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「俺はお前たちを断罪するために、この力を使う」


 そうだ。俺は正義を執(おこ)なっている。こいつは沢山の人の命を奪った。だから、こうされて当然の存在なのだ。残り時間はすでに一分を切っているが、全く問題なかった。殺そうと思えばいつでも殺せた。


『ガァァアアアアッ!!』


 残った左腕でロックイーターは最後のあがきとでも言うように、渾身の力で拳を振るった。俺はそれをあえて受けることにした。絶対的な絶望を知らしめるために。すでに痛みさえ、気分を昂揚させるための要因に過ぎなかった。


 しかしそのとき、後ろから何者かの力が加えられ、俺は地面へ倒れ込んだ。

 巨人の豪腕が寸前のところで空を切る。迂闊だった。ロックイーターが群体なのは先ほど現れた二体目でわかっていたはずだ。俺は眼前の敵を裁くことに集中するあまり、背後からの奇襲を受けたのだ。


 地面に突っ伏しながらHPバーを確認すると、ダメージは1も通っていなかった。思わず笑みが浮かんだ。どんな魔物でさえ、いまの俺には奇襲すら意味を為さない。この程度なのだ。再びその言葉がきた。もはや杖さえ必要ない。この拳で直接、背後の敵を殺してやろう。そう思って勢いよく振り返り、腕を振り抜いた。しかしそこで、


「――う――たのだ」


 目を貫くような黄金が、暗く濁った視界を刺した。


「――どう――たのだ――ビ――」


 それはまるで暗闇に包まれた闇夜のなかで、自分を照らす月光のようだった。


「――どうしたのだ、ラビ!?」


 ノイズに塗れていた景色が、ふっとクリアになった。そして眼前には、一人の女性だけが映っていた。


「君になにが起こった!? 正気に戻ってくれ!!」


 俺が殺そうとしたもの。拳で体をえぐり、息の根を止めようとしたもの……その正体がわかり、気が遠のいた。

 それはリズレッドだった。気丈な彼女が、いまにも泣きそうな顔をしながら、俺に覆いかぶさっていたのだ。


「……リズ、レッド……?」


 瞠目して目の前のひとりのエルフを眺め、続いてぞっとなった。

 いま俺は、何をしようとした? この手で彼女に、何をしようとした?


 汗が噴き出て、心臓がばくばくと鼓動を跳ね上げた。

 視界を走る暗い闇も、相手を殺そうとする極大の殺意も、気づけばどこかへ消えていた。

 その代わりとでも言うように、とんでもない過ちをしでかすところだったという事実に、憔悴して青ざめた。


 俺は、俺は……。


 混乱する俺の頬に、なにかが滴る感覚があった。リズレッドのこぼした涙が、彼女から俺へと落ちていた。その涙は俺が浴びた竜亜人の返り血を洗い流すように流れて伝い、俺の顔に何本もの筋を残していた。


 しかしそこへ、敵の攻撃が再び襲来した。急いで彼女を抱きかかえると、その場から飛び退った。超人的な跳躍え距離を取り、ロックイーターから離れる。だがそこへ、リズレッドの叫びがきた。


「もうその力を使うのは、やめてくれ!」


 命令でも忠告でもなく、ただ本心から来る願いのような叫びだった。跳躍から着地した俺の背中に手を回し、リズレッドがしがみついた。黒妖精のローブは先ほど戦いでボロボロになり、いつの間にか装備から外れていた。上半身がほぼむき出しとなり、辛うじて残ったボロ切れのインナーの上から、リズレッドの震える体が伝わってきた。


「怖い。怖いんだ……君がどこか遠くへ行ってしまいそうで、たまらなく怖い」

「……」

「お願いだ。にはならないでくれ。優しい君のままでいてくれ……頼むから。敵ならすべて、私が倒すから」

「……俺は……リズレッドを……守ろうと……」

「ああ、わかっている。ありがとう。全ては不甲斐ない、私のせいだ。偉そうに説教をしておきながら、君を守りきれなかった、私のせいだ」

「……違う」


 全てを自分の責任としてかぶろうとする彼女の両肩に触れると、抱きつく彼女を引き離して真っ直ぐ目を見つめた。そんなことはないと、俺だって君を守れるんだと、そう言いたくて。

 だがそこで、俺はついに自分の犯した過ちに直面した。


「……あ……ああ……」


 彼女の顔は血で濡れていた。いや、顔だけじゃない。腕も、胸も、体すべてが赤黒い血で塗りつぶされていた。

 それは人の血でも、エルフの血でもないことはすぐにわかった。先ほど見た彼女の血は、もっと綺麗だった。だが彼女に付着した色は、濁った黒を溶かしたような赤色をしていた。その色に、俺は見覚えがあった。ロックイーターを攻撃した際に噴き出た液体と、全く同じ色だった。


 俺は恐る恐る視界を下ろし、自分の体を確認して、思わず吐き気がこみ上げた。

 むせ返るような鉄の臭いを放ちながら、赤黒の血が、全身を覆っていた。地肌など見える面積のほうが少なかった。大量の血を満たした桶でもかぶったかのように、満遍なく粘着質でねっとりとした血が、俺に付着していたのだ。


「俺は……なにを……」


 ここまで返り血を浴びているなど全く気づかなかった。ただ目の前の生物を、好き勝手にリンチする愉しさに心が喰われ、無心で杖を振るっていた。

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