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 ダンナって……どう見ても俺のほうが年下なのだが。いや、アバターの外見は開始段階でユーザーが好きに設定できるから、案外この見た目で俺より年下ということもありえるのか?

 調子の外れた声を上げる俺に、ヴィスはなおも言葉は放った。むろん、分厚い拳で敵への攻撃を一切緩めることなく。


「ところでダンナ、そのファイアには、特別なアビリティでも付いてるんですか?」

「アビリティ? なんのことだ? あと敬語はやめて?」


 ただでさえ敵の攻勢を退けながら会話しているんだ。いくらスタミナが減らないこちらの世界だと言っても、こんなスキンヘッドで筋骨隆々の男に敬語なんて使われたら、手元が狂いそうだ。


 ヴィスはそれを聞いて、かろうじて言葉遣いだけはいままでと同じように戻してくれた。


「なんのことって……魔法には普通、どんなものでも詠唱時間ってもんがあるだろ?」


 訝しむ声音で訊いてくる彼に、俺も同じように疑問符を浮かべた。ファイアは俺がリズレッドから継承したときから、すでに詠唱なしで放てるスキルだった。熟練度を上げて《詠唱キャンセル》みたいなアビリティが付与されたわけではなかったはずだ。


「いや、俺はファイアを継承したときから詠唱時間なんて発生しなかったけど」


 率直にそう告げると、今度こそヴィスが、目を大きく見開いてこちらを見た。敵がその隙に至近距離まで潜り込み、痺れ毒が染み込んだ牙を突き立てようとするのを、寸前のところでファイアを撃って撃退した。


「ヴィス! 油断するな!」

「す、すまん……けどよダンナ……」


 何かを言おうとしたところで、今度は鏡花が前方へと踊り出た。まるで相手に責められるのを待つだけは、性分に合わないとでも言うように。

 陣形を崩した彼女に、俺とヴィスの両方が制止の声をかけたが、


「うふふ……あなた、思ったよりも強いのね。なんだかすごく、滾ってきちゃいましたわ」


 背筋が再びぞくりと粟立った。なんだろう、ここに来てから彼女の視線を、常に感じている気がする。そしてそれに伴って、まるで首元に死神の鎌でも当てられているような緊張感も。


「ああ――あなたとの殺し合いは、どれだけ楽しいものになるのでしょう。その優男の仮面の下に、どれだけの本性を隠しているのか、いまから楽しみですわ」


 身震いしそうな口調でそう告げる彼女の刃は、その声音とは裏腹に苛烈さを増していった。

 まるで彼女の昂ぶる感情が、そのまま切っ先となって宙にほとばしるようだった。彼女の前方にはもはや振るわれた刀の残影が、幾重にも織り重ねられ、白い紗幕となっていた。触れた者すべてを分断する、死のカーテンだ。当然、理性もなく突進する子蜘蛛たちは、自らその死地へと飛び込み、


『ギキィ!』

『ピギッツ』

『ギ――!?』


 ばらばらの惨殺体となって床に落ちた。


 言葉はわからずとも、あれが断末魔の叫喚であることはすぐにわかった。これが人間相手だったら、まるっきりスプラッター映画の一場面のような惨状だろう。

 たとえ蜘蛛の子供でも若干の罪悪感を感じるほどである。だけどお前たちも散々、俺たちの体を食いまくったんだ。これで貸し借りなしの、フェアな関係になったってことだな、と、自分を強引にごまかす。


「鏡花、あまり前へは出るな! いくらスタミナが減らないといっても、敵はまだまだいるんだぞ!」


 彼女の強さは確かに折り紙付きだ。さすがは大クランを弔花と二人だけで壊滅させただけはある。だがいまは、そのときよりも遥かに多勢に無勢で、なによりも失敗が許されなかった。


 さっきから俺たちは一転攻勢に出て、一見するとこちらが有利なようにも思えるが、それは違う。敵の総数は依然として全くわからないほど多かった。騒ぎを聞きつけた新手の虫が、壁の隙間から無限とも思えるほど湧き出し、むしろ最初に転移したときよりも、監獄の空間を埋める敵影は増えている。


 視界の全てが八脚の蜘蛛で埋め尽くされているといっても過言ではない状況である。俺たちが威勢良く斬り伏せているのは、この大軍勢のなかのほんの先触れなのだ。


 だからこそ危険だった。

 この先、何時間この戦いが続くのかわからないというのに、彼女の戦い方はまるでそれに則していなかった。


 一瞬の隙も許されない最前線に立てば、三十分もせずに精神は疲労する。向こうの世界で横たわっているだけの体とは違い、思考はこちらの世界でもフルに活動しているからだ。

 アタッカーの筆頭である彼女にもしものことがあれば、それは作戦成功の確率を大きく下げる結果になる。


 だが俺が張り上げた静止の声は鏡花の耳に届かないのか、振るう刃の速度や精度は、さらに増していった。


「見せて……見せて頂戴。あなたたちの中身を、本物を」

「鏡花――?」


 俺は違和感を覚えた。

 たしかに彼女は、ボードで会話をしていたときから、狂人じみた異常さを感じてはいた。だがそれは自分で培った論理をもとに、他人を斬ることに正当性を見出したからこその、彼女なりの理路整然とした思考の結果だった。

 だがこの状況で独断専行をして、得るものなどなにもないはずだ。

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