができた。そしてそのまま、壁から続々と現れる蜘蛛を潰す。
「俺が新手をできるだけ叩く! みんなは陣形を維持していてくれ!」
四方八方から湧き出るこいつらを通常の速度で即時迎撃は不可能だ。たとえ五人全員が割れ目にそれぞれ張り付いたとしても、それでも足りぬほどポップアップするポイントがある。だが《疾風迅雷》を使用した俺ならば、全てとはいかずとも、多くの部分をカバーすることができる。染み出すインクがせっかく綺麗にした下地を再び染め上げるのを、指を咥えて待つ必要などない。仲間が作ってくれた好機は、最大限に活用してみせる。それがこの場でリーダーとして立つ俺の役目だ。
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