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「なに気落ちしてやがる。まさかお前、オレたちに同情してるんじゃないだろうな?」


 その口調に、びくりと体が反応した。


 フランキスカは初めて会ったときからずっと、猛獣のような荒々しさを感じさせながらも、それを理性で包んでいるような男だった。しかしいま眼前にいる男からは、その辛うじて覆い隠していた紗幕なベールが取り払われ、猛き獣が檻から解き放たれたような錯覚を覚えた。そしてそこまで考えて、彼女は改めて気づいた。彼の言葉遣いが、私からオレへと変わったことに。


「バッハルード、領主になるときに誓った、理性的な男になるって約束はもうなしだ。ここまでコケにされちゃ、それこそ体裁もなにもないからな」


 横でロールした髪をくしゃくしゃと掻き崩しながら言う彼に、バッハルードは肩を落とす。


「……全く、二十年の苦労が水の泡だな」


 落胆した様子でそう告げるが、表情にはどこか嬉々としたものが現れていた。お互いに、ようやく窮屈なスーツから解放されたような顔で目を交わす。


「じきに朝だ。嬢ちゃんの話じゃ、太陽が昇って沈むまでの行動によって、この街の運命が大きく変わる。お前らは少しでも寝ておけ。オレは混乱を引き起こしている奴らを締め上げて、本当に賢人選民派が犯人なのかを突き止める。バッハルード、お前も来い」

「ここの指揮は誰がとる?」

「ここに来て俺に指示を仰ぐ部下が来た場面が、一度でもあったか? みな現場の混乱を収めるのに精一杯さ」

「リズレッドたちの監視はどうする? 名目上とはいえ、彼女たちは監禁されていることになっているんだぞ」

「だったら、名目上看守が付いてることにすればいいさ」

「領主であるお前になにかがあったときは?」

「なければ問題ねえ」


 形が崩れてぼさぼさになった髪で、フランキスカは笑った。ロールが解かれた金の髪は肩の近くまで垂れ下がるが、不思議といまの彼には、その髪型がよく似合っていた。荒々しい戦人という感じである。


 対するバッハルードはカイゼル髭の先を人差し指と親指でつまみながら、彼の指示に肯定するように首を縦に振った。


「まあそんな訳で、オレたちは公務ってやつを果たしにいくから、嬢ちゃんたちはここで茶でも飲んで待ってろ」


 ソファを立って、外の人間に自分の装備を持ってくるように指示をした。リズレッドはあまりの豹変ぶりに呆気に取られながらも、これだけは確認しなければいけないという顔で、問いた。


「その……さっきから嬢ちゃん嬢ちゃんと言っているが、それはまさか、私のことか?」

「他に誰がいるんだ?」


 間髪入れずに、面白がるようにそう言われた。


「私は一応、齢だけなら貴殿たちと大差ないのだが……」

「男一人に顔を真っ赤にしてる奴が、言う台詞じゃねえな」


 その言葉でついにリズレッドは沈黙した。アミュレとマナがフォローするように肩を叩くが、それが彼女の羞恥を加速させて、手で覆った顔から覗く耳が、燃えるように真っ赤になっていた。


 呵々大笑を上げながらフランキスカは来賓の間を出ていき、それにバッハルードも続く。


 つい先ほどまで緊張に包まれていた部屋に静謐な雰囲気が満ち、マナはようやく息継ぎする間を与えられた水泳選手のように空気を吸い込むと、大きく吐き出した。


「はー、なんだか大変なことになっちゃったねえ。まさかラビの捜索から、こんなことになるとは思わなかったよ」

「私もです。旅の目的地のウィスフェンドが、こんな事態になるなんて」

「でも、とりあえずは一段落付いたって感じだね。さすがに朝からぶっ通しだったから眠いよ。リズさんの予想が正しかったら、これからまだ大変な事が起きそうだし、オジサンたちの言う通り、少し寝ておいたほうがいいかもね」


 丁度そのとき、廊下からメイドが姿を現すと、寝室へご案内いたします、とうやうやしく頭を下げて告げてきた。

 ようやく自制心を取り戻したリズレッドがソファから立ち上がった。


「二人とも、ラビのためにこのような事態に巻き込んでしまってすまない。この埋め合わせは必ず……むぐっ」


 話している途中で、マナが口を塞いだ。


「謝罪はいいよ。こっちはラビから、相応の対価を貰ってるから」


 にっこりと微笑みながらも、どこか含みのある調子で告げる。リズレッドは眉を寄せて訊こうとしたが、


「私だってラビさんのパーティの一員なんですから、謝られても困ります」


 拗ねるように言うアミュレに阻まれ、彼女は苦笑して、先ほどの言葉を撤回した。


 即席のパーティではあるが、彼女たち三人は各々の役割を果たし、戦力面だけでなく環境面でも上手く歯車を回し始めていた。奇しくもここに、城塞都市が理想とする――人族と妖精族、そして召喚者――多種族同士の共存があった。

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