69

『最大の攻撃で、一瞬で終わらせてやる』


 そう言って奴は、格下の俺を前にして、全力で殺すための準備を始めた。そこには慢心など存在していなかった。憎悪に身を任せた結果、奴を本気にさせる結果となっていた。


『貴様は俺にとって造作もなく殺せるゴミだった。何の感慨も湧かされずに、ひねり潰すだけの存在だった。だというのに貴様は俺を圧倒した。……許されることではない。お前に折られた右腕が、殴打された全身の痛みが、俺に新たな力を与えてくれた。憎しみという力だ。いまそれを使って、叩き潰してやるぞ、召喚者めが……!』


 まるで自分自身に復讐されるような気分だった。こいつは先ほどまでの憎悪に支配された俺そのものだった。膨れ上がったエネルギーをどこにも放出させず、己の内に留め続けた結果、なにもかもを破壊するだけの化身と化していた。

 遮断されたはずの痛覚だが、それとは別に視界から伝わる殺気が、現実でポッドに横たわる俺の脳に届いて、びりびりと肌を粟立たせているのがわかった。


「さっきの俺も……こんな風だったのか」


 こんな姿をリズレッドに晒したのかと思うと、情けなくてたまらなくなった。これではどちらが魔物か、わかったものではなかっただろう。できればもう一度会って埋め合わせをしたかった。ひどいことをしてしまった分、沢山笑わせたい。……そう願うが、そんな淡い希望などかき消すが如くドス黒い波動が、ロックイーターの全身から放出されていた。


 震えが止まらなかった。これが間違いなく、俺の運命を決める一戦になる。彼女との約束を守れるかどうかの境界線であるのは間違いなかった。なにか大きな決断をするとき、俺はいつもこうだ。あまりの責任の重さに、思わず無選択を選びそうになる。嵐が過ぎ去るのをじっと待つように、ただ耐えるのが稲葉翔の生き方だった。


 だがこのときだけは、それを選択するわけにはいかなかった。ラビ・ホワイトがそれをさせなかった。運命に立ち向かうかという問いを前にして、いまにも崩れ落ちそうな体だというのに、イエス以外の返答をする気には微塵もなれなかった。もうひとりの俺が『行け』と言っていた。それを自覚すると、怖気付きそうな自分の足を、ぱんと叩いた。


「……なにを怯えている、稲葉翔。こんなもの、さっき現れたもうひとりの自分に比べたら、なんでもないだろう」


 言い聞かせるように呟いた。

 痛みは感じないので効果は薄いが、音だけでもずいぶんと気分を持ち直すことができた。そして少しだけ冷静になった頭で、相手が攻撃のために力を溜めている間、自分になにができるかを模索した。


 そしてふと気づく。勝機は限りなく薄いが、ゼロではないということを。

 俺程度の召喚者にあそこまでの攻撃を準備するということは、確かに憎しみもあるだろうが、勝負を焦っている証拠だと思ったのだ。

 事実、ロックイーターの体は満身創痍と言ってよかった。膨れ上がった筋肉のなかで、折れた右腕だけがだらりと垂れ下がり、左腕に力の全てを込めている。憎悪に支配されるままに、ブラッディスタッフで殴り続けた体は赤黒く変色し、身体中が腫れ上がって出血していた。

 つまり奴も、残りのHPが少ないのだ。こちらの行動が読みきれない以上、不用意な攻撃は危険と判断し、確実に次の一手で息の根を止める手段を講じてきたのだ。だからこそこうして、捨て身とも言える『溜め』の一撃を繰り出そうとしている。……つまりここを凌ぎきれば、勝てる見込みが生まれるということだ。


 ――無茶な戦い方だけはしないでくれ。身を削る戦闘方法に身を浸した者の末路は、いつの世も悲惨なものだ。


 そのとき不意に、リズレッドの言葉が脳裏に蘇った。

 ゴーレム戦で無茶をする俺を心配し、かけてくれた言葉だった。あのときの俺は痛みを感じないのを良いことに、自らの身を炎に包んで特攻するなどという愚策を選んでしまった。この世界で痛みを経験したからわかる。あれがどれだけラビ・ホワイトの体に負担をかけ、見ている仲間を心配させたかを。

 ……だが後悔だけではない。もう一つだけ、その経験からわかることがあった。


 俺は眼前の、筋肉を増幅させつづける怪物を見やった。


「身を削る……か」


 相手のその姿は、まさしくリズレッドが言ったことを体現していた。無茶な膂力増加で軋みを上げる筋骨。膨れ上がった肉に圧迫されて外へと噴き出る血流。ああ、あれは痛そうだ、と、見るだけで顔をしかめそうになる。


 捨て身の攻撃は、当たるという確度が高いからこそ行える手段だ。では、もしその攻撃が外れたら? 犠牲を伴って繰り出した最大級の一撃が外れたら、その反動はそれだけ大きいだろう。精神的にも肉体的にも、大きな隙が生まれるのは間違いない。ならばそれは、俺にとっての可能性だ。固く閉ざされた未来への扉の隙間から、細く漏れる光を見た気持ちだった。


「……《疾風迅雷》」


 彼女から受け取ったスキルを発動させる。心なしか、そばにリズレッドがいるような気がして、それだけで緊張が薄らいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る